見出しに「これは鳥か、はたまた飛行機か。イヤイヤ違う。これは日本だ!」とありました。その見出しの真下には、安倍晋三首相の巨大な顔が浮かんでいます。天高き水平飛行で、我々めがけてすっ飛んで来る「飛行物体アベ」です。さながら、飛び出す絵本です。
よくみると、「飛行物体アベ」の胴体はスーパーマン仕様になっています。赤い上着に青い服。水平飛行を正面からみているので、赤いパンツは見えません。それが、せめてもの救いです。モリモリと膨れ上がった胸元を飾るのは、大きな「S」ならぬ大きな「¥」マークです。そして、彼の周りを戦闘機が舞っています。
笑えるが恐い。恐いが笑える。
筆者は、かねがね、安倍首相の言動を実に浦島太郎的だと思ってきました。この人は、何かにつけて時代錯誤性が著しい。「日本を、取り戻す」という彼の言い方には、過去の夢に執着する者の時代遅れが滲み出ていると思います。その浦島太郎がスーパーマンでもあったとは!
ですが、考えてみれば、スーパーマンもまた、今の時代との関係では古色蒼然たる存在ですよね。
グローバル時代はスーパーマンを必要としていない。誰かがスーパーマンになろうと思っても、そうは問屋が卸さない時代でもあります。ヒト・モノ・カネが国境を越えるグローバル時代は、国々の間におけるドングリの背比べ時代です。
それに対して、スーパーマンというキャラクターが生まれた時代は、アメリカ突出の時代でした。あのスーパーマンの単純明快で幼児的なヒロイズムは、まさに、あの時代のアメリカのイメージそのものだと思うところです。若くて強い。ただそれだけが取り得。
「飛行物体アベ」もまた、スーパーマン型のヒロイズムにあこがれている節が多分に見え隠れします。歴史認識を巡る不穏当発言で、ご近所の国々の顰蹙(ひんしゅく)を買うところなどに、幼児性が表れている。そのようにも思います。その古さと強引さ、そして危険さが、「エコノミスト」誌の表紙に実に良く描出されていました。
経済分析に関しては、時折、少々勘が狂うこともある同誌ですが、表紙力は大いに健在。結構なことです。