Ⅲ 日本人の「弱点」とは何か——河合隼雄と山本七平
ここまでの議論を一度まとめておくと、次のように整理できます。すなわち、「第一地域」の同質性によって西ヨーロッパと類似した「国民国家(共同体)」の凝集性を実現することのできた日本人は、なおそこで、超越神に支えられた「個人」の主体性(つくる)の契機よりは、人と人との「あいだ」に生成する関係性(義理と人情)——「つぎつぎになりゆくいきほい」として現れる「生命力(いきほい)」——を価値としてきたのだと。
では、日本人の「あいだ」にある「いきほい」とは一体何なのでしょうか?
たとえば、『義理と人情—日本的心情の一考察』のなかで源了圓は、その心の動きの根拠を、稲作農業に伴う聚落内での相互協力・贈与と反対贈与の互酬性のなかに見出していました。要するに、一つの好意に対する返礼(御恩と奉公)、そのギブ&テイクの循環と、その均衡感こそが日本人の「あいだ」を成り立たせている生命力であり、その限りで、〈義理を欠く〉のは、そのまま人と人との「あいだ」を壊すことであり、それはそのまま、呼びかけに呼応しない不道徳感や罪責感をも呼び起こすことになるのでした。
しかし、それなら次に、この「義理と人情」の互酬関係を「なりゆき」のなかで調整し、それを均衡させようと努力する主体の問題が立ち現れてくることになります。
果たして、ここに現れてくるものこそ、日本の「政治」(まつりごと)の概念であり、それを機能させるための日本的な「中空構造」でした。たとえば心理学者である河合隼雄は、丸山眞男と同じ『古事記』を分析した論考「『古事記』神話における中空構造」(1980年4月初出、『中空構造日本の深層』所収)のなかで、次のように語っていました。
「このような〔『古事記』神話の〕構造は、アマテラス=スサノヲの対立性を示すものではあるが、完全にどちらかを善なり中心なりとして規定せず、時にはどちらかがそうであるように見えても、次に適当なゆりもどしによってバランスが回復されることを意味している。このような傾向は『神代』を超えて人間世界にも持ちこされている。〔中略〕つまり、何かを中心におくかのように見えながら、その次にそれと対立するものによってバランスを回復し、中心の空性を守るという現象が繰り返し繰り返し日本神話に生じているのである。」
「日本の神話では、正・反・合という止揚の過程ではなく、正と反は巧妙な対立と融和を繰り返しつつ、あくまで「合」に達することがない。あくまでも、正と反の変化が続くのである。つまり、西洋的な弁証法の論理においては、直線的な発展のモデルが考えられるのに対して、日本の中空巡回形式においては、正と反との巡回を通じて、中心の空性を体得するような円環的な論理構造になっていると考えられる。」『中空構造日本の深層』中公文庫
たとえば、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの三神の内、なぜか『古事記』冒頭に挙げられる第一の神アメノミナカヌシの記述だけがないという事実、あるいは、アマテラス(天照) ツクヨミ(月神)、スサノヲ(素戔嗚)の三神の場合、日本人は情緒的には太陽より月の方を重視してきたにもかかわらず、なぜか『古事記』のなかにはツクヨミの物語がほぼ現れないという事実を示しながら、河合隼雄は、この「中心が無為である」日本神話のなかに、日本人独特の「中空構造」への嗜好を見出すのです。
男性原理(剣)と女性原理(勾玉)とのあいだに無為な「中空」(鏡)を配置し、それによって両者のバランスを取るという「中空構造」は、もちろん「天皇制」の構造(あるいは三種の神器の構造)でもありますが、それは日本の地域社会、政党組織、会社組織にでも見られるものだと言われます。が、河合隼雄の言葉で注意したいのは、その「中空」がエネルギー(信頼できる人格・生命力・素直さ)で充たされている限りは、均衡は保たれるが、その「中空」が文字通りのカラッポになってしまうと、そこには統合性のない「無責任体制」が現れるという指摘です。特に日本の「中空」性は、危機に際して、恣意的な権力の「中央への理不尽な侵入を許しやす」く、それこそが超越的な価値基準を持たない日本人(お人好しの日本人)の「欠点」だと言われることになるのです。
そして、このしばしば指摘されてきた日本人の「無責任体制」、あるいは、恣意的な同調圧力の問題は、たとえば、『「空気」の研究』(1977年)における山本七平の問題意識とも重なっていました。山本七平は、「空気」について次のように語ります。
「では、この『空気』とは一体何なのであろう。それは教育も議論もデータも、そしておそらく科学的解明も歯がたたない〝何か〟である。たとえば、最初にのべた『差別の道徳』だが、もし私の話を聞いた先生が、その実例をくわしく生徒に話し、こういうことは絶対にいけませんと教えても、その生徒はもちろん教師も、いざというときには『その場の空気』に支配されて、自らが否定したその通りの行動をするであろう。こういう実例は少しも珍しくない。私自身、いまの今まで『これこれは絶対にしてはならん』と言いつづけ教えつづけたその人が、いざとなると、その『ならん』と言ったことを『やる』と言い、あるいは『やれ』と命じた例を、戦場で、直接に間接に、いくつも体験している。そして戦後その理由を問えば、その返事は必ず『あのときの空気では、ああせざるを得なかった』である。」『「空気」の研究』文春文庫
この引用でも明らかだと思いますが、「空気」とは、私たち日本人が無意識のうちに醸成している同調圧力のことを指しています。が、それが時に病的に作用してしまうのは、言ってみれば、「空気」が、〈全体の調和=全体最適〉を考える合理性よりも手前で、目に見える〈半径5メートルの調和=部分最適〉を優先してしまうからにほかなりません。
では、その「空気」は、なぜ醸成されてしまうのでしょうか?
それについて、作家・演出家の鴻上尚史が面白い議論をしています。
2009年刊行の『「空気」と「世間」』(講談社現代新書)のなかで鴻上は、「空気」が醸成される理由を論じて、それは「世間」(阿部謹也による「世間学」を参照)が崩れているからだと言うのです。ここで「世間」の詳細について述べる余裕はありませんが、たとえば、鴻上の議論を河合の議論に接続させれば、次のように言うことができるでしょう。
つまり、共同体の均衡(①お互い様の互酬性と、➁その共通時間の記憶、また、③それに基づく長幼の序)が崩れ、それに伴って、人々の「あいだ」を調整するはずの「中空」(④その神秘性と、⑤それを基軸とした内と外の境界線)がカラッポになってしまうと、そこで規範を見失ってしまった個人は、その不安感から恣意的な権力を欲しはじめ、その欲望が「空気支配」(互酬性の実態を欠いた共同性=同調圧力)を作り出すと言うのです。あるいは、こう言ってもいいかもしれません。人と人との「あいだ」にある安定的な秩序が溶解したとき、緊急避難的に虚構された共同性、それが「空気」であると。
実際、山本七平は、臨在感的に把握されたモノへ過剰な「感情移入」によって「空気」が醸成されると言っていましたが、その過剰な「感情移入」自体が、たいていの場合、秩序が不安定になったときに誘発されるものでしょう。これまで保たれてきたウチとソトとの境界線が曖昧になったとき、何かに対する過剰な「感情移入」によって、あるモノを極端に祭り上げるか(浄化)、または、あるモノを極端に排除するか(不浄化)して、そこに新たなウチとソトの秩序=境界線を立ち上げること、それが「空気」の生成原理なのです。それゆえ山本七平は、これを「差別の道徳」とも呼んでもいたのでした。
戦意高揚スローガン
しかしだからこそ「空気」は、ときにとんでもない不条理を呼び込んでしまうのです。
真っ当な合理性が、ウチとソトとを折り合わせ、その「全体性」においてどのような行動が最適なのか、どのような振る舞いが整合的なのかを考えることなのだとすれば、見たくないものをソトに排除し、見たいものだけをウチに囲い込みながら、反論を許さない同調圧力の空間を作り上げようとするのは、どう考えても健康的ではありません。
『「空気」の研究』のなかで山本七平は、敵である鬼畜米英の全てをソトに排除しながら、そのウチ側を日本主義だけで満たそうとした大東亜戦争の「空気」(それによって、戦艦大和に不条理な特攻命令が出されたのでした)、公害に関わる全てのものをソトに排除し、環境にいいと聞けば何でも祭り上げる環境保護の「空気」、あるいは、戦前に関わる全てのもの(戦争・軍事・国家・伝統etc……)をソトに排除し、戦後に関わる全てのもの(平和・民主主義・進歩・人権)をウチに囲い込もうとする戦後の「空気」などを論じていました。が、これらの「空気」は、今もって私たちと無関係ではありません。
積極財政と関わるもの(MMT=現代貨幣理論など)に「バラマキ」「無責任」「将来世代へのツケ」などのレッテルを貼ってソトに排除し、均衡財政に関わるものを「道徳的にキレイなもの」としてウチに囲い込もうとする政治の「空気」、コロナウィルスに関わる全てのものをソトに排除し、医療に関わる全てのものをウチに祭り上げたコロナ騒動の「空気」などもまた、合理以前の「全体空気拘束主義」の傾向を如実に示しています。そして、山本七平は予言するのでした、「もし将来日本を破壊するものがあるとしたら、それは、三十年前の〔大東亜戦争の〕破滅同様に、おそらく『空気』なのである」と。
【註1】
実はこのあたりのことは、むしろ中国文学者・小説家の武田泰淳のエッセイ「滅亡について」などを読んでもらった方が、リアリティがあるのかもしれません。
武田泰淳は「鴎外の理知や、〔谷崎〕潤一郎の構想力や、古くは『平家物語』の琵琶法師の詠嘆」などを取り上げながら、彼らは総じて「亡国の哀歌をきく側にあったようである」、「彼らは滅亡に対してはいまだ処女であった。処女でないにしても、家庭内においての性交だけの経験に守られていたのである」と言う一方で、「中国は、滅亡に対して、はるかに全的経験が深かったようである。中国は数回の離縁、数回の奸淫によって、複雑な成熟した情欲を育くまれた女体のように見える」と言っていました。その点、日本など「第一地域」の人間は、「第二地域」における「世界の持つ数かぎりない滅亡、見わたすかぎりの滅亡、その巨大な時間と空間を忘れている」と言えるのかもしれません。