Ⅱ「批評」の誕生——「様々なる意匠」について

小林秀雄 写真:毎日新聞社/アフロ
まず、小林秀雄が登場してきた時代の状況から整理しておきます。
何と言っても注目すべきなのは、昭和2年7月の芥川龍之介の自殺です。かつて平野謙が「昭和文学の出発は芥川龍之介の自殺にはじまる、といってよかろう」(『昭和文学史』)と書いていたように、この明治文学の最も正統な後継者であり(芥川は、夏目漱石の弟子であり、その推挙を受けて出発した作家でした)、また、人気・実力・教養ともに時代の先頭を走っていた作家の死は、時代に大きな衝撃を与えることになります。
芥川龍之介は、その遺書に「ぼんやりとした不安」という言葉を書き遺しましたが、その後、この「不安」をめぐって、様々な芥川龍之介論が書かれることになるのです。
なかでも有名なのは、『改造』の懸賞論文で一席を獲った宮本顕治の「敗北の文学—芥川龍之介氏の文学について」(昭和4(1929)年)でしょう。ただ、宮本顕治(後の日本共産党委員長)の芥川論自体は、その末尾が「我々は如何なる時も、芥川氏の文学を批判し切る野蛮な情熱を持たねばならない。〔……〕その階級的土壌(どじょう)を我々は踏み越えて往(ゆ)かなければならない」と結ばれていたことからも分かる通り、芥川龍之介の「不安」を、没落する小ブルジョワ知識人の限界と見て、それを来るべき社会革命によって超克しようと語るマルクス主義イデオロギー以上のものではありませんでした。
それに比べると、小林秀雄のデビュー作であり、また同じ『改造』の懸賞論文で二席を獲った「様々なる意匠」(昭和4(1929)年)は全く違っていました。「様々なる意匠」には、芥川の理知主義はもちろん、最先端のマルクス主義理論でさえ、すでに手垢のついたイデオロギーとして退ける、決定的に斬新な「批評」の基準が示されていたのです。
ここでは、小林の「様々なる意匠」を、その「批評」論に絞って適宜、縮約・再構成し、その内容を整理しておくことにしましょう。その際、注目すべきキーワードは、「直観」と「宿命」、そして、その両者が交差する点において現れる「批評」です。
まず、小林秀雄は、目の前にある作品に対する価値判断において、その意味解釈から近づく道を退けます。というのも、「意味」が、任意の「意匠」(立場=イデオロギー)において、それが有用(優秀)なのか無用(劣等)なのかという観点から導かれた人工的解釈でしかないからです。しかし、それなら私たちの意味解釈は、常にその相対性を免れないということになってしまいます。たとえば、フライパンは、料理を作る視点においては有用ですが、靴を履く視点においては無用です。つまり、対象作品に対して、その意味解釈から接近する限り、私たちは常に、作品よりも、その相対的な視点=立場=様々なる意匠を優越させてしまうのだということです。しかし、それなら「批評」は、作品そのものの絶対的な感受=固有の価値評価には決して到達できないということなのでしょうか?
その問いに答えて小林秀雄が語っていたのが、「作者の宿命の主調低音をきく」という方法、言い換えれば、私を超えて私を導く「直観」という方法でした。たとえば、小林は、「批評の可能性を悟る」までの道のりについて、次のように語っていました。
「芸術家達のどんなに純粋な仕事でも、科学者が純粋な水と呼ぶ意味で純粋なものはない。彼らの仕事は常に、種々の色彩、種々の陰翳(いんえい)を擁して豊富である。この豊富性〔作品の多義性〕の為に、私は、彼等の作品から思う処を抽象する事が出来る。と言う事は又何物を抽象しても何物かが残るという事だ。この豊富性の裡(うち)を彷徨(ほうこう)して、私は、その作家の思想を完全に了解したと信ずる、その途端、不思議な角度から、新しい思想の断片が私を見る。見られたが最後、断片はもはや断片ではない。忽(たちま)ち拡大して、今了解した私の思想を吞んで了うという事が起る。この彷徨は恰(あたか)も解析によって己れの姿を捕えようとする彷徨に等しい。こうして私は、私の解析の眩暈(げんうん)の末〔=眩暈を覚えるほど意味解釈を繰り返した果てに〕、傑作の豊富性の底を流れる、作者の宿命の主調低音をきくのである。この時私の騒然たる夢はやみ、私の心が私の言葉を語り始める、この時私は私の批評の可能を悟るのである。『小林秀雄全作品1』新潮社、〔 〕内引用者―以下同じ
最初、芸術家の仕事(作品)を目の前に、私たちは、それを対象の意味として解釈しようとします。が、それを試みた途端、私たちは目の前の作品の意味が、その視点によって「種々の色彩、種々の陰翳を擁して豊富」であるという事実に突き放されてしまうでしょう。しかも、その意味は、私が拾い残した「断片」によっても変化してしまい、結果、主体(批評家)による客体(作品)の「解析」は無限=不確定となってしまい、作品に対する価値評価は宙吊りになってしまうのです。しかし、そのときなのです、小林秀雄が、それでも「傑作の豊富性の底を流れる、作者の宿命の主調低音をきく」と言うのは。
とすれば、このとき直観されている「作者の宿命の主調低音」とは、私たちの意味解釈を超えた作者の生命、そのリズムとメロディーだと言うべきではないでしょうか。それは視点による価値評価ではなく、むしろ、作品と自分とが出会い、カップリングしたときに現れる〝視点なき調和の感覚〟、言い換えれば、未だ主/客の分割がはじまっていない有機的で持続的で全体的な「純粋経験」(西田幾多郎)とでも言うべきものなのです。
しかし、それなら、その作品とのカップリングは、批評家が、みずから主体的に選択したものでしょうか。そうではありません。それは、主体的で理知的な意味解釈の限界で、それでも作品に惚れ込んでしまった私の事実、それ以外の可能性を思い浮かべることのできない作品との宿命的関係、偶然的で飛躍的な作品との出会いのことを指しています。
次の引用は、人生の比喩で「宿命」を語った言葉ですが、それはそのまま作品と私との出会いを語った言葉として読むことができます。補足を挟んで引用しておきましょう。
「人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然(しか)し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可(べ)き事実である。この事実を換言すれば、人は種々な真実〔意味〕を発見する事は出来るが、発見した真実〔意味〕をすべて所有する〔生きる〕事は出来ない。或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息(せいそく)するであろうが、彼の全身を血球と共に循(めぐ)る真実は唯一つあるのみだという事である。雲が雨を作り雨が雲を作る様に、環境〔作品〕は人〔私〕を作り人〔私〕は環境〔作品〕を作る、斯く言わば弁証法的に統一された事実〔カップリングしている事実〕に、世の所謂(いわゆる)宿命の真の意味があるとすれば、血球と共に循る一真実とはその人の宿命の異名である」前掲書
ここに書かれているのは、まさに己の「直観」が、どのようにして己の「宿命」を導くのかについての考察です。意味としてなら、種々の立場から「種々な真実」を発見することもできる私は、しかし、その一回きりの人生において、全ての可能性を所有することはできません。いや、だからこそ私たちは、今、ここにおける一期一会の出会い、他者(作品)との邂逅において、意味を超えた「宿命の主調低音」に耳を傾けるのではなかったでしょうか。ボードレール全集全巻を読了し、それを分析=理解してからボードレールに惚れ込む人間がいないように、あるいは、友人や恋人の過去や性格の全てを知ってから、相手と付き合いはじめる人間がいないように、私たちは、常に既に、今、目の前にある他者(作品)との関係において、その「宿命の主調低音」を飛躍的に直観し、それに魅せられ、惹かれるところから、他者との関係を結ぶことになるのです。
とすれば、他者との関係の全ては、〈他者が私を作り変え、私が他者を解釈する〉といった循環的過程を辿るものなのだと言うべきでしょう。そして、その認識こそが、因果論的な分析が不可能になる地平を、つまり「世のいわゆる宿命の真の意味」を理解させると同時に、「意味」を超えた〈批評=表現〉の可能性を悟らせることになるのでした。
「人は如何にして批評というものと自意識というものとを区別し得よう。彼〔ボオドレール〕の批評の魔力は、彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に存する。批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。批評とは竟(つい)に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」前掲書
この「批評」についての圧倒的に斬新な定義、つまり「批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない」という認識は、しかし、これまでの議論を踏まえれば素直に理解できるでしょう。作品と私が出会ってしまったことの「宿命」を認める限り、「批評」においては、その作品を直観してしまっている私を語らざるを得ず、しかし、私を語ることにおいて、その私に直観をもたらしている作品を語らざるを得ない……、この循環の起点にあり、その循環を成り立たせている出会いの宿命性の自覚だけが、私と他者、批評家と作品とのあいだにある言葉を立ち上げるのだということです。
このとき自覚されたものこそ、主体による客体の価値評価を超えた営み、あるいは、「おのずから」な交わりを「みずから」言葉にする実践、つまり「批評」でした。