小説を書くことは〝思い出す〟作業?
砂川 私は村上龍さんの小説がめっちゃ好きなんです。それで、龍さんのエッセイも読むんですけど、龍さんはエッセイで自分の小説の解説を結構されていて、直接的に「こう読め!」は書いてないけど、私には自己解説されているようにも読める。正直、「うるさいな」とも思う(笑)。龍さんなんかは純文学に対して一家言あるというか……。
鴻池 村上龍の『すべての男は消耗品である』というエッセイ集読んでます? 僕はあの本が好きなんだけど、最初のほうで純文学が定義されていますよ。村上龍いわく、アートが観ている人に勇気を与えるのは、「制度に抗する生命力をうたいあげているからだ」と。アートとエンターテインメントの違いはそこなんだと。それで、アートである「純文学とは、制度と生命力の抗争を扱うジャンルなのだ」とはっきり定義していますね。
砂川 最近、読んだんですけど、哲学者のマルクス・ガブリエルも『なぜ世界は存在しないのか』(清水一浩訳)という本のなかで、似たようなことを書いてました。我々はなぜ美術館に行くのか? それは「『確固とした世界秩序のなかで、わたしたちはたんに受動的な鑑賞者にすぎない』という想定から自らを解放する」からなんだと。作品を受け手が能動的に受けないと、というか、そうしないと絵が〝見えない〟んだと。そういうことでいうと、龍さんのいう制度に対する抵抗と自らを解放する能動性ってすごく近いところにある気がしますね。
だから純文学と定義してしまっていいかわからないけど、文字で書かれた作品も書かれている言葉をそれこそ受動的に字義通りに読むのではなくて、能動的に読む。ただ「読む」だけでなくて、人間が「読む」ことそれ自体の構造を受容しているところがあるんでしょうね。だから、読者はその構造を全身で受けとめる作業が必要なんですよ。
鴻池 砂川さんは、今後の展望とか具体的に次、書きたいものはあります?
砂川 展望というよりいつも手前にある作品に取り組んでる感じですかね。もう常に次、次で……。
鴻池 あっ、書きたいものをつぶしていってる感じですか。
砂川 ええ、つぶしているんですよ。鴻池さんは書きたいものあります?
鴻池 僕は、なんかすげぇーやつ書きたいです。
砂川 雑だな(笑)。
鴻池 いや、すげぇー作品書きたいでしょ?
砂川 書いているときはすげぇーの書けてる気がするんです。でも、印刷してみたら「クソが!」って。そもそも作品に取り組んでから掲載まで、タイムラグすごくありませんか? 誌面に載る頃には、「よし、これを書こう」と思ったときのことは大昔で、自分の作品なのかすら怪しい(笑)。
鴻池 わかる! 僕は小説書いているときより、作品の着想を得たときが一番興奮しますね。
砂川 そう! 着想を得た時点でその作品は〝完結〟しているんですよ。書くことは、その頭にあるものを〝思い出す〟作業なんですよね。
鴻池 そうかもしれないですね。
砂川 でも、たどり着けない感じがするんです。その完成形は〝イデア〟みたいなもので、書いても、書いても、たどり着けない予感がしてもいる。
鴻池 そのたどり着こうとするプロセスが楽しいんですかね?
砂川 うーん……。うまく言えない。でも、私も鴻池さんと同じで、結局小説の着想を得たときが一番楽しいだけなのかも。
鴻池 ええ、文字にするかしないかぐらいの瞬間が一番楽しいですよね。
砂川 私の中で小説を「書く」ということのイメージがあるんです。まぁこれもメルヴィルっていう他人からの授かりものなんですが(笑)。で、その『白鯨』にはグノーシス主義の影響が色濃くあって、グノーシス主義の考えでは造物神が黒い沼から作り上げた泥細工に命を吹き込んだのが人間とされていて、要するに造物神が造った出来損ないなわけです。ただその造物神のほうも、常に他の神の存在を否定しつつ、しかしその否定がかえって別の神の存在を示唆することとなってしまって、だから本当はその造物神よりさらに上に〝語り得ぬ神〟がおり、結局は造物神も被造物に過ぎないんだと。
で、人間は造物神に造られたまがい物に過ぎないのだけど、その人間のところにも一本だけ〝語り得ぬ神〟に通じる光が実は差し込んでいて、これを真理というのかどうなのかはわからないんですけど、グノーシスを信奉する人々はその光に沿って、〝語り得ぬ神〟のほうを目指すわけです。私の中での小説の創作のイメージはこれに近いんです。私がまがい物なのか自作がまがい物なのか、はたまたその両方かはわからないですが、とにかく創作は、着想っていう真理らしき光の筋を頼りに真理に向かおうとする行為に似ているんじゃないかな、と。そうすればいずれ〝イデア〟にたどり着けるかもしれない。おそらくたどり着けないんだけど、たどり着くことを願って書いている。小説を書くことは、そのプロセスだという感じがするんです。
鴻池 最後にとてもいい意見が聞けました。今日はありがとうございました。