その瞬間を、私は参議院の傍聴席で見つめていた。
この日、国会周辺には約4万人が集まり、「廃案!」の声を上げていた。
戦後70年の夏。「戦争法案」に反対する声は全国に広がり、学生団体SEALDs(シールズ ; 自由と民主主義のための学生緊急行動)の中心メンバー・奥田愛基(あき)氏によると、「全国2000カ所以上、数千回を超える抗議が行われています。累計して130万人以上の人が路上に出て声を上げています」とのことだ(9月15日の中央公聴会での発言より)。
安保関連法にはいろいろな意見があると思う。必要だ、という意見。戦争につながるのではないか、という懸念。私自身は取材を通し、元自衛官やイラク戦争に派遣された元米兵、様々な戦場で紛争解決にあたってきた専門家などに話を聞くことで、この法案の「欠陥」を多く知った。その中で、もっとも大きな問題は、自衛隊には軍法がないこと。軍法を持たない軍隊が海外に派遣された場合、何か問題を起こした時に誰がどう責任をとるのか。最悪、個人が殺人罪に問われるようなことになるのではないのか、という指摘。
もう一つは、イラク戦争の検証がまったくできていないこと。そもそも、開戦の根拠となった「大量破壊兵器」は存在しなかった。そんなイラク戦争では、恐怖に駆られた米兵が、民間人を殺しまくるという事態が多く発生した。犠牲になった中には、女性はもちろん、子どももたくさんいる。数多くの「戦争犯罪」をおかしてきたアメリカの「後方支援」をすることは、日本も戦争犯罪に加担することにつながりかねないのではないか。
他にも「めまぐるしく交戦規定が変わり、5分後にはどうなっているかわからない現場の状況と、国会の審議には乖離(かいり)がありすぎる」などいろいろあるが、ざっくり言うとそんな理由から反対し、私自身もデモなどに参加してきた。
そんな中、気づいたことがある。それはデモに参加する人の中に「女性が多い」ということだ。
例えばこの夏、すっかり有名になったSEALDsにも女性メンバーは多い。というか、中心メンバーの半分くらいが女性ではないだろうか。また、デモ参加者にも10代から高齢の人まで女性の姿が多く、男女比は日にもよるが半々くらい。
一方で、女性が中心となって立ち上げたデモもある。その代表は、「だれの子どももころさせない」を掲げた「安保法関連案に反対するママの会」。SNSで立ち上げられたこの会は、7月末、初めてのデモを東京・渋谷で開催したのだが、そこには子連れママを始めとして2000人が参加し、「ママは戦争しないと決めた パパは戦争しないと決めた」などのコールを上げた。そんな「ママの会」は、SEALDsが「SEALDs KANSAI」「SEALDs TOHOKU」などの形で全国の若者に飛び火して現地で結成されたように、兵庫県や北海道、神奈川県などでも結成され、デモを開催している。
そんな「ママの会」のウェブサイト(http://mothers-no-war.colorballoons.net)には、こんな言葉が書かれている。一部引用だ。
「わたしたちの日常はこんなです。……子どもの食べこぼしにまみれて。……子どものイヤイヤに振り回され。……つい怒鳴ってしまったり。……安らかな寝顔を見て、『大好きだよごめんね』と謝ったり。
わたしたちは、人が育つということはキレイごとではないと、身を持って知っています。だからこそ、戦争には反対します。
殺したり、殺されるために生まれてきたのではありません。戦場に駆り出され、銃口を向け合う人たちの間に、そうしなければならない必然性はどこにあるのでしょうか。戦争を必要としているのは、わたしたちではありません」
安保関連法案に反対する「ママ」の言葉は、地に足がついている。国会審議で与党側の人々が使う、やたらと難しい漢字ばかりの「ザ・机上の空論」的な言葉のように、決して上滑りしていない。
「ママの会」を知って、東京電力福島第一原発の事故直後、数人の「オカン」による「Okan Do-Zine」(オカンドウジン)が作った『原子力のない暮しの手帖』を思い出した。デモで配布されていた小冊子だ。そこに書かれた声明文には、「台所はもはや放射能と闘う最前線になった」「福島の子供はみんなの子供。okanは更年期とも闘うが、脱原発にむけても闘う」などの言葉が躍っていて、「なんかオカン、カッコいい!」と感銘を受けたのだが、「母」「女」はこういう時、「自分の現場」から、本当に等身大の言葉を発するのである。
それはデモなどでのスピーチでもそうだ。もちろん、男性も素晴らしいスピーチを多くしているのだが、国会前やデモに行き、心に強く印象づけられたのは、多くが女性たちの言葉だった。
「(前略)平和を誓って以後70年歩んできた唯一の被爆国として、また、震災から原発の仕組みとそれがもたらす悲劇を経験した国民として世界に発するメッセージは、戦争へつながることを許す法案なんかじゃありません。私たち日本人には世界に対して大きな責任があります。小さな子どもでも知ってるじゃありませんか。平和とは手を取り合うこと。握手するということ。傷つけたら謝ること。許し合うこと。分かり合おうとすること。違いを認め、力を合わせてともに歩んでいくことです。国のトップ同士がどうであれ、国民同士がつながっていくことができます。そうやっていけば、たどり着く先は戦いではないはずです。夢物語のように聞こえるけれど、誰もが生活の場でできることです」
この言葉は8月23日、東京・表参道での「戦争法案に反対する全国若者一斉行動」で19歳のこころさんが行ったスピーチからの引用だ。
また、7月24日の「安倍政権NO! 首相官邸包囲」では、国会正門前にて大学3年生の芝田万奈さんが以下のようなスピーチをした。一部引用である。
「未来を思うこと、命を大事にすること、先人の歩みから学ぶこと、そんな当たり前のことを当たり前に大事にする社会に私はしたいんです。家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せを、ベビーカーに乗っている赤ちゃんが私を見て、まだ歯の生えない口を開いて笑ってくれる幸せを、仕送りしてくれたお祖母ちゃんに『ありがとう』と電話して伝える幸せを、好きな人に教えてもらった音楽を帰りの電車の中で聴く幸せを、私はこういう小さな幸せを『平和』と呼ぶし、こういう毎日を守りたいんです。憲法を守れないこの国の政府は、『この道しかない』とか言って安倍政治を肯定しようとしています。平気で憲法違反するこの国の政府に、どうしたら国際社会の平和を構築することができるのでしょうか」
私自身、あまり「女性」という属性を強調するのは好きではないし、「命を生み育てる母だからこそ」というような言い回しには、「産まない/産めない」人への配慮不足が感じられ、時に抵抗を感じることもある。
しかし、「戦争法案」を通して語られた言葉の多くは、女性の場合、「命」そのものについて、そして日々の生活についてのものだった。だからこそ、多くの人に届いたのだろう。
今年は、戦後70年。その年月は、女性が「参政権」を得てからの年月ときっちり重なる。そう、70年前まで、女性には選挙権すらなかったのだ。意思表示する手段を奪われていたのだ。
一方、今回の戦争法案の反対世論の盛り上がりを受けて、比較されるのは「60年安保」だ。国会を取り囲む群衆の映像や、安倍首相の祖父である「岸信介退陣」というキーワードとともに語られるこの闘いはしかし、様々な書籍や当時の関係者の話を聞くと、「男性中心」の運動だったことが端々からうかがえる。
翻って、2015年夏の闘いは、決して男性中心ではなかったと私は思う。そもそも、キーパーソンはいても、リーダーだっていなかった。SEALDsには中心メンバーはいても「代表」はいない。そのやり方は、11年にアメリカのニューヨーク市で起きた格差社会への抗議デモ「OCCUPY WALL STREET」(ウォール街を占拠せよ)などと同じで、誰かの指示・命令で動くような運動とは一線を画している。
14年、世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャップ指数ランキングで、日本は142カ国中、104位だった。先進国の中で飛び抜けて男女格差が激しい国だ。経済活動への参加や教育など、項目は4つあるのだが、中でも「政治への関与」が129位と突出して低かった。
しかし、今、多くの女性たちは声を上げている。このまま行けば、来年夏には18歳が選挙権を得る。
「18歳選挙権は、安倍さんを政権の座から引きずり下ろす存在になると思う!」
この夏、高校2年生のあいねさんが「渋谷高校生デモ」(8月2日)で叫んだ言葉だ。
選挙権を得て、70年。
「女性の活躍」などと言いながらも、女性の支持率は低くなる一方の安倍政権。
女たちの動きが、今後、この国の政治の在り方をきっと変えていくはずだ。
熱い熱い夏が終わって、そんなことを思っている。