民主党政権が誕生して、これで3人目の総理大臣であり、3度目の所信表明演説です。民主党初代総理となった鳩山由起夫氏の所信表明演説には、なかなか心を打つものがありました。
もっとも、あれは「鳩山氏の所信表明」というよりは、「鳩山氏が読み上げた所信表明」というべきものだった。今にして思えばそういうことでしょう。あの演説の文言が示唆していた変革の気概と決意。それが本当に鳩山氏自身の内発的な信条だったのであれば、あんなにいい加減な政策運営とあんな求心力の無さを露呈することはなかったでしょう。
それはそれとして、あの演説の中身そのものには、日本における政治新時代の到来を期待させる迫力があったと思います。ところが、菅直人氏へ野田氏へと目まぐるしく総理大臣リレーが続く中で、所信表明演説の調子も言葉も語られる内容も、次第に劣化して来ている観が否めません。とりとめが無い。とりとめは無いのに、辻つまだけを合わせようとしている。そんな印象だけを残した今回の野田式所信表明でした。
そんなノダ氏の姿を見ながら、思い出すのが「ノダイコ」という言葉です。正しくは「野太鼓」と書きます。
皆さんは「太鼓持ち」という商売をご存じだろうと思います。江戸の昔には、大いに活躍しました。落語には、しばしば登場するキャラクターです。
太鼓持ちとは、要するに遊び客のお相手を務める商売です。踊りを見せたり、唄の一つもご披露したり、お客の話し相手となってあれこれお座持ちに注力したりします。時には、秘書役やバトラー役に近い動きもすることがあります。よろず承りのコンシェルジュとして、ご贔屓(ひいき)筋のために遊びの場面のセットアップに腕を振るうことも求められる仕事柄です。ファイナンシャル・プランナーならぬお遊びプランナーとしての辣腕(らつわん)も問われる仕事柄です。
この極めて大変な商売を、いわばフリーの立場で務めるのがノダイコすなわち野太鼓なのです。特定のお店に所属しているわけではありません。独立系太鼓持ちといってもいいでしょう。
太鼓持ちの芸そのものは、今なお立派に受け継がれている栄えある芸域です。しかしながら、江戸落語に登場するノダイコたちは、概して手抜きパフォーマーばかりです。何でもかんでも、相手のいうなりになることで客をつなぎ留めようとする。
同じ客が「これはいい酒だ」といえば、「いい酒ですね!」と相槌を打つ。「でも、ちょいと甘いな」といえば、「甘い!」と返す。「どっか行くか」といわれれば、「行きましょう!」という。「でもやめるか」といえば、「止めましょうよ」と同意する。
要は、ノダイコは全く「ノーサイド」なのである。ここが「ノーサイドの融和路線」を打ち出したノダ首相と共通しています。ノダイコは、相手に合わせることにおいて、余りにもフットワークが軽すぎます。この節操の無さが災いして、本格的な太鼓持ちとしての芸の王道を極められない。いつまでたっても、客を探して野をさまようことになってしまうのです。
そこへ行くと、本物の芸を身に着けた太鼓持ちは品格が違います。
物知り・多芸はもとよりですが、何といっても客を引きつける迫力があります。飲めや歌えやの大騒ぎ、あるいは可愛い芸者さんたちとの熱き交流を求めて来たはずの遊客が、やがては太鼓持ちとの差し向かいの会話に、至高のだいご味を求めるようになるのです。
ノーサイドのノダイコさんには、これが出来ない。しょせんは、客に振り回されるばかりです。自分のサイドに客を引き寄せるオーラというものが形成されません。これでは、どうしても大成しません。
ノーサイドのノダさんも、この辺がご用心だと思います。