このように、「学生・若者の苦悩」が社会的に認知されるようになった背景には、一人の立役者の存在がある。その人は、大内裕和氏。中京大学(本部・愛知県名古屋市)の教授で、専門は教育学・教育社会学。奨学金問題とブラックバイト問題の第一人者だ。彼がいなければ、奨学金問題もブラックバイトも、いまだ「自己責任」ということにされていた可能性が高い。
そんな大内氏を私が初めて知ったのは、2013年10月に開催された「反貧困ネットワーク」(宇都宮健児代表)の集会でのこと。壇上で氏はたたみかけるようにスピーチした。
昨今は2人に1人の大学生が、奨学金という名の借金を背負っていること。その多くが「有利子」であること。例えば有利子で月に10万円借りると4年間で480万円、返還総額は上限利率3%だと約645万円以上になること。この場合、20年かけて毎月2万6000円以上返して、やっと借金から解放されること。
いまや奨学金は「金融事業」と位置づけられ、メガバンクと債権回収会社が儲かる「学生を食い物にする貧困ビジネス」となったこと。こうした状況が卒業後の若者たちの選択肢も狭めていること。結婚するにしても、2人合わせて1000万円の借金があったら尻込みしてしまうこと。
「では、大学など行かなければいいのではないか」
そんな意見があることも紹介しつつ、大内氏は続けた。1990年代前半の高卒者の求人は167万人。しかし、今は30万人程度。「それでは学費の安い国立大に行けばいい」という年配者の声にも触れつつ、2013年度の国立大学の初年度納付金が81万円以上であること、1969年と比較すると国立大の授業料は40倍以上も値上がりしていること、この間、物価の値上がりは3倍にとどまることなどの事実を羅列。そうしてOECD(経済協力開発機構)に加盟する世界の先進国34カ国中で、授業料が有料かつ給付型奨学金がないのは日本だけ、という衝撃の事実を述べたのだった。
どよめく客席。続けて大内氏は、ブラックバイトについても怒濤(どとう)の勢いで語り始めた。話の内容はもちろんだが、身振り手振りをまじえながらの話術は堂に入っている。私の頭に、「スター誕生」という言葉が浮かんだ。
あの集会から3年近く。それだけの期間で、奨学金をめぐる運動は大きな成果を勝ち取ってきた。2014年、延滞金10%が5%に。そして返済猶予期間が5年から10年に延びた。また、減額返済制度の申請処理が簡素化され、延滞者も返済が猶予できるようになる。かつ、それまで有利子ばかり増えていたのが、14年から無利子が増えて有利子が減るという変化もあった。
そうして安倍晋三政権が掲げる「ニッポン1億総活躍プラン」でも、給付型奨学金の創設方針が盛り込まれた。大内氏を始めとする人々が、声を上げてきた結果である。
そもそも大内氏が奨学金問題に気づいたのは、11年のことだった。ちょうどこの年に中京大学に赴任した彼が目にしたのが、奨学金の説明会に列をなす学生たちの姿。その多さに驚き、上記のような奨学金問題を調べてゼミで扱ったところ、学生たちが「この問題をなんとかしたい」と大内氏に相談にくる。そうして12年9月1日、「愛知県 学費と奨学金を考える会」が学生たちで結成される。
その後、サラ金問題などに取り組んできた弁護士や司法書士もこの問題に気づき始め、13年3月には「奨学金問題対策全国会議」の共同代表となった。そうした中で発見したのが、ブラックバイトの問題だったと大内氏は言う。
「学生たちと一緒に奨学金問題の活動をし始めてわかったことは、彼らがバイトで忙しくて集まれないってことなんです(笑)。ブラックバイトの定義とは、一言で言って『学生であることを尊重しないアルバイト』です。勤務シフトに組み込まれていて、自分で労働時間が決められない。試験前でも休ませてくれない。その背景には、企業が正規雇用労働者を減らす中で、非正規労働者が責任の重い仕事を担わざるを得なくなった状況がある。以前ならバイトの仕事は補助労働だったから、休んだり、辞めたりすることが比較的簡単だった。でも、職場で正社員の代わりに基幹労働を担わされるようになり責任も増した。年配の人は、バイトなのになんでそこまでって思うでしょうが、休めない、辞められない構造になっているんです」
また、コンビニなどで「恵方巻き」や「おでん」の売り上げノルマを課せられ、達成しないと買い取らせる自爆営業なども有名だ。
「キツいバイトは昔もあったんですけど、最近では考えられないことが日常的に起こっているんです」と大内氏。少し前であれば、大学生には塾の講師や家庭教師という「稼げるバイト」があった。時給3000円くらい、短時間なので学業とも両立しやすい割のいいバイト。しかし、ここでも「ブラック化」が進んでいるという。
「今では塾・家庭教師の平均時給は1200円台。そのうえ、就労時間外に教材作成や塾の運営会議への出席、生徒や保護者との面談をさせられるので、時給はもっと下がります」
このようなブラックバイトや奨学金問題の背景にあるのは、親世代の収入の低下だ。近年、家庭からの仕送り額は減り続け、首都圏の私大生の1日あたりの生活費は850円と過去最低。また、年収200万円以下のワーキングプアが1000万人という状況を受け、貧困ライン以下の家庭の出身者が大学に進学している状況もあるという。
「例えばシングルマザーの家庭で、年収170万円の世帯で私立大に来る学生もいる。私立大の初年度納付金は120万~130万円です」と大内氏。
当然親は出せないが、奨学金を月に10万円借りれば、学費はなんとかなる。が、それはそのまま借金としてのしかかる。生活費に加え、返済に備えて少しでも貯金しておきたいという学生の中からは、キャバクラや風俗産業で働く女子学生も出てくる。一方、奨学金を借りていない学生も、学費と生活費を自ら工面するためにそういった業界で働かざるを得ない現実がある。
「短時間で、ある程度稼げるアルバイトがほぼない。世帯収入が厳しい家庭出身の学生は、自分の身体を商品化せざるを得ないという実態があります。1980年代、大学はレジャーランドと呼ばれましたが、私は今、ワーキングプアランドと呼んでいます」
そこまで貧困が深刻でなくとも、「まわりとの格差」という問題がある。
みんなが留学しているのに、お金がなくて自分だけ行けない。みんなが行っているコンパやゼミ旅行にも行けない。友だちとお茶に行くお金もない――。これは、キツい。
私も「お嬢様大学」と呼ばれる大学で、そんな女の子に会ったことがある。パッと見は裕福そうな感じ。が、父親が失業中で、家族で生活保護を受けるか相談中とのことだった。まわりの女の子たちは、雑誌から飛び出してきたかのようなブランド物で固めたファッション。その中で、よくよく見れば彼女だけブランド物を身につけていなかった。
「友だちにお茶に誘われても行けないんです。この大学で『お金がない』なんて言えないからバイトがあるとかいつも断って。貧困って、人間関係が作れなくなるんですね」と彼女は言った。
お嬢様大学に通う彼女を、誰が「貧困」に悩んでいると思うだろうか。大内氏も、ある県の「いい大学」で、女子学生に「みんなこんないい服着てて、バイトしないわけにはいかないですよ」と言われたことがあるという。
ギリギリの貧困でなくとも、「まわりのみんなが当たり前にできていることができない」状況は辛い。それをなんとかするために、一部の女子学生が向かう先は、やはり「時給が高い」キャバクラや風俗だ。
さて、先にOECD加盟34カ国のうち日本だけが給付型奨学金がなく、授業料も無料ではないことを書いた。そもそもなぜ、この国は「教育」がここまで自己責任とされてきたのだろう。
大内氏は言う。
「20年ぐらい前までは、子どもを大学に通わせる家庭では、年功賃金と終身雇用の日本型雇用が多数派だったので、なんとか親が学費を負担できた。それだけの経済力が中間層にあった。また90年代前半までは大卒の就職は好調で、奨学金を借りても、正社員になればなんとか返せた。それが急速に崩れているのが今です。私は教育のプライバタイゼーション(私事化)と呼んでいるのですが、なんとかなっている間、みんな自分の子どもをいい大学に入れることには熱心だったけど、政府に対して、教育はパブリックなものだから教育予算を増やせという声は上げてこなかった」
結果、低賃金や不安定労働にさらされる若者が奨学金の返済に苦しんでいる。現在、返済を滞納しているのは33万人。「多い」と思うかもしれないが、貸与者の約1割だ。
「9割は返しているんです、いろんな無理をして」と大内氏。