目取真 日本は世界の先進諸国やアジア諸国の状況と違う。基地問題だけでなく、韓国にしろ、台湾にしろ、アジアの国はどこも、独裁政権のもとで血を流しながら民主化を実現していった。しかし、日本の戦後はそうではなかった。そのためかこの島国だけが、異空間になっているんです。作家も自分たちの役割はせいぜい集会とかで発言するくらいでいいんだみたいな感じじゃないですか。アジア諸国の民主化運動では、拷問や投獄を経験しても書き続けてきた作家がいくらでもいます。
こんなに多くの情報が入ってくる時代なのに、入管法を含めてこれは酷いと思う法律がどんどん通っていく。「台湾有事」を口実とした軍事拡大にしても、どれだけのリアリティがあるかきちんと検証しないといけないのに、既成事実が進んで、自衛隊を配備することが当たり前みたいになっていく。ひろゆき氏も含めてネットで沖縄の基地問題についての討論をしていましたけれど、お話にならないぐらい低次元ですよ。背景も歴史も知らない。
――ひろゆき氏は、もともとは普天間の基地があった周りにあとから来た住民が住宅を造った、などのデマを配信していました。
目取真 辺野古の運動を叩いて、抗議している人を馬鹿にすれば、喜ぶ人たちがいて、そういう差別的な動画が何万回も再生されて炎上商法みたいな形でカネを稼ぐ。それが普通に行われる時代になってしまいました。
――基地の合理性を議論する以前にまったくのデマが流されています。反対運動を冷笑し、しかもそれをビジネスにしている。
目取真 もう少しまともな判断力があれば、この辺野古の新基地に軍事的な合理性はあるのかと考えられるはずです。広島のG7サミットに現れたゼレンスキー(ウクライナ大統領)は、さらなる武器支援を要請し、戦闘機が欲しいとまで言っていました。しかし、オスプレイが欲しいとは言わないじゃないですか。役に立たないことが分かっているんですよ。米軍はアフガニスタンでもオスプレイを前線には出さなかった。図体がでかくて速度の遅いオスプレイは携帯ミサイルで狙い撃ちされますよ。滑走路の短い辺野古新基地は、大型輸送機の運用もできません。米軍は辺野古新基地か完成しなくていい、工事が長引いた方が普天間基地を使い続ける理由となる、と考えていると思います。
辺野古新基地建設やアメリカの武器を購入するのに使う膨大な予算を、学術振興や先端技術の開発、教育や少子化対策に回すべきだし、そうしないと日本は自滅の道を転げ落ちるだけです。
(注)2023年8月27日にオーストラリア北部で訓練中のオスプレイが墜落し、3人の米海兵隊員が死亡している。
沖縄北部出身というバックボーン
――目取真さんの活動において、沖縄北部出身という原体験が大きいと伺いました。
目取真 外から来るとなかなか見えないかもしれないけれど、沖縄内の差別もあります。北部は南部の首里・那覇とは違い、貧しい過疎地域です。
(昔は)那覇の人が落ちぶれて北部に来ても、「自分たちは『サムライ』の子孫だから、農民とは結婚できない」というような時代がありました。海兵隊基地を北部に集中させる発想にも、ヤンバル(北部)への差別意識が根底にあります。
沖縄島北部を治めていた北山王は15世紀に首里に滅ぼされ、北部は首里の支配下に置かれました。何かと言えば首里城がもてはやされますけど、私から見ると、首里城は庶民支配の象徴です。城壁を見たら、この石を当時の農民が畑仕事もあるのにかり出されて、石を割って運ばされ、積まされていたことを感じるんです。焼失した首里城の復元事業で、大龍柱(だいりゅうちゅう)が正面を向いていたのか、横向きで向かい合っていたのか議論しています。正面を向いているのが、琉球併合以前の「琉球本来の姿」とも言われていますが、私にすれば、例えば龍が正面を向いて見降ろしているということ自体、権力者が、庶民を威嚇して従わせているということ。
沖縄島のなかで首里からは差別的に扱われていた北部・ヤンバルに生まれたことや、障がいを持つ幼馴染をいたわっていた父、貧しい人たちを助けていた祖父母の影響は大きいと思います。
――お父様だけでなく、お祖父様も頼って来られる方を加護して、いろんな社会活動をされていたのですね。
目取真 父方の祖父で喜三郎、と言います。(後に共産党の指導者となる)徳田球一が名護の出身なんですが、大正のはじめぐらいにはまだ地元にいて、そこで「あけぼの会」という学習サークルを作っていて、祖父はそこに通っていたようです。そして大阪の西成に出ていくわけです。1920年代30年代の大阪で、琉球人解放とか、無産党の活動をしていたんですよ。そんな中でいろんな地域を転々として、私の祖母と知り合ったんです。
祖母は神奈川に出て紡績工場で働いていましたが、関東大震災が起きる半年ほど前に沖縄に帰って来ました。当時(震災後)は朝鮮人の虐殺が起こり、沖縄の人も標準語をうまく話せないから、自警団に疑いをかけられて殺されそうになったりしました。
父親は沖縄戦で鉄血勤皇隊として戦っていましたが、一緒に山の中で逃げていた日本兵に殺されそうになった体験を話していました。沖縄戦のときは米軍よりも友軍(日本軍)のほうが怖くて、実際に日本軍に殺された人もたくさんいます。そんな話を私は直接、聞いてきました。
県民投票
2019年2月24日に投開票された「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」。賛成19.0%、反対71.7%、どちらでもない8.7%。
無産党
無産政党。明治末期~昭和前期の日本で、労働者や農民などの無産階級の利益のために活動した政党の総称。
鉄血勤皇隊
太平洋戦争末期の沖縄で、戦闘要員として動員された14~17歳の男子中学生による学徒隊。
「方言札」
標準語の使用を強制させるため、学校で方言を話した者に、罰として首から下げさせた木札。各地にあるが、特に沖縄で厳しく行われ、明治末から第二次大戦後まで用いられた。(『デジタル大辞泉』〈小学館〉より)
大龍柱
首里城正殿、正面階段の両脇に建てられた龍の形の彫刻柱。