「娘、まだ小6なんですけど、昨日一緒に話しました。おかしいよね、『あなた女の子だからって、学校のテストで一律10点引くって言われたら』って言ったら、娘、泣いてました。『私だって一緒に勉強してる。同じクラスで同じように男の子と勉強してるのに、何でそんなことされなきゃいけないの?』って。
6年生だってわかるんですよ。それなのに、どうしていい大人が、地位のある人たちがそういうことするんですか。そういうこと、もう終わりにしてほしいです。今なら、泣いて『大学行けなかった』って言った母の気持ちがよくわかる。私も娘に、『女だからって言われて諦めることないよ』って言いたい。精一杯自分の力伸ばして、自分の人生切り開いていいよって言いたい。でも、社会がそれを許さないんじゃ困るんです」
2018年8月3日、東京医科大学新宿キャンパス前で、マイクを握った女性が涙ながらに訴えた。同医大において、女子受験者に対し一律減点がなされていたと報道されたのはこの前日。女性は出産、子育てなどで現場を離れることが多い、激務に耐えられないなどの理由から、長年、女子合格者を3割以下におさえる操作が行われていたというのだ。
この日、急遽開催された抗議行動に駆け付けたのは100人ほど。参加した女性たちは「下駄を脱がせろ」「女性差別を許さない」などのプラカードを掲げていた。
集まった女性たちが指摘したのは、これは何も東京医大だけの問題ではないということだ。一般の企業でも、「女だから」「出産、子育てする可能性があるから」という理由で多くの女性が責任あるポストから外されてきた。数多のチャンスを奪われてきた。この日、スピーチした編集者の女性は、男が下駄を履いていることは知っていたものの、頑張れば同じ立場に立てると思ってやってきたのに、と涙ながらに話した。
しかし、「女だから一律減点」というあからさまな女性差別に対して、男女問わず「仕方ないんじゃない?」と言う人がいることもまた事実だ。女医という立場の人からも、子育てと仕事の両立のための環境改善という話ではなく、「確かに今の状況だと医療は崩壊する」と現状を追認するだけの発言があったり、あるいは「女が3割だったらその3割に入れるように頑張ればいい」「女はもっとしたたかでないと」なんてコメントをする人もいる。
そのようなコメントをする女性たちからは、「女が男社会に参加させてもらっている」という、謎の遠慮のようなものが垣間見える。そして同じようなコメントをする男性からは、「女を男社会に参加させてやってるんだから感謝しつつ遠慮もしろ」という本音が垣間見える。結局、「働く仲間」として、「社会を構成する一員」として、「女」はまだまだ対等に見られてなどいないのだ。そしてそのことを、医師という立場の女性でさえ、内面化しているのだ。
なぜ、内面化しているのか。それはそのように言われて育ち、そのことに違和感を持っていくら反発してもこてんぱんにブッ叩かれ続けた挙句、それ以上考えることを放棄したからだろう。思考停止したからだろう。
思えば、私自身もそのように育てられた一人だ。
冒頭のスピーチをした、私と同世代の女性は「娘に『女だからって言われて諦めることないよ』って言いたい。精一杯自分の力伸ばして、自分の人生切り開いていいよって言いたい」と訴えた。
しかし団塊世代の私の母は、「女だから諦めなきゃいけないことがある」し、自分の力で自分の人生を切り開く女であるより、「男に選ばれ、愛される女」「男社会を決して脅かさない女」であることを私に求めた。そのことは、団塊世代の母にとっては、娘が身につけるべき最低限の処世術だったのだろう。戦後すぐの日本に生まれ、地元の高校を出てから銀行に勤め、結婚して専業主婦となった母に、そしてその時代の女性たちに、「自分の人生を自分で切り開く」機会はおそらくあまりなく、また選択肢も「結婚して子どもを産む」以外はほとんどなかったはずだ。
そうして結婚してからは、夫や姑、親戚、近所など、世間の目が「嫁」を常に監視し続ける。少しでも逸脱しようものなら、「あそこの嫁は」と白い目で見られる結婚生活。そんな母は、だからこそいつも「世間体」をひどく気にし、私を含めた3人の子どもにも何よりも「世間体のよさ」を求めた。
そんな母の世間体を私がブチ壊したのは、高校生の頃だ。中学までは地味な優等生だったのに、高校生になった途端バンギャ(ヴィジュアル系ファンの総称)となり、ライブに行っては追っかけに明け暮れて、そのまま何日も帰らないようになったのだ。
真面目だった娘が、学校にも行かずに家出を繰り返す。それだけでなく、髪を染め、黒ずくめの服(当時のヴィジュアル系ファンはだいたい黒ずくめだった)に身を包んで、ゾンビのような厚化粧をしてほっつき歩く。そんな私を母は当然叱り、激しい母娘対立が続いた。
母はライブに行くことも、そのまま帰らないことも、学校に行かないことも怒ったけれど、「黒ずくめのカッコで家の近所をウロウロする」ことをこそ何よりも嫌悪した。
「○○ちゃん、あんなに真面目でおとなしそうだったのにどうしたの?」
近所の人にそう言われるのが怖かったのだろう。そのことによって自分の子育てが「失敗」したと評価されることが、何よりも嫌だったのだろう。
だからこそ、母は「子育ての失敗」の象徴である私の「黒ずくめの服」を矯正しようとした。そうして「服を買ってあげる」と甘い言葉で私を誘い出しては、皇族のような服を買おうとするのだった。それはパステルカラーだったりベージュだったりの清楚系で、服に花言葉があるとすれば、そのまんま「世間体」と名付けられそうなデザインのものたちだった。
当然、そんな服は着たくないので嫌がると、母は「わが家の世間体が悪くなれば、自営業である父の仕事に迷惑がかかる」ことなどを強調し、だからこそ、無難な服装をしろと言うのだった。
家出をしたり、学校に行かないことを咎められるのは理解ができた。しかし、「バンドが好き」でそれっぽい服を着ることのどこが悪いのかがわからなかった。「世間体」のためにそれを禁止されることだけは、どうしても理解できなかった。
その上、母は皇族のような服を私に勧めるたびに、「お父さんはこういう清楚な格好が好きなんだから」と言うのだった。それならば妻である母が夫好みの服装をすればいい話で、しかし、なぜか母は私を「父好み」にしたがった。そのたびに、なんとも言えない違和感が込み上げた。
なぜ、中学生までは勉強さえ頑張っていればよかったのに、突然「父好み」を要求されるのだろう? そういった「サービス」をしないと、学費や生活費を出してもらえないのだろうか? なぜ、勉強を頑張るとかだけじゃなくて、急に新たな「評価軸」ができているのだろう? 2人の弟には決してされない要求をされるのは、私が「女」だからだろうか?
結局、そんな窮屈な実家を私は18歳で出た。そうして、北海道から上京して一人暮らしを始めた。一人暮らしを始める時、母はまた「世間体」のことを言った。それは「一人暮らしの女」が世間からどう見られているかという話で、就職でも、会社によっては「一人暮らしの女」というだけで採用されず、実家から通勤する女性だけが採用されることもあり、「一人暮らしの女」には「遊んでる」などの偏見がつきまとうので気を付けるように、という内容だった。1990年代前半のことだ。
その話に、私はものすごくショックを受けた。女が一人暮らしをするだけで「男を連れ込んでる」「自由な性生活を謳歌している」というような目で見る「世間」のゲスな勘ぐりの視線に、しかもよりによって「女・一人暮らし」が就職で不利になるという現実に、虫酸が走る思いだった。その上、男の場合は当然一人暮らしかどうかなんてことなど問われないのだ。
これが差別でなくてなんなのか。生まれた場所が田舎だったら、都会に出れば一人暮らしをするしかないのに、「女」というだけで変な想像をされた上にチャンスさえ奪われる。そんなのって、あまりにも不条理じゃないか。
私は怒った。ものすごく怒った。
「そんなの絶対おかしいじゃん」
しかし、母は「世間はそういうものなのだ」と言うだけだった。
私はずっと、母と一緒に怒りたかった。世間にモザイク状に広がっている「女」への偏見や呪縛に対して、実際に理不尽な目に遭っている母と一緒に怒りたかった。怒りを共有し、「こんなのおかしい」と共感したかった。
だけど母は、諦めることに慣れていた。女だからという理由だけで黙らされることに慣れていた。というか、嫌というほど学ばされていた。
母はよく、父と結婚したばかりの頃の話をした。父の親戚と「政治の話」になった時のこと。