今回は、本連載『生きづらい女子たちへ』において2019年に更新される最後のエッセーとなる。ということで、19年を振り返ってみたい。
のちに「令和」と名付けられるこの年は、『週刊SPA! 』(扶桑社)の「ヤレる女子大生ランキング」の炎上とともに幕を開けた。「ギャラ飲み」と称される場で、持ち帰れる女子大生のランキング。おっさん雑誌なんかでよくあるこの手の企画がきっちり炎上したこと、それに声を上げたのが女子大生であったこと、名前を出された5大学が抗議声明を出したこと、そして編集部がすぐに謝罪したことが、「世の中は確実に変わっているのだ」という実感をもたらした。
そんな19年に起きた「#MeToo」やジェンダー絡みのトピックをざっと振り返ろう。
年明け早々の出来事として思い出すのは、NGT48のメンバーがファン男性による暴行を告白したこと。純烈のメンバーが過去のDV報道によって脱退、芸能界引退を発表したことなど。
2月には、麻生太郎副総理の「いかにも年寄りが悪いという変な野郎がいっぱいいるけど、間違っていますよ。子どもを産まなかった方が問題なんだから」発言があり、5月には、桜田義孝前オリンピック・パラリンピック担当大臣の「結婚しなくていいという女の人が増えている」「お子さん、お孫さんには子どもを最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」発言があり、どちらも大きな批判を浴びた。また9月には、人気お笑いコンビのメンバーが過去に売春斡旋で逮捕されていたことが報じられた。
その中でも印象深いこと。それは、令和元年は「コンビニからエロ本が消えた」年でもあるということだ。
それだけはでない。私の胸をもっとも熱くしたのは、全国各地で「フラワーデモ」が始まったことである。きっかけは19年3月、性暴力をめぐる裁判で無罪判決が4件続いたこと。うち2件は、実の父親による未成年の娘への性暴力だった。それに対して、「著しく抵抗が困難だったわけではない」などの理由から「無罪」判決が下されたのだ。
いくらなんでもこれはおかしいのでは。作家の北原みのりさんたちが「東京駅に集まろう」と呼びかけ、指定したのが4月11日。まだ肌寒い中、午後7時から9時にわたって開催された初のフラワーデモには約400人が集まり、奇跡のような空間が出現した。主催者のスピーチのあと、トラメガ(トランジスターメガホン)のマイクが開放されると参加者が次々とマイクを握り、自分の被害を話し始めたのだ。
話す人も、それを聞く人も泣いていた。声を、肩を震わせ、初対面の女性同士があちこちで抱き合っていた。多くが一人で参加していて、主催者の呼びかけに応じて花を手にしていた。
「裁判官に人権教育と性教育を!」
「おしえて! 性犯罪者と裁判長はどう拒否したらヤダって理解できるの?」
「#MeToo」
みんなが手にするプラカードに、そんな言葉が躍っていた。
子どもの頃、強制わいせつの被害に遭ったという女性がマイクを握り、言った。
「幼馴染みだった友人は、家庭内暴力の末に性虐待の被害にも遭って、24歳で自殺しました。助けてくれる大人はいませんでした。今日、たくさんの人が、花を持って集まってくれた。その花をどうか、生きられなかった私の友だちや誰かの友だちに、たむけてあげてください」
私の視界も涙で歪んだ。そんなフラワーデモはあっという間に全国各地に広がり、毎月11日、開催されるようになった。11月11日、8回目となるフワラーデモは札幌、青森、岩手、富山、東京、千葉、群馬、名古屋、岐阜、静岡、沼津、長野、松本、京都、大阪、茨木、神戸、奈良、兵庫、愛媛、広島、福岡、佐賀、熊本、鹿児島、沖縄、バルセロナ(スペイン)の27都市で開催された。
ここまでの広がりを見せたのは、多くの人が「安心して被害を語れる場」「安心して性差別などの問題を話せる場」を求めていたからなのだろう。そんなフラワーデモでは、男性が被害を語ることもある。
これまで被害を口にしても、多くの人が「あなたにも隙があったのでは」「あなたの服装や態度に問題があったのでは」という心ない言葉に晒されてきた。時に信頼していた友人や母親の口から発されるそんな言葉に、「やっぱり自分が悪いんだ」とどれほどの女性たちが打ちのめされてきただろう。セカンドレイプの心配なく話せる場。それがどれほど必要とされていたのか、フワラーデモに行くようになって改めて思い知った。
そんな19年、盛り上がりを見せたのは「#KuToo」である。靴と苦痛をかけた言葉で、クートゥー。グラビア女優の石川優実さんが始めたムーブメントだ。一言でいうと「職場でのハイヒール、パンプス義務付けはおかしい」という運動である。
これが大きな反響を呼んだことは多くの人が知る通りだ。6月、石川さんが厚生労働省に提出した署名は1万8856筆にものぼり、大きく報道された。
「なぜ、女性だけが仕事をする上でヒール、パンプスを強制されるのか」
おそらくみんなが思っていたけれど「それが慣習」とされていたことに巨石が投じられたのだ。そんな石川さんは海外メディアにも注目され、BBC(英国放送協会)「今年の100人の女性(100 Women 2019)」の一人に選出されてもいる。
「たかがヒールごときで」と言う人もいるかもしれない。しかし、私は「#KuToo」によって「ヒールの呪い」から解放された一人だ。といってもフリーランスの物書きである私は「職場でヒール、パンプスを義務付けられている」わけではもちろんない。が、今までずっと、心のどこかで「女たるもの、常にヒールのある靴を履かなければならない」と思い込んでいた。
そこには、今までの人生で刷り込まれた「呪いの言葉」が作用している。例えば、過去の友人(男性)の中には、とにかく通りすがりの女性にいちいち点数を付けないと気が済まない男がいて、そいつの一番厳しい目線は常に「靴」に向けられていた。
「ラフな格好でもいいけど、靴くらいちゃんとしろよ」
「あーあ、あんな楽そうな靴履いて」
「女なんだからヒールくらい履けよ」
ただすれ違った、視界に入った、というだけの女性に、その男は「評価」を下す。そいつによると、ヒールのない靴を履く女は「女をサボって」いて、女として「終わってる」ということらしかった。あまりにもひどい決め付けで、「じゃあいつも小汚いスニーカーのお前はなんなの?」と突っ込みたくなるが、その手の呪いを刷り込ませたのはそいつだけではない。
思い出すのは20歳頃のこと。ガラガラに空いた夜の上り電車の中で、目の前に座ったサラリーマン風の酔っ払いオッサン2人にしつこく足元をジャッジされたのだ。オッサンは、私の近くに座るハイヒールの女性の足元を絶賛し、ぺたんこのブーツを履いた私をボロクソにけなすのだった。私たちの目の前で。