Y.S.C.C.横浜は『ボールで笑顔、ボールで世界平和』、『地域はファミリー!』を合い言葉にさまざまな活動をしている。吉野は「我々のクラブの理念からすれば、ピエリアンアウン選手を受け入れることも十分考えている」と語った。
それは、ただサッカーをするのではなく、このスポーツを通して地域や社会の問題を解決していこうというクラブポリシーである。これまでも横浜の「ドヤ街」といわれる寿町に暮らす人々への就労支援などを行ってきた。ウェブメディア「オルタナS」がY.S.C.C.の活動を紹介したレポートにはこうある。
「今年はSDGsをテーマにこの大会(編集部注:横浜開港記念サッカー大会)を企画した。大会は終日かけて行われるが、エキシビジョンとして、午前は『貧困から豊かさへ』をテーマにしたミニゲームを開催。/参加したのは、アフリカやガーナ、ナイジェリア、中国、韓国など外国籍を持って日本に滞在している人と同クラブに所属する外国籍選手たち。言語も文化も異なる人どうしが、ボール1個で、笑顔で交流した。/午後のテーマは『平和』。日本の三大ドヤ街として知られる寿町の交流センターで働くスタッフと沖縄で不登校児向けの支援活動を行う職員らが参加した。」(2019年11月27日「サッカークラブ『YSCC横浜』がSDGsに取り組む理由」)
下記はこの記事に添えられた吉野のコメントである。
「ぼくらはグラウンドを持っている学校などに許可を得て、活動ができている。だからぼくらからも何かを還元したい。街の課題を考えたときに、寿地区住民の健康課題を知った。ベイスターズもマリノスも入り込まない寿地区が、ぼくらを呼んでくれるのであれば倍にしてお返ししたい」(同上)
サッカーで世界平和を、という理念を体現する分厚い活動実績を持つこのクラブがピエリアンアウンの存在を知ったとき、真っ先に手を差し伸べようとしたのは必然とも言えよう。事実、吉野はスポンサーのひとりにこう言われたという。
「今までのY.S.C.C.の活動を見ていたら、ミャンマーの難民選手の救済に向かう、という流れは至極当然だと思う。吉野さん、応援してあげなさいよ」
吉野は日本サッカー協会に、ピエリアンアウンのような背景の選手をもしも登録するとなった場合、何がポイントになるのかを問い合わせていた。ヨーロッパではよくあることでも、日本サッカー界では初めてのケースである。
協会から得られた回答は、「難民認定申請と選手としての登録は別である。選手としては、祖国、つまりは前の所属クラブにおける残存契約などの問題がクリアできるのであれば、あとは、就労ビザが取れるか否かが問題である。それが取得できれば問題はない」というものであった。
現在ピエリアンアウンが所持しているのはW杯予選出場のための短期滞在ビザであるが、これが特定活動可能な就労ビザに切り替われば問題がない、ということである。前所属クラブとの関係を言えば、昨年の12月以来、給料が支払われておらず、2月のクーデターの影響で国内リーグも中断したままであることから、これも問題がない。パルチザン・ベオグラードに所属していた浅野拓磨が給料未払いを理由に、ボーフムへの移籍を移籍金なしで行ったことを見ても明解である。
また「FIFA規則の中に、選手としての地位保全を考えた時、危険な状態にある祖国を脱出した選手がいた場合など、ITCという国際移籍の手続きをスキップできるという項目がある」という。これなどは、やはり命の危険から逃れて難民となった選手を救済する措置としてFIFAがすでに規約整備をしている証左である。
印象に残った日本代表選手は「南野」
ピエリアンアウンは自ら、難民認定申請用紙を書き上げると、近所の空き地でしばし、ボールを蹴った。
「日本代表との試合の感想は?」
「ミャンマーとはとても大きな実力の差を感じました」
ピエリアンアウンは2010年にプロになり、2013年にミャンマーのユース代表、2017年にはA代表になった。いわば順調にステップアップしてきたエリートであるが、極めて冷静に彼我のギャップを観察していた。
「でもかつてはビルマ人が日本人にサッカーを教えてくれていたのを知っている? チョウ・ディンという人が100年前に来日して、竹腰重丸さんという日本代表の選手や監督を育てたんだよ」
「聞いたことがあります」