経済にも同じことが当てはまる。「出口戦略」だ。スポーツ選手と同様、経済にも好況・不況の波があり、金融危機、通貨危機といった大ケガで入院を余儀なくされることもある。医者である政府と中央銀行は、経済対策という「治療」を施す一方で、出口戦略という退院への道のりを探って行く。
入院中の経済に対して、政府は公共事業などの財政支出で栄養を供給したり、減税によって体の負担を軽減したりする。金融機関など特定の業種が原因である場合は公的資金で救済、手術で患部を取り除く。中央銀行も「点滴」や「輸血」に相当するゼロ金利政策や緊急の資金供給を実施、経済の病状回復を図ることになる。
しかし、いつまでも経済を入院させておくことはできない。財政支出や減税は、財政赤字を生み、最悪の場合には国家財政が破綻する。国家が入院費を払えず、破産してしまう。
経済が回復しているにもかかわらず治療を続けた場合、副作用が生じることもある。中央銀行が不必要な金融緩和を続けると、マネーが過剰に供給され、インフレになる危険性が出てくる。「輸血」や「点滴」はあくまで患者を救うためのもの。回復した後も継続すると、体のバランスが崩れてしまうのだ。
政府が財政支出や減税、経営支援などを安易に続けると、経済の自律性が損なわれる恐れもある。ケガが治っているのに、仕事もせずに病院で過ごし、しかも入院費は国の負担となれば、「もう少し入院しておこうかな…」となりかねない。経済対策は経済の政府依存度を高めるだけに、出口戦略を明確に定めた上で、早期に終わらせる必要があるのである。
しかし、出口戦略の策定と実施は容易ではない。経済危機が克服される前に経済対策が打ち切られると、景気回復が止まり、一層深刻な危機が発生することがある。二度目の骨折は、より深刻なのだ。
出口戦略に失敗したのがバブル崩壊後の日本だ。回復し始めた景気を見て、1997年に消費税引き上げと財政支出の削減を断行、日銀もゼロ金利政策を2000年に解除する。しかし、どちらの場合もその直後に景気が失速、経済は再入院を余儀なくされた。大恐慌時代のアメリカでも、ルーズベルト大統領が「ニューディール政策」の終了時期を見誤って経済を再び悪化させ、厳しい批判を浴びている。
「リーマンショック」を受けて経済対策を総動員したアメリカでは、出口戦略が模索されている。しかし、退院は入院よりも難しい。「退院した途端にまた骨折…」となることを恐れて、FRB(連邦準備制度理事会)が金利引き上げを見送るなど、出口戦略が揺れ動いているのが現状なのである。