これらがどうもちょっとおかしい。筆者には、そう思えてなりません。欧州統合の歩みは、確かに、欧州の地で二度と再び戦争を起こさないことを目指して始まりました。これは、間違いなく称賛に値することです。ですが、それは半世紀以上も前の話です。今になっての平和賞の受賞は、いくら何でも時代錯誤でしょう。
ユーロ圏の財政、金融、通貨危機は深まる一方です。その解決に向けて、統合欧州らしい一致団結の足取りがどこにみられるでしょう。求心力維持のために、耐え難きを耐える熱情がどこから伝わって来るでしょう。同志的結束がどれほどみて取れるでしょう。そのようなものは、どこにも見当たりません。
どうひいき目にみても、今のEUにノーベル平和賞に値するような輝きはみられません。だからこその授与だった。そういう考え方もあるでしょう。ですが、もしもそうだったとすれば、そこには二つの問題があります。
第一に、このような叱咤(しった)激励を必要とするほど、欧州人たちの結束にガタが来ているということになる訳です。EU崩壊も視野に入って来てしまうかもしれません。第二に、この受賞で、EUの首脳陣たちが妙に自信過剰になっても困ります。昔は偉かったね。そう言われて、有頂天になってしまったのでは、かえって当面の危機がみえなくなってしまいます。
実際に、欧州委員会のバローゾ委員長は、この受賞をうけて、「今、我々に必要なのはmore Europeだ」と豪語しました。統合深化をさらに進めるべし、ということです。ノーベル平和賞をそのためのお墨付きだと心得たらしい。
この発想は危険だと思うのです。彼が「モット欧州!」と叫ぶほど、戦争を知らない若き欧州人たち、利害錯綜(さくそう)するギリシャとドイツの欧州人たちは、モット欧州嫌いになってしまうかもしれません。
経済学賞の方も、どうも合点が行きません。経済学賞は、受賞したご本人が、自分は経済学者じゃないといっています。実際に、受賞コンビが解決した問題は数学の問題です。確かに、人間行動の一端の解明ではあります。そして、経済活動が人間の営みである以上、彼らのテーマが経済の世界と全く無縁だとはいえません。
それでも、やっぱり違和感はあります。グローバル経済がこれだけ動揺し、経済的弱者の痛みがこれだけ大きい今日です。そんな中で、必ず成功する婚活の手法を編み出したことが、ノーベル経済学賞の授与理由になっていいのでしょうか。受賞者たちの研究成果に、ケチをつけるつもりは全くありません。鋭い発見だと思います。面白くもあります。
ですが、ノーベル賞はオモシロ大賞ではありません。やっぱり何だか変で賞。