Ⅲ 保守の「自由」をめぐって——ベルクソンの「持続」からエリオットの「伝統」へ
かくして、その最初の本『意識に直接与えられたものについての試論——時間と自由』(1888年)で見いだされた特異な「自由」の概念は、その後もベルクソンを、近代科学が扱い切れない領域——記憶(『物資と記憶』1896年)、生命・進化(『創造的進化』1907年)・音楽・演劇・文学・絵画・笑い——の探求へと誘い、そのまま晩年の道徳宗教論(『道徳と宗教の二つの源泉』1932年)までを導くことにもなります。
が、繰り返しておけば、そこで語られていた「自由」は、近代的な「選択の自由」とは何の関係もありません。ここはベルクソン哲学の詳細を語る場所ではないので簡単に触れるに留めますが、たとえば、『道徳と宗教の二つの源泉』の次のような言葉は、ベルクソンにおける「自由」が、それこそ必然性の異名でもあったことを証しています。
「情動のうち最も静穏なもののうちへも、やむにやまれぬ行動への衝迫が入り込むことがある。〔中略〕それはたとえば、音楽的情緒の場合に見られよう。ある音楽に聴き入っている最中は、その音楽がわれわれにこうせよと告げる以外のことは欲しえないかの心地がする。またかりにじっと聴き入っているのではないとしたら、まさにその音楽の指示どおりに行動するのが自然で、どうしてもそうせずにはいられぬかの心地がする。その音楽の表現しているのが歓びであれ悲しみであれ、また哀れさであれ同情であれ、毎瞬間、われわれはそれが表わしているものになりきっている。〔中略〕道徳を創始した人々の場合もこれと同様である。そうした人々に対しては、生は、新しいシンフォニーを与えうるのにも似た、まるで思いもかけぬ感情(サンチマン)の響きを奏でる。彼らは、われわれをいっしょにこの音楽のうちへ引き入れるのであり、かくして、われわれはいわばこの音楽を行動に移すのである。」(『道徳と宗教の二つの源泉Ⅰ』森口美都男訳、中公クラシックス)
ここでは「どうしてもそうせずにはいられぬかの心地がする」という必然性の感覚が、そのまま「新しいシンフォニーを与えうるのにも似た、まるで思いもかけぬ感情(サンチマン)の響きを奏でる」という自由の感覚に受け渡されていることが分かるでしょう。
そして、この必然性に裏打ちされた自由の感覚は、同時に「民族の生命」とも一体となりながら、私たちに一つの持続感をもたらすことになります。つまり、音楽が、そのリズムを介して、過去の記憶を現在の流れへと引き入れているように、歴史もまた、「民族の生命」を介して、今、ここにある現実に過去の記憶を導き入れるのです。
「私たちが現在と過去とのあいだに立てる区別は、恣意的なものであるとは言わないまでも、少なくとも私たちの生活への注意がおおうことのできる領域の広さに相対的なのです。〔中略〕ある出来事がもはや直接に今日の政治に関係せず、それが無視されても政情に影響がない場合、それは過去に属して歴史のなかに入ります。その出来事の影響が感じられているかぎり、それは民族の生命と一体になっており、依然として現在なのです。
そうであるとするならば、私たちは現在と過去とを分ける線を、できるだけ後ろへもっていっても構わないことになります。生活への注意がじゅうぶんに強く、そしてあらゆる実際的な関心からじゅうぶんに解き放たれているならば、この注意は意識的な人間の過ぎ去った歴史全体を——瞬間的なものではなく、同時的な部分の集合としてでもなく、つねに現在にありつねに動いているものとして——分割されない現在のなかに包括することでしょう。」(「変化の知覚」『思考と動き』所収、原章二訳、平凡社ライブラリー)
しかし、だとすれば、ベルクソンの言う真に「自由」な人——芸術家や神秘家(宗教家)、あるいは、歴史に新しい飛躍(エラン・ヴィタル)を付与する人——は、そのまま「民族の生命」に貫かれた人でもあるとは言えないでしょうか。言い換えれば、外的なモノ(名誉・お金・権力など)への隷従を拒みながら、真に自立した「自由」な人間とは、意識を超えた〈持続=歴史〉に貫かれた人でもあるということです。
「〔自然のやってきた場所に遡り、自らの直観を深めようと努力できる魂〕にとっては、自分が、自分とは比較にならぬ大きな力を持った存在によって侵徹され——しかし自分の人格がそこへと吸収されてしまうのではなしに——、ちょうど鉄が火で灼熱されるのとも変わらぬと感じるだけで充分であろう。その時から、彼が生と一枚になったその様は、その根源力と自己との不可分性、歓喜に包まれた歓喜、ひたすらに愛であるものの愛となるであろう。〔中略〕明日の日を想い煩うことはもはやなく、安からぬ内心の気遣いももはやない。」(『道徳と宗教の二つの源泉Ⅱ』、森口美都男訳、中公クラシックス)
ここで注意すべきなのは、ベルクソンが、一般的な近代個人主義者(たとえばカント)とは違って、個人が個人の「理性」によって自律できるなどとは考えていない点です。
むしろ、ここで描写されているのはその反対の事態でしょう。自分のエゴを超え、ということは、自己と他者とを分割して打算する対他意識を超え、自分が本来やってきた「純粋持続」へと素直に帰ることのできる魂だけが、「自分が、自分とは比較にならぬ大きな力を持った存在によって侵徹され」ていることに気づけるのであり、その「大きな力を持った存在」に貫かれることによって、「明日の日を想い煩うこと」なしに、それがどんなに危険な一歩なのだとしても、未来への一歩を踏み出すことができるのです。
ベルクソンは、この〈純粋持続=直観〉を生きる芸術家=神秘家の系譜において、知的枠組み(神話・物語・教義・イデオロギー)によって人々の孤立感を糊塗しようとする「静的宗教」とは違う、「動的宗教」の本質を見ていましたが、後に、幾多の保守思想家たちが反応したのも、この「動的宗教」からの呼び声だったと言っていいでしょう。
たとえば、T・S・エリオットの次のような詩論も、ベルクソン哲学を背景としたとき、ようやくその輪郭を際立たせることのできる言葉ではないでしょうか。
「詩は、実際に活動している人にはとうてい経験と思われないような多数の経験が集中したものであり、集中の結果生まれたものである。しかもその集中は意識したりして行われるのではない 。こういう経験は『回想』されるのではなく、でき事にはおとなしく受け身になるというだけの意味で『平静な』雰囲気の中で結局結合するのだ。もちろんこれだけではない。詩を書くには意識と考慮を要することがたくさんある。事実、凡庸な詩人は意識しなければならないところでたいてい無意識であり、無意識でなければならぬところで意識しているのだ。どちらでまちがっても詩人は『個性的』になりやすい。詩は情緒の解放ではなくて情緒からの逃避であり、個性の表現ではなくて個性からの逃避である。」(「伝統と個人の才能」『文芸批評論』所収、矢本貞幹訳、岩波文庫、傍点引用者)
この意識したり計画したりできないままに受け身で引き受けられる「伝統」、その「伝統」に浸透されたとき初めて詩人は詩を書くことができるというのは、要するに「純粋持続」のなかに浸されている人間だけが、「創造性と新しさと予見不可能性」に触れることができるのだということと同義です。人が真に創造的であることと、「個性からの逃避」は矛盾しません。いや、むしろ「個性からの逃避」だけが、真の創造性を甦らせるのです。
とすれば、私たちはこう言うべきではないでしょうか。持続的な「伝統」を見失ったときこそ、人は真に断片化してしまうのであり、その個人的で反省的な知性のなかに孤立し、さらには「生」の手応えを失ってしまうのだと。後に、社会心理学者のエーリッヒ・フロム(1900~1980年)は、近代に現れた「資本主義」と「全体主義」について、それは、動いているもの(生)を、動かないもの(死)へと還元しようとする「ネクロフィリア」の欲望に憑かれていると語っていましたが(『悪について』1964年)、まさに「純粋持続」を切り落とし、世界を分割可能なモノとして扱い操作しようとする「近代思想」とは、私たちの〈生=自由〉の手応えを殺すネクロフィックな思想だと言うべきでしょう。
ベルクソンの近代科学への抵抗がそうであったように、「近代思想」に対する保守思想の抵抗もまた、この近代のネクロフィックな性格に向けられたものでした。私たちは、私たちの「無意識」を、つまり「伝統」を守らなければなりません。それだけが、断片化を加速していく近代に対して、私たちが私たちの〈持続=自由〉を守る方法なのです。
(註1)
ベルクソン自身、自身の著作の各所で、ゼノンのパラドクスについては繰り返し触れていますが、正確に言えば、ベルクソンに、この空間に還元できない時間の存在論について最初に考えるきっかけを与えたのは、ハーバート・スペンサーの社会哲学だったようです。スペンサーの「進化論哲学で主役をつとめる真の時間を、数学が見落としていることに驚いた」(『思考と動き』、原章二訳、平凡社ライブラリー)ことから自分の思索は始まっていると、その「思想的自伝」である『思考と動き』の「序論(第一部)」でベルクソンは回想しています。
