リップルウッドは2000年3月、経営が破たんして国有化されていた旧長銀を買収する。買収価格は10億円。リップルウッドは、新しい経営のトップとして、シティバンクの在日代表だった八城政基氏を送り込んで徹底的なリストラを実施、一方で再建費用として1200億円を投入し、事業の建て直しを図った。
その結果、旧長銀は新生銀行として生まれ変わり、04年2月に、東京証券取引所に再上場を果たす。上場する際の時価総額、つまり企業の価格は7132億円、リップルウッドが買収と再建に投入した1210億円の5.9倍に膨れあがっていた。沈没寸前のボロ船は、ピカピカの新船となり、その価格も5.9倍に跳ね上がったのだ。
成功すれば、莫大な利益を手にできる企業再生ファンドのビジネス。しかし、全てが思惑通りにいくわけではない。買収した上に、多額の資金を投入しても再建がままならず、投資した資金をドブに捨てる結果になることもある。また、買収→再建→売却には3年から5年、場合によっては10年以上もかかる場合があり、辛抱強さも求められる。破たんした企業から再建の可能性を探り出し、実際に再建を進め、最終的な売却先を探す。
企業再生ファンドのビジネスは、高度で総合的なノウハウが求められる。こうしたことから、企業再生ファンドの多くは、アメリカのファンドだ。旧長銀の他、宮崎のシーガイアなどを手がけたリップルウッド、旧日本債券信用銀行を手がけたサーベラス、東京相和銀行を東京スター銀行として再建したローンスターなど、日本で活発なビジネスを展開している「企業再生ファンド」の多くが、アメリカ系のファンドなのだ。
一方、日本においては、政府が設立した「産業再生機構」が大きな成果をあげた。03年4月に発足した産業再生機構は、カネボウやダイエー、ミサワホームに大京など、多くの企業の再建を手がけ、当初の予定より1年早い07年3月に、役割を終えて解散している。
企業再生ファンドが登場する以前は、倒産状態に追い込まれた企業は、ごく一部が会社更生法などによる再建が試みられた以外は、清算され消滅していった。航行できなくなった船は、そのほとんどが海の藻くずと消えていたのだ。
「企業再生ファンド」はあくまでビジネスで、ボランティアの「救助隊」ではない。そのため、利益優先のやり方が批判されることも少なくない。しかし、企業再生ファンドが、企業の再建に新たな可能性を提供していることは事実であり、経済活動になくてはならない存在になりつつあるのだ。