彼らの姿を見ていると、筆者の頭の中には、どうしても「浦島太郎政権」という言葉が浮かんで来てしまいます。
実際に、今回決まった閣僚や党の役員人事を見てもそうですよね。党三役への女性登用などで新味を出した形を整えようとした模様ですが、彼女たちも至ってお馴染みの顔ぶれ。オジサマたちにおいては、実に「またか」感の強い人的風景です。
ただ、それもさりながら、筆者が最も強く浦島太郎政権のイメージを抱くのは、この政権が打ち出している経済政策に関してです。
大型公共事業と金融大緩和で、成長路線をひた走る。輸出立国ニッポンが快進撃出来るよう、ひたすら円安を追求する。国民は公助に頼らず、自助で頑張るべし。
まるで、時間が5、60年ほど逆戻りしたような雰囲気です。この人たちは、野党側だった時間を一体どのように過ごしていたのでしょうか。冬眠でもしていたのかと思えてしまいます。
野にあって過ごす時間というのは、とても貴重です。それなりにじっくり勉強し、じっくり考えることが出来るからです。与党側には、なかなか、それが許されない。日々、これ決断、これ政策です。何はともあれ、決めなくてはならない。
その重圧から解放されている間に、安倍さん一家は、日本経済の今日的実情をしっかり見据えておくことが出来たはずです。それをしていれば、色々なことが見えて来たでしょう。
公共事業の成長効果には、いまや限界がある。金融大緩和はデフレ脱却をもたらさない。今の日本は、もはや輸出立国型経済ではない。円安が進めば進むほど、日本経済はドル依存体質と決別出来ない。自助は誰でも精一杯やっている。それでも痛み、追い込まれる人々が増えてしまう。グローバル競争時代のこの現実が、公助に新たな役割を求めている。
せめて、これくらいのことに気がついて然るべきだったと思います。しかしながら、どうも、彼らはこの間の3年間を目あれど見えず状態で過ごしたようです。
気掛かりなのは、これらのことばかりではありません。この浦島太郎たちは、非常に危険な方向に足を踏み出そうとしています。
それは、金融政策の自由度を政府が制約するという方向です。日銀法を改正してでも、日本銀行に政府の思い通りの金融緩和をやらせる。それが安倍氏の方針であることは、ご承知の通りです。
これはいけません。中央銀行に無理やりに言うことを聞かせる。これは、政治家がしばしばやりたがることです。ですが、それが実現してしまうのは、三流独裁国家においてのことです。成熟度の高い民主主義国家において、これは、やっぱりまずいでしょう。
そもそも、一国の経済運営における政府と中央銀行の関係は、刑事物ドラマに登場する名コンビ警官たちの関係と同じものであるはずです。
お互いに個性がはっきりしていて独自性がある。だからこそ、お互いに短所を補い合える。両者の長所が組み合わされば、1足す1が無限大の力を発揮する。時には激しくぶつかるが、その衝突の中から、真相解明に至る知恵が醸し出される。これぞ、良き相棒同士の絡み合いの妙味です。
どちらかが、いつも相手の言うなりになっている。これでは、面白くも何ともありません。真犯人を突き止めることなど、到底、無理でしょう。むしろ、どんどん誤認逮捕の方向に向かって突き進んでしまう恐れがあります。
こんな訳で、心配が一杯の日々となってしまいました。でも、めげていてはいけません。これからの成り行きをしっかり注視していかなければなりません。
我々こそ、賢き謎解き集団となって、これからの国の経済運営を厳しく見守って行きましょう。