この言い方、さすがは、シャープな空想科学小説家ですよね。実にコンパクトに、実に勘所を押さえて、税金というものに関する人々の思いを表現してくれています。
自分のカネは自分のカネだ。自分の力で稼いだカネだ。自分のカネは、自分のために使いたい。そして、自分にとって大切な人々のために使いたい。我々のポケットに手を突っ込んで、政府が我々のカネを巻き上げていくとは、一体、何事か。
いずれも、至極もっともな人間的心情です。それを踏みにじってまで、国家が国民から税金を徴収しなければいけないのは、そもそも、なぜなのでしょうか。消費税増税に向かって、政治が動きだした今です。改めて、この税金が何のため、誰のためにあるのかを考えてみてもいいでしょう。
国が税金を取るのは、その収入を使って国民に奉仕するためです。安全や健康や利便性の基盤を、国民のために確保する。そのような使命を国が果たすための必要経費。それをまかなうために、税金があるのです。
国民という名の顧客に対して、国というサービスプロバイダーが満足度の高いサービスを提供する。そのための資金源が税金であるわけです。
我々納税者は、以上のような国民と国家の間の関係を忘れてはいけません。顧客である国民は、国というサービス事業者に生活基盤を支えて欲しいなら、サービス料金としての税金をきちんと払わなければいけません。
その一方で、サービス事業者としての国の有用性と有効性は、常に厳しく監視している必要があります。サービスのレベルに問題が生じているなら、きちんと納税を拒否することで、そのことに対するサービス事業者の注意を喚起する、そのような対応が必要になる場合にも、場合によっては遭遇するかもしれません。
ちなみに、経済学の生みの親だといわれるアダム・スミスが、その代表的著書である「国富論」の中で、消費税に言及しています。
消費税といっても、今の日本で採用している消費税そのものではありません。一般論的に、「人々の消費行為に対して課税する」というやり方についての論及です。ですが、今日的にも、大いに示唆的な言葉です。
生活必需品の消費に課税するなら、それに見合って人々の賃金が上昇する必要がある。これが、スミス先生の主張です。
先生はなぜ、こう主張するのか。それは、収入が増えなければ、労働者は増税によって値段が上がった必需品を買えなくなるからです。人々が生活必需品を買えなくなる。そのような結果をもたらす税金のかけ方はいけない。それでは、彼らの生活が立ち行かない。スミス先生はそう考えていたのです。
誠にごもっともです。この租税論理を徴税人たちが理解していれば、酔っ払いに撃ち殺されなくても済むでしょう。