司会の男性にそう聞かれた40代くらいのAさん(女性)は、淡々と話した。
「最近、私は自分の壁を壊そうと思って、子どものフリースクール(不登校生や事情を抱えた子どものための民間教育施設)の親の会に、わざと遅刻して行ったんですよ。なんだか、時間ぴったりに行くことが問題のような気がしてきたんです。子どもが学校に行かなくなって、フリースクールにもあんまり行かないのは、私のこの壁のせいじゃないかって。
その壁を壊そうと思って、遅刻して、そして事情を説明したんです。そうしたら会の方は『素晴らしい』って拍手してくれて。『なかなかそういう壁が自分にあるって気づかないのよ』って。
遅刻してみたら、フッと楽になったんですよ。いろんなとこに行けないでいる子どものことも、大丈夫、許せるっていうか。自分が遅刻をするということで、時間を守らなければならないとか、そういうのを突破したんですよ」
「ねばねばの壁を突破したわけですね。これは大きな研究と実験でしたね」
司会の男性がほほえみながら言う。
「ねばねば」とは、後述の「べてる式当事者研究」で、ねばねば病と名づけられている症状。やらねば・せねば・こうあらねばという強い思いだ。
Aさんは続けた。
「親の会では、遅刻してもいいですよって言ってるんです。だけど自分の中に遅刻はダメというのがあって。それを考えると、小学生の頃から、先生の言ういい子でいようとしてたことに気づいたんですよ。でも、それって先生にとっての都合のいい子であって、自分にとって都合のいい子ではない」
そこで今度は別の若い男性が話し出した。
「ねばねばの壁ですけど、今、僕は優等生誤作動の研究をしてて、同じだなと思ったのが、優等生であらねばって思いがあって、それは、評価者に対してなんです。相手が何を望んでるか常に読み続けて、評価者に評価されるように生きてるから、どんどん自分を生きてる気がしなくなる。自分の評価も株価みたいに乱高下する」
話がひと区切りついたところで、司会者が言った。
「ねばねば病に、『マスト(must)さん』って名前つけて外在させた人がいましたね。そうすると、『今、マストさんが来てるから、こうあらねばとか思ってしまう』と思える」
その言葉に、まわりの人たちが深くうなずいた。
こんなやりとりがなされているのは、東京都豊島区にある精神医療・福祉の支援団体「べてぶくろ」の当事者研究の集まり。精神障害や生きづらさを持つ人々を支えるコミュニティーで、2010年に立ち上げられた。
べてぶくろという名前は、「浦河べてるの家」と、東京での活動エリア「池袋」を合わせたもの。1984年から北海道浦河町で活動を続ける社会福祉法人浦河べてるの家は、精神障害を抱えた当事者の共同体だ。百数十人ほどのメンバーが、特産の日高昆布の加工・販売などをして生計を立てつつ、全国で講演活動も行う。
年に一度のべてる祭りでは「幻覚&妄想大会」が開催され、その年でもっとも幻覚や妄想に苦労した人が表彰される。例えば、2014年の受賞者への言葉はこんな感じ。
「あなたは、長年にわたって『わかっちゃいるけど止まらない確認行為』と『極度の金欠状態』におちいり、ぱぴぷぺぽになって入院を繰り返す中で、金欠においては、ごみステーションに出される粗大ごみを質屋に持っていくという方法を、更には、人にものをあげることで貸しをつくり、困った時にはお金を借りる方法を考案されるなど、さまざまな工夫を重ねてまいりました。(中略)よってここに、ぱぴぷぺぽ賞を授与いたします」
「あなたは、長年、人ごみの中でおきる『罵声・いじめ現象』に悩み、たくさんのトラブルと入院を体験しながらも、あきらめずに自分の助け方、人との和解について、熱心に研究を重ねてこられました。その研究の成果として、人の苦労や出来事に反応しやすいこと、普通の会話が『出て行け』に変換されること、金欠時に電話一本で親ごころをくすぐりお金を振り込ませるための“オレオレ電話”のテクニック、自分に自信が無いときには、買い物が効果的なこと、毎日の苦労のデータ収集が大切であることなどを発見、実証されました。(中略)よって、ここに表彰をいたします」
そんな、浦河べてるの家の理念は「安心してサボれる職場づくり」「べてるに来れば病気が出る」「昇る人生から降りる人生へ」「弱さの情報公開」などなど。全身から力が抜け、よろけてしまいそうなほど素晴らしい。彼らの取り組みは世界的な注目も集めており、毎年、世界中から北海道の田舎町に数千人の研究者らが見学に訪れる。
べてるの家を立ち上げたのは、ソーシャルワーカーで北海道医療大学教授の向谷地生良(むかいやちいくよし)さん。そうして冒頭から「司会の男性」として登場しているのは、彼の長男である向谷地宣明(のりあき)さん。1983年生まれ。浦河町で生み出されたべてる式当事者研究を、こうして東京で実践しているのだ。
べてるしあわせ研究所著の「レッツ! 当事者研究1」(地域精神保健福祉機構・コンボ、2009年)によれば、当事者研究とは、「症状、服薬、生活上の課題、人間関係、仕事などのさまざまな苦労を、自分が苦労の主人公――当事者――となって、自ら主体的に『研究しよう!』と取り組み、従来とは違った視点や切り口でアプローチしていくことによって起きてくる困難を解消し、暮らしやすさを模索していこう」というもの。
この日の会の冒頭に、向谷地さんは言った。
「自分の問題を専門家に丸投げしないというか、医療サービスに全部まるっと解決してもらおうみたいな発想じゃなく、ちゃんと自分自身の苦労を生きる。自分で自分の研究をして、よりよい自分の助け方を仲間とシェアしながら一緒に考えていきましょう」
この日、会場である豊島区要町の一軒家に集まったのは20人ほど。20代から50代くらいまで世代もバラバラだ。ここ最近、食べ吐きが止まっているという若い女性もいれば、「頭にお客さんがくる」と語る男性もいる(「お客さん」とは、べてる用語で「自動思考=認知のゆがみ」のこと)。
「消費誤作動」があって買い物が止まらず、多重債務状態だというBさん(女性)が語り出すと、「どういう時に買い物衝動が出るのか」など、向谷地さんや参加者が質問を挟む。「寂しい時、退屈な時、怒ってる時……」。彼女の中で、買い物と自分の中の問題が、パズルを一つずつはめるように整理されていく。しかし、日々の返済は大変だ。
「火の車っていうか、火のついた自転車を必死で自分でこいでる感じ」
そんなBさんの言葉に、向谷地さんが「じゃ、ファイヤーサイクリングって名前つけましょう」と提案。あちこちから起こる笑い。そう、これこそが当事者研究のだいご味なのだ。どんなに深刻な話でも、場は笑いに満ちている。そうして症状に名前をつける。名づけることによって、症状・問題がはっきりする。そのネーミングセンスがいちいち秀逸なのだ。
次に話したのは、3~4年前から幻聴が聞こえるというCさん(女性)。現在は通院中だというものの、自分でなかなか病気と認めることができず、ここを知ったのもつい最近だという。聞こえる幻聴はパワハラ的で、夫の浮気や離婚を示唆するような内容。病気で家事などが以前のようにできなくなり、「いい母親」でいられないことで自分を責めているようだ。
その場でCさんの幻聴が「パワハラ幻聴さん」と名づけられると、参加していた若い男性が「自分も悪口のような幻聴が聞こえる」と告白した。
では、どのような対処法があるのだろう。向谷地さんは、べてるの家で実践されている方法を紹介する。
「幻聴さんに対して、丁寧に『ちょっと今は忙しいので、また後で来てください』とか、『いつも心配してくれてありがとう』って言ってみたり。あと、枕元にジュースとかお供えする人もいます。そうしたら、なくならないけど、言う内容が優しくなったって人もいました」
べてるの家では「幻聴を売る」人もいるのだという。あまりにもたくさんの声が聞こえて困っている人に、当事者研究の仲間が「そんなにいっぱいあるんだったら売ったらいいんじゃない?」と提案。以来、毎朝職場で「私の幻聴、買ってくれる人いませんか?」と言うようになると「私、買いますよ」と何人かが手を上げてくれる。幻聴が「完売」すると楽になるというのだ。
「それって、職場で変に思われたりしませんか?」
そんなCさんの質問に、向谷地さんは「みんな病気だから。べてるの人」と爽やかに答える。