日本の中で、ヤマトゥンチュウの下に琉球人がいて、その下に台湾、朝鮮という植民地支配の構図があった。沖縄や中国、韓国へのヘイトスピーチを見ると、関東大震災から100年経った今でも基本的には変わってないですよね。
「人殺しの訓練」を見た衝撃
――文学との出逢いについてと、基地の問題に向き合われた時期を教えていただけますか。
目取真 エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を高校2年生で読んだのが転機になりました。その頃からもう、自分は小説なり詩なりに関わって一生を生きていくんだと思っていました。大学に入ったら、社会運動との関わりが出てきました。琉球大学の国文科に入るのですが、ここは(ジャーナリストの)新川明(あらかわ・あきら)氏などの出身学科で、昔から学生運動の中心でもあったわけです。米軍統治時代、英文科は行政や銀行などの就職に有利でした。それに対し国文科は反骨芯の強い学生が多く、それは施政権返還後も続いていました。
基地問題に関わるようになったのは、大学に入って喜瀬武原(きせんばる)とかの米軍演習の現場に行ってからです。それまで住んでいた今帰仁村(なきじんそん)には基地がなかったので、軍事演習を目の当たりにして受けたショックが大きくて、現在に至る行動にもつながっていく。住宅地のそばで米兵が銃火器を使い人殺しの訓練をしている。そして、住民が被害を受ける。沖縄の現実を目の当たりにした。
ベトナム戦争時には、沖縄から米軍の戦闘機や爆撃機が出撃している。ベトナムで無辜の市民に対して空爆が行われて、枯葉剤が撒かれた。米軍機はどこから飛んで来るんだと。いくら憲法9条があっても日本は平和国家じゃないというのがわかります。自分の目で確かめないといけないというのが、身に沁みました。
それと、1995年に3人の米兵による小学生女子に対する暴行事件が起きました。このときも日米地位協定によって日本側への加害者引き渡しが拒否される。それ以降も同じような事件が何度もあって、沖縄にいれば新聞やテレビから、否(いや)が応でも目に入ってくる。
基地の前で座り込みをやったからといってすぐに解決できるわけでもない。でも頑張っている人たちがいるのに黙って家の中にいるわけにいかないという気持ちになるんです。実際に闘っている人と接することで学びや励みを得ています。
沖縄の人たちは、辺野古の基地問題がなければ、浜やゲート前で座り込みを続けた7000日を自分の人生のためにもっと有意義に使えたわけですよ。名護市民がいかに膨大な時間を奪われ、日常の幸福を浸食されているか。これこそが私は、基地がもたらす最大の問題だと思っています。これ(座り込み)はもっと続いて10000日を超えるかもしれません。自分が80歳になるまで、ずっとこれに関わるかと考えたら本当に気持ちが重くなります。しかし、やめるわけにはいかない。
沖縄における文学と言語
――作家がどの言葉を駆使して作品を書くかというのは大きな命題かと思います。僕は、後に「ウルトラマン」シリーズの脚本家となる金城哲夫(きんじょう・てつお)さんが脚本・監督を務めた自主映画『吉屋チルー物語』(1962~63年製作)を拝見したのですが、全編ウチナーグチでした。いわゆる日本文学の中に、沖縄のその文学というものが、どういうふうな位置づけなのか。日本文学に入っていたほうがいいのか、あるいはまた別のものとして決裂していたほうがいいのか。それもこの機会にお伺いしたいと思います。
目取真 例えば、大城立裕(おおしろ・たつひろ)さんは、日本の言葉では表現できない沖縄独自の表現を付け加えることで、日本文学を豊かにする、ということを言っていました。
歴史を遡って考えれば、沖縄が明治政府に暴力的に侵攻されたときに、沖縄の言葉も日本語の体系の中に組み込まれたんですよね。琉球語は近代言語として確立する前に日本語のなかに「方言」として組み込まれ、さらに無理やり日本語教育をして「方言札」まで使うことで、沖縄語の撲滅が図られた。国家統合されていく中で沖縄語は抑圧され、その過程で生まれたのが沖縄文学なわけです。戦前は小説家を志した人は東京に出ていった。
日常的に使っている母語としての沖縄語と、表現の手段としての日本語、その狭間で活動するというのは、沖縄の書き手が抱えてきた問題だったわけです。さらに、沖縄の中でも首里・那覇が中心で、沖縄島北部や宮古・八重山、与那国の言葉は少数派だから、そのまま書いてしまうと、沖縄の中でさえ理解されません。
――なるほど。
目取真 結局、日本語の日本文学の中に組み込まれてしまうわけですよ。日本文学の1ジャンルとしての、沖縄文学という形で。それはやっぱり政治とも関わっていて、沖縄語が一つの言語として確立するためには、国家なり、あるいは自治体として独立というところまでいかないことには難しいと思いますよ。消滅の危機にある言語をどう継承し、表現していくかは、世界の先住民の共通課題でもあります。
蛮行が消され、美談が消費される世界で
――沖縄に対する差別は減少するどころか、どんどん酷くなっているように思います。この21世紀になってからの空気の変化をどう見ておられますか。
県民投票
2019年2月24日に投開票された「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」。賛成19.0%、反対71.7%、どちらでもない8.7%。
無産党
無産政党。明治末期~昭和前期の日本で、労働者や農民などの無産階級の利益のために活動した政党の総称。
鉄血勤皇隊
太平洋戦争末期の沖縄で、戦闘要員として動員された14~17歳の男子中学生による学徒隊。
「方言札」
標準語の使用を強制させるため、学校で方言を話した者に、罰として首から下げさせた木札。各地にあるが、特に沖縄で厳しく行われ、明治末から第二次大戦後まで用いられた。(『デジタル大辞泉』〈小学館〉より)
大龍柱
首里城正殿、正面階段の両脇に建てられた龍の形の彫刻柱。