今、コソボの愛国教育の中でこんな諺があるのを知っているか?『アメリカを愛するようにアルバニアも愛そう』」
なるほど、政府、民心ともに世界で一番の親米国ということを認めている。
「式典にはもちろん参加して祝賀する。コソボのハシム・タチ(サチ)大統領から招待状を受け取っている」空爆の被害国セルビア内の自治体首長であるブヤノバツ市長が嬉々として、それを祝う20周年式典に参加する。そのことに、いまだコソボを取り巻く不安と複雑さを感ぜずにはいられない。
コソボ国旗のない祝祭
6月12日。いよいよ、空爆20周年祝賀式典本番の日である。15世紀にオスマントルコと闘ったアルバニアの民族的英雄、スカンデルベックの像の置かれた広場にステージが設けられた。そこにビル・クリントン元米国大統領とマデレーン・オルブライト元米国国務長官が登場する。各国記者団と群衆はそれを取り囲み、アルバニア国旗と星条旗を振って称える。
おかしな風景である。多民族を表す六つの星と領土の形をモチーフにしたコソボ国旗ではなく、本来外国である二つの国の旗がひるがえるのだ。当然、マイノリティとしてコソボを構成しているセルビア人、トルコ人、ゴラン人、ボシュニャク人、ロマら、非アルバニア人の姿はここにはない。しかし、この日の報道で、その矛盾を指摘するメディアはいなかった。スピーチが終わると、2人の主役はパレードに先導されて移動する。オルブライトの銅像が新たに作られた場所に向かい、除幕式のテープカットをするのだ。
先回りをすると、人、人、人、またも星条旗とアルバニア国旗が林立する。やがて、高級車に相乗りしたクリントンとオルブライトがやってきた。白布が剥がされ、20年前に空爆を主導した人物の銅像が仰々しく開示された。
取り囲んだ群衆からは、歓声と拍手がまき起こり、一斉に報道陣のシャッターが切られた。20年前、中国大使館を意図的に“誤爆”し、非人道的なクラスター爆弾や劣化ウラン弾をセルビア全土に撃ち込んだNATO空爆を祝う式典は、この瞬間に完結した。
百歩譲ってアルバニア系メディアが祝うのは理解もできよう。しかし、外国のメディアが、イラク戦争やアフガン侵攻よりも前に国連を迂回して行われた軍事介入と、その後のコソボにおけるさまざまな不公正に何の疑義も呈さないのは、明らかにおかしい。多くの民間人までも殺傷したあの空爆が検証もされずに、正当性を与えられたまま世界に発信され続けていくのだとすれば、またも大きな矛盾を次世代に残すことになる。
ユダヤ系チェコ人としてプラハに生まれ、ナチのホロコーストから逃れ、アメリカで教育を受けて国務長官にまで上り詰めたオルブライトは、栄光に満ちたテープカットを終えると感極まったようにこうスピーチした。「私もまた難民であった」と。アルバニア難民に寄り添う意図を示した名演説に一見、思われる。しかし、彼女は気が付かないふりをしている。あの空爆がまた無数の難民を生んだということを。
大アルバニア
本来のアルバニアとは、現在の領土にとどまらず、コソボ、ギリシャやマケドニアの一部も含むものであるという、アルバニア民族主義者による主張。
「本国」
コソボのアルバニア系住民によるアルバニアの呼称。
北ミトロビッツァ
コソボ北部、セルビアとの国境近くの都市。セルビア系住民が多数を占める。