【連載第14回「空爆から20年後の旧ユーゴスラビアをゆく(1)セルビア編」もあわせてご覧ください】
1999年に米国が主導して行った、NATO軍によるユーゴスラビア空爆から20年。コソボで行われる「祝賀式典」をゴールに、セルビアからコソボへと移動する道すがら見えてくる、バルカン半島の現在。
セルビアとコソボのボーダー地域
2019年6月10日。この日はセルビア南部、コソボとの国境近くの都市であるブヤノバツの市役所で、シャイップ・カンベーリ市長にインタビューすることになっていた。カンベーリ市長は自らが首長を務めるブヤノバツを含むセルビア南部の3つの都市(ブヤノバツ、メドベジャ、プレシェボ)をコソボに編入させるべきだと、かねてより公言していたアルバニア系の政治家である。彼の主張は、アルバニア本国とコソボの合併を含めた、いわば大アルバニア実現への一歩となりかねない国境線変更であり、この考えは、バルカン地域に大きな変動を呼び起こす可能性がある。セルビアのみならずマケドニアやギリシャなど、周辺諸国にとっては脅威とも言える。
アポイントの時間まであと1時間となったところで、携帯電話に連絡が入った。市長からだった。「申し訳ないが、今日の取材を延期させて欲しい」
急な変更だった。「どうしたんです?」
「今からプリズレンに行かなくてはならなくなった。先方の市長に招かれたのだ」コソボ南部の都市、プリズレン市主催のイベントに急遽出席が決まったというのだ。
ほう、ここからプリズレンに向かうのか、そんな感慨が沸いた。プリズレンは16世紀から交易で栄えた都市である。民族が入り混じり、交錯したその歴史は古く、14世紀にはセルビア王国の宮廷が置かれていた。そこにオスマントルコが侵攻し、セルビア人は追われてムスリムが支配する町となった。やがて19世紀にはアルバニア人が流入して、コソボにおけるアルバニア文化の中心地となっていった。やがてアルバニア民族主義が盛り上がり、1878年にはこの地でオスマントルコの支配からのアルバニア民族独立を提唱するプリズレン同盟が結成された。言うなれば、バルカン地域のアルバニア独立運動を束ねた都市である。その磁力が141年経った今、再びセルビア南部のブヤノバツにまで及んでいるのだ。
果たしてブヤノバツの市長が、国境をまたいで隣国コソボのプリズレンに急遽、招かれるとは、どんな意味があるのか。
「今日は、そんなわけで時間が取れないが、明日ならばプリシュティナで取材に応じよう。市の車を手配するから、ブヤノバツからはそれに乗って来てくれればいい」と心なしか、高揚した口調でカンベーリ市長は言った。プリズレンでのイベントについても聞いておきたいので、それを終えてから取材できる方がむしろありがたい。コソボの首都、プリシュティナへの移動もバス代が浮いた。
プリシュティナの発展と、サッカーコソボ代表の躍進
ブヤノバツ(セルビア)からプリシュティナ(コソボ)まで、途中の入国審査を通過して、車で約2時間。この日は定宿にしているホテルAFAに投宿した。拙著『悪者見参』に記したが、元サッカー選手が営む美味いピザ屋がこの近くにあるのだ。
2008年のコソボ独立後に、欧米諸国から多額の開発援助が入ったプリシュティナは見違えるような発展ぶりである。20年前は町の中心部にあるグランドホテルが唯一の近代的な建物と言えたが、現在はこのホテルが最も古びた建物としてかすんでしまうほどに新しいビルが林立している。
夕食をとりに入ったレストランでは、テレビモニターの前に人が群がっていた。6月10日は、サッカー欧州選手権の予選が行われる日で、コソボ代表はブルガリアとアウェーで戦っている。
コソボサッカー協会はロシアW杯(2018年)の予選の直前、2016年5月にFIFA(国際サッカー連盟)への加盟が認められた。旧ユーゴスラビアに属する地域ゆえに当然ながらサッカーに対する関心は高く、そして選手のクオリティも高い。ただ、残念なことにW杯ロシア大会の本選でスイス代表として活躍したジャカとシャチリに代表されるように、コソボにルーツを持つ選手の多くがコソボ代表を選択しないのである。サッカーにおけるインフラの整備が充実には程遠く、移民や難民の2世、3世の選手は居住する西ヨーロッパの国の代表を選んでしまう。
そしてもう一つ、これが何よりも大きいのだが、コソボという国のアイデンティティーの問題がある。コソボ人という概念が、根付いていないのだ。コソボに暮らす多数派のアルバニア人のほとんどは、自分はコソボ人ではなくアルバニア人だと思っている。少数派のセルビア人もまた自分はセルビア人だと思っているし、他の少数民族もバラバラである。代表戦は国のために戦うという意志が大きな推進力になるのだが、2008年2月に多民族国家としてスタートしたはずのコソボでは、各民族は現在に至ってもひとつの方向を向いていない。
2016年、国際大会に向けてコソボ代表の初陣となったロシアW杯の予選結果は惨憺たるものとなった。グループIで初戦のフィンランドと引き分けたのみで、残り9試合は全敗。勝ち点1で最下位に甘んじたのだ。特に同じ旧ユーゴに属していたクロアチアとの一戦では、ホームであるにもかかわらず0対6という屈辱的なスコアで敗戦を喫した。「コソボ代表がヨーロッパで戦うにはまだ相当な時間がかかる」と感じたものである。
ところが、そこから3年、この小さなパブリックビューイングの会場で映し出される11人は見違えるような試合運びをしている。オランダの「フィテッセ」時代にチームメイトの太田宏介(現・名古屋グランパス)と仲が良かったというMFラシツァが前半14分に先制。後半に入り逆転を許すが、ここから粘り、MFムリキが64分に同点弾を決めると、勢いのままにロスタイムにFWラシャニが決勝点を叩き込んだ。かつてバロンドールを受賞した左足の天才・ストイチコフに率いられてアメリカW杯ベスト4に輝いた古豪ブルガリアを相手に、ほぼ全員がアルバニア系の選手で構成されたコソボは3対2という歴史的初勝利を決めた。
ビールをあおる観衆たちは新監督の手腕を称えて止まない。「シャランデスは大したやつだ。彼がチームを勝たせてくれた」2018年3月に代表監督に就任したスイス人指揮官ベルナール・シャランデスはスイスのクラブ「ヤングボーイズ」やアルメニア代表などを指導した豊富な経験を誇る。
指導者の存在はサッカーにおいて何よりも大きい。そしてもちろんそれは政治の世界においても。
自治権か、大アルバニアか
翌11日、指定されたカフェで待つこと30分。現れたカンベーリ市長は精悍な顔つきの54歳。政治家としてまさに働き盛りだ。
取材が延期になった理由、前日のイベントについて聞いた。
「1878年に開かれたプリズレン同盟を記念した式典があるので出席しろという電話が、プリズレンのムタヘル・ハスクーカ市長からあったのだ」やはり、プリズレン同盟に関するものであった。ハスクーカ市長はアルバニア「本国」とコソボの合併を公約に掲げる政党、「自己決定運動」に所属する政治家である。
「君も知っているとおり、コソボはかつてオスマン帝国の支配下にあった。
大アルバニア
本来のアルバニアとは、現在の領土にとどまらず、コソボ、ギリシャやマケドニアの一部も含むものであるという、アルバニア民族主義者による主張。
「本国」
コソボのアルバニア系住民によるアルバニアの呼称。
北ミトロビッツァ
コソボ北部、セルビアとの国境近くの都市。セルビア系住民が多数を占める。