現実社会でも同じことが行われている。「ナショナルミニマム」だ。「国民最低限」などと訳されるナショナルミニマムは、政府が国民に対して保障する最低限度の生活水準のこと。
ナショナルミニマムの思想は、19世紀末のイギリスで生まれた。当時は最低賃金の保証や労働環境の確保が主眼だったが、時代とともに様々な分野に広がりを見せるようになる。生活上の最低限のお金を支給する「生活保護」をはじめとした「補助金」に加えて、医療や教育社会福祉についても、国民が最低限の生活を営む上では必要不可欠との認識から、ナショナルミニマムに含まれるようになった。
ナショナルミニマムの思想そのものに異論を挟む人はいないだろうが、その水準については様々な議論がなされている。ナショナルミニマムの範囲を広げすぎると、「生活保護を受けられるので、働けるけれど働かない」といった「怠け者」が現れるなど、社会的な不公平につながる恐れがある。ナショナルミニマムを提供するのは政府であり、その原資は国民から集めた税金だ。したがって、ナショナルミニマムを拡大しすぎると「怠け者」が増える一方で、一生懸命働いて税金を納めた人が彼らを助けることになってしまう。
こうしたことから、ナショナルミニマムの水準を巡って、政治論争が展開されることになる。その典型をアメリカに見てみよう。中低所得者や有色人種などを主な支持基盤にする民主党は、より高いナショナルミニマムを実現しようとする。オバマ大統領が行った医療保険制度改革はその一例だ。アメリカには民間の医療保険しかなく、多くの人が保険に入れず医者に診てもらえない状況にあった。「ナショナルミニマムが確保されていない」と考えたオバマ大統領は、政府の税金を使って国民に医療保険を提供しようとしたのだが、これに共和党が猛反対した。共和党の支持者は比較的裕福な人々によって構成されているため、「医療保険は自分で買えばよい。政府は余計なことはせず、その分税金を安くして欲しい」と考えたのだ。ナショナルミニマムを「マキシマム」にしたい民主党と、「ミニマム」にしたい共和党との対決が医療保険制度改革の場面で展開されたのだった。
日本では「小さな政府」を目指した小泉純一郎政権によって、ナショナルミニマムの水準は引き下げられたが、民主党政権では子ども手当や高校の授業料無償化など、ナショナルミニマム拡大政策が展開された。ナショナルミニマムは「大きな政府」と「小さな政府」を分けるものでもあり、重要な政治課題なのである。
「人生ゲーム」を始める際に、渡されるお金が少なすぎると、思うようにゲームが進まないが、あまりたくさんのお金を渡されては差がつきにくくなりゲームもつまらなくなる。ナショナルミニマムを「ミニマム」にして自己責任に重きを置くか、「マキシマム」にして福祉国家を目指すのか? その水準を巡っての論争が続いているのである。