砂川 うーん、私はいつも、「キモいな、この自意識」って思って……。キモい文章をこそげ落とすように削っているんです。でも、デビュー作とかは、その臭さを〝脱臭〟しきれてないんですよ。私は元々が〝自意識のモンスター〟なんです。だから、私の目下のテーマは自意識の〝脱臭〟なんです。
鴻池 そうか! その〝脱臭〟する作業が、作品にハードボイルドなにおいを与えてるのか。じめっとしたところを排除しているから、砂川さんの文章はハードボイルドなんですよ。そういう理由があったんだ。
砂川 でも、素の状態は絶対臭いから見せられないです。めちゃくちゃ蒸れてるから。足の親指と人差し指のあいだのにおいみたいな(笑)。
鴻池 ははは(笑)。でも、僕は刺さるポイントがあるんですよ。どこだっけな……(砂川さんの本を開いて探す)。
砂川 えっ、ダメです。探さないで! その刺さるポイントはダメです。多分刺さるポイントは、説教くさいところとか、何かしらの共感を誘導するようなところなんです。
鴻池 でも、その作家自身の自意識の臭さみたいなものがないと、やっぱり読者に刺さらないんじゃないですか。文学賞の選考委員にも編集者にも読者にも刺さらない。それだと、マズいので、ある種、小説家は〝臭いこと〟を引き受けなきゃいけないじゃないですか。
砂川 うーん……。確かにそうかも。それで思い出したけど、鴻池さんの「すみれにはおばけが見えた」を読んで思ったんです。鴻池さんは、小説を書くということに対してナイーブと言うか少年過ぎませんか?
鴻池 ああ、鋭いですね。
砂川 テクニカルで斬新な方法で書かれた小説なのに、中に出てくる〝小説を書くとはどういうことか?〟についての叫び、あれは鴻池さん自身の叫びじゃないですか? すごく作者の生な声が出ている気がしました。
鴻池 ええ、出ていますね。少年っぽいナイーブな部分を手法で隠しているんですよね。恥ずかしがり屋なもんで……。
砂川 そうか(笑)。読んでいて「あれ? 急にアンバランスな小説になったな」って正直思いました。
鴻池 気持ち悪い小説だと自分でも思います。
砂川 ただ、自分では書けないので、ああいうテクニカルで斬新な手法とか、同じフレーズがコピペのように出てくる書き方に憧れますね。鴻池さんは、突飛な手法でも、ラストできれいに着地させますよね。ああいう手法はどうやって身につけるんだろう……。
鴻池 あれをどう身につけるかですか? これは天性の才能としか言いようがないですね。
砂川 ははは(笑)。でも、すごく不思議なんです。さっき、店の外でタバコ吸っているときに、鴻池さんは好きな作家は石原慎太郎や西村賢太だとおっしゃってましたね。リアリズム系の小説をよく読むと。でも、あの2人を読んでいてこの作風になりますか?
鴻池 僕の中では同じで、基本はリアリズムなんです。語り手を複数入れるから、手法が複雑に見えてるだけだと思いますよ。
砂川 それがすごくナゾでした。
鴻池 ただ、自分でもよくわかってないんです。僕は新人賞受賞第一作目に「ナイス☆エイジ」っていうインターネットをテーマにした小説を書いたんです。それを発表したときに、批評家とかに「ポスト・トゥルース」な現在を反映したとか言われたんだけど、当時、その言葉を知らなかった。そんな言葉あるのねみたいな(笑)。そうすると、「ポスト・トゥルース」とか、現代的トピックをテーマにして書く作家みたいに思われて、「新潮」の編集長からも、「次作もポスト・トゥルースをテーマにお願いします」って言われた。いや、俺、「ポスト・トゥルース」で書いてないのに、「も」って言われてもわかんないんだけどみたいな(笑)。でも、なんとかがんばって次作の「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」という現代っぽいウィキペディアをテーマにした作品を書いた。読者の期待に寄せて、書いたところもあったかもです。でも、自分では何やってるか全然わかんなかった。
小市民の〝怒り〟を小説に
鴻池 砂川さんの小説は、〝今〟って感じが強いですよね。「ブラックボックス」とか、発表のときと同じく、作品の世界の中でもコロナ禍だったりしますよね。作品の中に、作品の外の〝今〟がきちんと嵌め込まれている感じがする。
砂川 でも、これが自分の作品の弱点だとも思いますね。
鴻池 そんなことないでしょう!