同じような気持ちを起こさせるのが「所得政策」だ。所得政策は所得について政府が介入すること。賃金を始めとして利子や配当など、所得を構成するものに、何らかの制限を課すものである。
所得政策は主にインフレ対策として用いられてきた。物価が上昇すると生活が苦しくなるので、賃上げ要求が高まる。しかし、賃上げを受け入れると製品の値上げにつながり、賃金と物価が連鎖的に上昇する悪循環に陥ってしまう。これを断ち切るために、賃上げを抑制する所得政策が行われることがある。小型のマダイを釣り上げた場合と同様に、経済全体の利益のために、労働者に我慢してもらう、というのが所得政策の考え方なのである。
所得政策は1960年代前半、ケネディ政権下のアメリカで行われた。インフレ対策の一環として、賃金の上昇率を生産性の上昇範囲内に抑制するという「ガイドポスト政策」によって、賃金の上昇率を年率3%に抑えようとしたのだ。また、73年の第1次石油ショック後のインフレでは、ニクソン政権も賃金上昇を抑える強力な所得政策を断行している。
しかし、賃金は自由な経済活動によって決まるべきもので、政府が介入するのは望ましくない。所得政策が過度に行われれば、「一生懸命働いても損をするだけだ」と、勤労意欲が失われて生産性が低下する危険性がある。また、所得政策は物価上昇が抑えられてこそ、労働者の理解が得られるものだが、現実には物価の上昇を抑え込むのは容易ではない。結果的には所得だけが抑え付けられ、労働者の負担が増えるという事態にもなりかねないのだ。
日本では石油ショックに伴うインフレ対策として、所得政策の導入が検討されたことがあった。しかし、最終的には74年、労使の話し合いによって賃上げを抑制することで合意、政策として強制されることはなかった。条例で小型のマダイを海に戻させるのではなく、あくまで釣り人の「良心」に任せたのであった。
インフレが影を潜め、一時期は議論されることもなくなった所得政策だが、日本では再び脚光を浴び始めている。安倍政権が、デフレ対策の一環として賃金アップを経済界に求めているのだ。賃金と物価の連鎖的な上昇を無理やり起こす「逆所得政策」とも言えるもので、船長が自分でマダイを釣り上げ、釣り客にプレゼントするという異例の政策と言えるだろう。
しかし、所得政策は逆であろうとなかろうと自由経済に反するもので、様々なひずみを生み出す恐れがある。釣った魚は自由に持って帰ることができ、船長も余計な手出しはしないというのが、望ましい姿なのである。