そんな心境ではありますが、これは「経済万華鏡」ですから、ここは、やはり経済の側面から問題を考えるべきところでしょう。大地震で大きく崩れて、千々に乱れた日本の経済万華鏡。その揺れる姿の中で目にとまり、思いを馳せた諸事を皆さんと共有したく思います。大別すれば、テーマは三つです。第一に適材適所問題。第二に適時適報問題。そして第三に適地適消問題です。
適材適所というのは、通常は、適任者にうまく役割をあてがうという意味で使う言い方です。ですが、ここで筆者が言いたいのは、「最も必要な時に、最も必要な物が最も必要とされる場所に配置される」ことの重要性とその難しさです。
経済の世界では奇妙な形で適材が適所に配置されないという問題が起こります。今回の震災で、まさしくこの問題が我々の目の当たりに浮上して来たと思います。被災地に、必要とされる物資がなかなか届かないというのが、もとより適材適所の最も深刻な形での破綻現象です。
先行きを案じた人々の買いだめ行動の中で、特定の商品がスーパーなどの棚から消えてなくなるというのも、適材適所の破綻のなせる業だといえるでしょう。数日たって、誰もその商品に見向きもしなくなると、きっと、同じその商品が店頭にあふれ返ることになるでしょう。
適時適報問題というのは、適切なタイミングで適切な情報が伝わるということです。これがまたいかに重要で、そしていかに難しいことであるか。このことを、一連の原発事故を巡る電力業界の対応のまずさが良く示していると思います。
とんでもない事態を前にした狼狽は、良く分かります。必死の対応をご苦労様だとも思います。しかしながら、事態の全貌をもう少しタイミング良く、もう少しストレートに伝える姿勢は必要です。計画停電についても然りです。言い方に大いに語弊があるとは思いますが、敢えていうなら、彼らは、どうも、いかに「嘘をつかずに本当のことを言わないか」というギリギリの線を追求しようとしている。そんな風に聞こえてしまう面があります。そんなことはないのでしょうが、そのような印象を与えることには百害あって一利なしです。経済活動は人間の営みです。ですから、人間が人間に対してどのような印象を与えるか、適時適報感をどこまで伝えられるかで、状況が大きく変わるということがあり得ます。妙なパニックを引き起こしたくないなら、適時適報に徹してもらいたい。そう思います。
第三の適地適消は、地産地消という言葉からヒントを得た言葉です。大手スーパーの棚からモノが消える中で、存外に頼りになるのが、地域の小さな小売店です。古くからある商店街の全国的な「シャッター通り」化が進む中で、辛うじて残っている小さな八百屋さんとか乾物屋さんが、このような時には予想外の力を発揮してくれます。彼らの多くを閉店に追いやった消費行動を、今さらながら、悔いている地域住民が少なくないかもしれません。
ただ、この考え方をあまり推し進めてしまうと、よそ者排除の地元引きこもり心理に凝り固まってしまう。地産地消も、行きすぎると排他性が強くなりすぎます。そう思う中から出て来たのが、適地適消のイメージです。要は、ほど良い地産地消ということです。
以上、三つの「適」がこの難局の中で経済がうまく回るための基礎的勘所ではないか。そのように思うところです。