鴻池 僕も詳しくないけど、文芸誌の新人賞の選考のシステムは100%フェアというわけじゃないでしょう(笑)。ただ、個人的な考えですけど、デビューするための新人賞って、フェアかアンフェアかはどうでもいいんです。僕は新人賞を受賞して、それが単純に書くうえでの自信になってますね。いま、僕は芥川賞の候補とかにならないけど、それでも書き続けていられるのは2000作ぐらいの応募のなかから、選ばれた自信がどこかにあるからですよ。書く資格をもらったという感じかな。文芸誌でデビューしたから文芸誌の悪口を言える資格も得た(笑)。
尾崎 なるほど。
鴻池 僕の知っているある小説家は、尾崎さんのように他ジャンルで活躍している方が、小説を文芸誌に発表することについて、業界に向けて苦言を呈していました。他のジャンルでどれだけ名が売れていようが、小説を発表したいなら文芸誌の新人賞に応募するべきだと。その小説家は、最終候補までいって落ちた経験があるから、新人賞を獲ってデビューすることの過酷さを知っているんです。
尾崎 やっぱりそうですよね。
鴻池 僕もその小説家の意見に同調したいところもある。「ちっ、何だよ横から入りやがって」ってね。でも、冷静に考えてみると、文芸誌もひとつの商品ですから、売るために色んな可能性を模索することは何も間違っていない。だって、絶対的な文学作品の良し悪しの基準なんかないでしょ。あと、尾崎さんの書いたものが売れているのであれば、それでいいんじゃないですかね。売れれば正義なんですよ。尾崎さんの存在がそれだけ輝いていたということ。出版社や編集者が、この人の書いたものを売りたいんだと。それは、ある意味フェアなことだと思いますよ。
尾崎 そう言ってもらえると励みになります。ひとつ自分のなかでの矜持があって、アリーナで1万人以上の前でワンマンライブができるミュージシャンで小説を書き続けている人はいないんですよ。元・ミュージシャンの方はいると思うけど。本当に難しいけど、そこを両立させたいんです。
『祐介』は自伝ではない?
鴻池 尾崎さんの『祐介』という作品は自伝を書いてくださいというオファーだったんですか? 本の惹句では「半自伝」とありましたよね。
尾崎 いや、全然自伝じゃないし、テーマの縛りがあったわけじゃないんです。書き上げたあとに編集者に渡したら、「自伝」として出版したいと言われて、「えっ!」となって……。最終的には「半自伝」と、少しぼかした形ですが、そっちのほうが本を売りやすいという出版社側の判断でそうなった。だから書き上げて自分から「自伝」ですと編集者に渡したわけではないんですよ。
鴻池 そうでしたか。いや、てっきり小説で書かれたエピソードが本当だと思って、尾崎さんが女子小学生の体操着を着ているところ想像して爆笑してたんですけど(笑)。
尾崎 まさか(笑)。体操着のところもフィクションだし、全体的にこれが自伝だったら完全に犯罪者ですよ。
鴻池 だまされたな。自分も小説家として主人公=作者なわけないだろうとか言ってるけど、読者になると結局信じちゃうものですね。でも、祐介ってご本名ですよね?
尾崎 そうです。
鴻池 タイトルが『祐介』で、尾崎世界観が書いたミュージシャンの話だと、「自伝」と謳わなくても、尾崎さんの経験した話だと多くの人は信じますよね。
尾崎 そうなんですよね。やっぱり、自分が一番知っているのはバンドマンのことなので、自分が経験したことが基にはなっています。ただ、エピソードはかなりめちゃくちゃだし、本当ではないです。ものを作る人間として、小説の登場人物を自由に動かしてみたかったというのと、音楽活動が満足にできない自分から自分を突き放して、とにかく過剰に描写して書いた作品なんです。
なので、自分にとっては「半自伝」とされたことが、すごく傷になっていますね。作品のクリエイティブなところで勝負させてもらえなかったことをいまだに引きずっています。別に出版社や編集者さんに怒っているというわけではないですけど。そこは情けないし、悔しかったですね。
鴻池 『祐介』に関しては、作者の尾崎さん自身がずっと「自伝」じゃないと言い続けるしかないかもしれませんね。
尾崎 「自伝」というか、極論を言えばどのエピソードも本当だと読まれていいんだけれど、どうしても嫌なところがあって。
鴻池 なんですか?
尾崎 スーパーでバイトをしている主人公が、ムカつく客のサンドイッチに爪をたてるエピソード。スーパーでバイトをしたことはあるけど、こんなことしてないって!
鴻池 そこ!? もっとあるでしょう。
尾崎 自分のなかで、出すべきところ、隠すべきところが明確にある。でも、その基準が歪んでるんですよね。なんか、下半身は丸出しでもいいけど、右の乳首が出ているのだけはどうしても嫌みたいな(笑)。
鴻池 ははは(笑)。なんか、尾崎さんって歪(いびつ)な人ですよね。今日、お話を聞いて思いました。あと、こんなに率直に表現者としての、恥ずかしさみたいなものを思いっきりさらけ出しているミュージシャンはあんまいないんじゃないかな。
純文学は『オールザッツ漫才』に似ている?
鴻池 僕は「母影」を読んで、尾崎さん勝負に出たなと思ったんですよ。
尾崎 なんでですか?
鴻池 少女の視点で書くってやっぱり、いまの時代リスキーですよ。
尾崎 鴻池さんは、そういうのを気にされますか?
鴻池 うーん、書きたければ書くけど、なんかごちゃごちゃ言われるんだろうなとか考えますね。たとえば、男性の書き手が、女性を主人公にしただけで、「男性の都合のいい心理を投影している」とか、批評家連中がうるさいでしょ。
尾崎 「母影」では「あざとい」と、某賞某選考委員の先生に指摘していただきました(笑)。でも「母影」を書いているときは、特にそこがリスクになるとは考えていなかったです。というのも、女性の視点で書くことは音楽(歌詞)で既にやっていたので。だから、自分のなかでは自然なことでした。主人公を少女にしたのは、音楽でこれまでやってこなかったこと、小説で一番書きにくいこと、かつ、自分から遠い存在だったからですね。
鴻池 なるほど。