あらためて日本のユーゴスラビア、コソボ紛争の解説報道の危うさが浮き彫りになったと言えよう。発端は6月22日、サッカーワールドカップロシア大会、カリーニングラードで行われたスイス対セルビアの試合である。ゲームは前半セルビアが先制したが、後半にスイスが攻勢に出る。7分にMFジャカがミドルシュートを突き刺し、45分にはMFシャチリがカウンターで抜け出して逆転弾を決めた。問題はこのコソボ系アルバニア人の移民2世の二人が、それぞれゴールのあとに見せた行為である。両掌を胸の前で交差させてパタパタと扇ぐジェスチャー。テレビ画面にそれが映し出されたとき、私は思わず「もうここでそれは止めてくれ」とひとりごちた。
それはアルバニア国旗にある双頭の鷲を示すもので「大アルバニア主義」を表すポーズだった。試合会場においての政治的主張を禁じているFIFA(国際サッカー連盟)はこれを問題視したが、これに対する日本の報道には、「あれは政治主張ではない」「カズダンスのようなもの」という論が散見され、さらには、紛争当時の「セルビアバッシング」を無自覚に再生産する稚拙なコラムまで登場した。鷲のポーズがなぜ問題なのかを記す。
セルビア、アルバニア、コソボの複雑な対立構造
本連載第5回にも記したが、大アルバニア主義の脅威が目に見える形で突き付けられたのは、まさにサッカースタジアムだった。2014年10月14日、ヨーロッパ選手権の予選でセルビアとアルバニアがベオグラードで戦っている最中、上空から、コソボとアルバニアを合併させ、さらにはギリシャやマケドニア、モンテネグロの一部にも領土を侵食させた大アルバニアの地形と、双頭の鷲の図がドローンに吊り下げられて飛来した。
セルビア人にとってコソボは13世紀から数多くの宗教施設が建設されてきた聖地であり、08年2月にコソボ独立宣言がなされた後も到底それを認めがたいほど重要な土地であった。
そんな対立構造の渦中にかようなドローンを飛ばすよう指示したのは、アルバニア首相の弟、オルシー・ラマであったとして後に逮捕されている。
ドローンが現れた瞬間、ピッチ上は騒然とし、激怒したサポーターがなだれ込んで乱闘が始まった。
セルビアは最初に挑発を受けた側だが、CAS(スポーツ仲裁裁判所)の裁定ではなぜか、セルビア側のサポーターがアルバニア選手に暴力を振るったという理由で「アルバニアが3対0で勝利」となった。この裁定は後の予選に大きく響き、結果、アルバニアが16年のヨーロッパ選手権に進み、セルビアは敗退となった。
さすがにW杯の警備は厳重で、今回は空から何かが飛来することはなかったが、当の選手が、FIFAの禁じる「政治的なアピール」をした格好だ。
ジャカはさらに自身のインスタグラムにこのポーズの写真と「セルビアは好きじゃない。僕はコソボのことを考えている」というコメントを載せている(後に削除)。これにはスイスの右派、元々移民受け入れに反対をしている国民党の政治家たちも「スイス代表として戦っているのに」と批判している。FIFAも即座に調査を開始した。
“公正さ”に対するセルビアのトラウマ
セルビア側からは、試合そのものも公正であったかどうかという不満が出ている。後半21分に、先制点を上げていたセルビアのFWミトロビッチがペナルティーエリア内で二人のスイスDFに挟み込まれて倒された。PKかと思われたが、ドイツ人審判は笛を吹かなかった。猛抗議をするも覆らず、セルビアのキャプテンであるコラロフは試合後にこう言った。「スイス戦の審判にドイツ人を持ってくるか? それは我々の試合にモンテネグロ人を持ってくるようなものじゃないか」
スイス人とドイツ人、セルビア人とモンテネグロ人が、それぞれ言語や宗教、文化的に近しい民族同士であることを引き合いに出し、この試合ではアジアかアフリカ、南米のレフェリーを使うべきではなかったかと、FIFAに対して訴えた。
試合後にセルビアの監督クルスタイッチが言ったコメントが象徴的であった。「勝利を盗まれた。私なら、主審にイエローカードもレッドカードも出さずにその代わり、(オランダの)ハーグに送り(ICTY、旧ユーゴスラビア国際戦争犯罪法廷で)裁判にかける。我々(セルビア人)がそうさせられたように」
どんなチームでも負け試合では審判への不満を訴えることがある。ただセルビアがここまで反応するのは、ICTYという負の前例があるからだ。コソボに関して言えば、アルバニア系武装組織「KLA(コソボ解放軍)」の指揮官であったラムシュ・ハラディナイは、軍人時代にセルビア人に対して行った戦争犯罪について何度もICTYに訴追されているが、その都度、法廷で退けられている。そして現在もコソボの首相を務めている。「難民を助ける会」の長有紀枝理事長が言うように、ICTYは、ほぼセルビア人を中心に有罪として裁いてきた。このため、「不公平」が絡んだ文脈ではすぐにICTYが使われるのである(連載第7回)。
「鷲のポーズ」の政治性とは
FIFAの規律委員会の調査の結果、ジャカとシャチリに対して出場停止処分は下されず、罰金のみ(一人当たり1万スイスフラン≒111万円)が科せられた。これはお咎め無しに等しく、セルビア側にも監督などの発言について同様に罰金が科せられたので、どっちもどっちという印象を周囲には与えている。
ジャカとシャチリはこのゴールパフォーマンスを行った理由を「両親がルーツとするコソボへの敬意のため」と口にした。
コソボ・メトヒヤ
旧ユーゴスラビア連邦セルビア共和国の一部に1945年に設立された「コソボ・メトヒヤ自治区」のこと。1963年には「コソボ自治州」に改称した。セルビアは2008年のコソボ共和国独立宣言を承認しておらず、コソボに対し「コソボ・メトヒヤ」という名称を常に用いている。