男性は「歴史や民族を超えて、ワールドカップで平和的熱戦が繰り広げられることをますます期待したい」と投稿をまとめているが、ならばこそ、鷲のジェスチャーは看過できないはずである。この投稿をすぐにリツイートしたコソボ大使館に対する忖度だろうか。本来、政治に対して公正中立を保ち、弱者の側に立つべきであろうNGOに所属する者として、このミスリードは軽率な投稿だと言わざるを得ない。
報道はなおも続いた。国末憲人氏(Globe編集長)による「朝日新聞Globe+」(6月27日)の「ロシアW杯『双頭の鷲』の背景は、こんなに深い」に至っては、まず、基本的な歴史認識がおかしい。「1990年代、ユーゴ全土は内戦状態に陥り、数々の虐殺が繰り返されました」とおどろおどろしく書いてあるが、ユーゴ全土ではない。セルビア、モンテネグロ、マケドニアでは血は流れておらず、スロベニアは10日で紛争が終結している。またボスニアは内戦ではなく侵略戦争としている。
そして、「激化を懸念した北大西洋条約機構(NATO)のセルビア各地への空爆による介入などを経て」と、アメリカが主導した1999年のNATOの空爆をコソボ独立のために正当化したような言い回し。この空爆がいかに不当であったかは、当時、西側諸国の大使館が早々に撤退する中、ベオグラードの日本大使館が毅然として残り、外務省本省にその不当性を打電し続けていたことからも理解できる。当時の大使館員によれば、あまりに不公正な軍事行動に、日ごろは米国追従の日本外交がさすがに独自性を貫いたのである。
NATO空爆によってセルビア治安部隊がコソボから撤退して、すでに19年が経過している。少しでもコソボを取材していれば、紛争後の長期間にわたって、コソボで被支配の立場に置かれてきたのはむしろ非アルバニア人の側であることが理解できるはずだ。記事には「セルビアはかつて、コソボに限らずボスニアやクロアチアなど旧ユーゴ各地で『民族浄化』と呼ばれる残虐行為を重ねたとして、国際社会の糾弾を受けました」と書かれているが、紛争中に民族浄化をしたのはセルビアだけではなかったことが抜け落ちている。一例を挙げれば、セルビア人もまた、クロアチアによる民族浄化に遭っている。
同記事は「両選手はサッカーでセルビアと戦いました」「セルビアへの抗議の身ぶりぐらい許されるべきだと考える人もいるかもしれません」と理解をしながら、一方で「セルビア側が警戒するのもうなずけます」と並べる。通説を切り取って、「どっちもどっち論」に落とし込んでおり、問題の本質をうやむやにしている。記事後半ではバランスを取るように「コソボ紛争も、セルビアを悪者扱いしてすべて片付くものではありません」と記しているが、鷲のポーズが、まさにその「セルビア悪玉論」の導入にされることに気がついていない。
千葉大学の岩田昌征名誉教授は訳著書『ハーグ国際法廷のミステリー』(ドゥシコ・タディチ著、社会評論社、2013年)の中でこう書いている。「今日の在特会の『ヘイトスピーチ』が下品なそれであるとすれば、世紀末90年代における中道リベラル市民や左派リベラル市民による大量かつ一方的かつ感情的なセルビア難詰は上品かつ崇高なカテゴリーを駆使した『ヘイトスピーチ』もどきであった」
セルビア人選手に対する鷲のジェスチャーの挑発を看過した上記の記事群は、まさに岩田教授の述べるところの、セルビア人という属性に対するヘイトスピーチへの加担と言えるだろう。
朝日新聞社には藤谷健記者のように、当時のコソボの現場をきっちりと取材した有能な人材がいるのに、なぜ確認を取らなかったのだろう。
国際社会に知られないセルビアの苦境
難民生活の辛苦を相対化したくないが、敢えて言えば、国外に追い出されたコソボ難民のうち、アルバニア系はいつでもコソボに帰還できるが、セルビア系難民は、コソボ国内に蔓延するアルバニア民族主義に阻まれてそれが叶わない。帰還はまったく進んでいない。かつてJリーグの大分トリニータ、FC町田ゼルビア、FC東京、セレッソ大阪で監督を務めたランコ・ポポビッチはコソボ西部のペーチ出身のセルビア人であるが、彼は、いまだに父親の墓参にも行けずにいる。
W杯開幕3カ月前の3月25日、セルビア政府のジュリッチ・コソボ担当局長が、北ミトロビッツァ(コソボにおけるセルビア人支配地域)での会合中、突入してきたコソボ特殊警察部隊によって強制連行される事件が起こっている。領土問題を争点とした交渉関係者が、もう一方の交渉関係者に誘拐されてしまうという、前例のない露骨な挑発行為であるが、こういう事実はほとんど国外では報道されない。
被害に遭ったジュリッチ局長は、筆者が日本からファックスで行った事実関係を尋ねる取材に対して次のように語っている。
「いきなりヘルメットを被った特殊部隊の警官が大人数で襲ってきました。これは、コソボ・メトヒヤのセルビア人に対する新たな『民族浄化』です。まったく非武装の人間を武装した特殊警察が襲うという行為を、警察側は私がコソボ入州手続きを遵守しなかったという説明で正当化しようとしました。
しかし、外国の関係者にも見せた書類が端的に示しているように、誘拐されたその日、私はコソボでの移動に関する合意を完全に遵守した形で現地に入っていたのです」
セルビア政府の閣僚がコソボを訪問する際には24時間前に通達するという協定があるが、今回セルビア側は75時間前に通達していたと主張している。言い分の違いはあるが、逮捕・拘束の手段が目に余った。
「今回の誘拐事件をきっかけに、コソボ現地でのセルビア人に対する『民族浄化』が完全に実施されてしまうとしたら、付近一帯をアルバニア人のみの国にしたい大アルバニア主義者には望ましいことでしょう。現在、コソボに住むセルビア人の人口は約12万人で、コソボ紛争前に比べて3分の1に減っていることを指摘したいと思います。ハーグのICTYでは、紛争中に多くのセルビアの民間人を殺害したテロ組織「KLA」の司令官が、何度も訴追されているにもかかわらず、一度も有罪判決が下っていません。それどころか、釈放後はコソボ・メトヒヤの暫定政権の高官や政党の党首になっています。一方の我々セルビアはICTYの正当なジャッジを受けられず、今でも窮地に置かれています」
繰り返すが、コソボでのこのような事件を顧みる限り、セルビア人の前で大アルバニアを意味する鷲のジェスチャーを行うことが、カズダンスのようなものだとはとても言えない。
ベルギー代表で日本代表とも戦ったアドナン・ヤヌザイという選手がいる。彼もまたコソボ出身のアルバニア人2世であるが、ちょうど4年前の夏に、コソボではなくベルギー代表を選んだことに対して、脅迫状が届いたと2014年7月8日付の「デイリー・メール」が伝えている。
こういうコソボ内のアルバニアナショナリストによる脅しが、ジャカとシャチリの行動に影響を及ぼしたことは想像できる。いささか強い筆致で描いたが、私は二人をただ責めることが本意ではない。二人はコソボ紛争時はそれぞれ6歳、7歳と幼く、本来ならほかの民族に対する直接の憎悪の記憶を持たずに済んだはずである。そんな彼らに鷲のポーズをさせた存在こそに問題がある。
FIFAの処分が下された後、アルバニアのラマ首相は二人の行為を支持し、罰金にあてるための募金の口座まで作った。FIFAがペナルティを科したにもかかわらず、本国(アルバニア)の首相がスイス代表を選んだ選手のその政治的パフォーマンスを英雄視し、内向きに利用する。
これでは若い世代に反省を促すどころか、再発が加速する。
コソボで安易にマジョリティの声だけを拾い、故国を追われて異国で苦労した移民2世という構図に押し込めるだけ、そんな報道が流布すれば、彼の地の民族融和はますます遠のいてしまう。
コソボ・メトヒヤ
旧ユーゴスラビア連邦セルビア共和国の一部に1945年に設立された「コソボ・メトヒヤ自治区」のこと。1963年には「コソボ自治州」に改称した。セルビアは2008年のコソボ共和国独立宣言を承認しておらず、コソボに対し「コソボ・メトヒヤ」という名称を常に用いている。