〝平等〟が希望の光だった時代
こんにちは。今回は〝平等〟について考えましょう。
内村鑑三が子どもだった頃、265年間続いた江戸時代が終わり、明治時代がはじまりました。外国からたくさんの知識や技術が、その時一挙に入り込んできました。江戸から明治への変化は、これまで当たり前だったことが当たり前ではなくなり、全部をいちから考え直さなければならないくらい、ビックリするような出来事の連続だったのです。5年前、元号が平成から令和に改められましたが、それとは変化のレベルが違います。当時は、自分たちの手で新しい時代を作るんだ、という意気込みがありました。現在から振り返って、明治時代を生きた人々が生き生きしていると感じられるのは、そのためかもしれませんね。
なかでもとくにインパクトが大きかったのが〝平等〟の変化でした。でも、もともとあった〝平等〟が変化したわけではありません。この時はじめて、日本の人々は〝平等〟という考え方、ものの見方に出会い、〝平等〟こそ希望の光だと思ったのです。〝平等〟への期待は、古い決まりごとを打ち破り、作り変えていく、大きなエネルギーになりました。それは内村さんの人生にとっても同じでしたが、内村さんの場合、他の大多数の日本人とはすこし違った道をたどることになりました。キリスト教という独自の軸があったからです。でもその前に、わたしたちの今の暮らしに〝平等〟がどうかかわっているかについて、ざっと見ておきましょう。
そもそも〝平等〟ってなんだろう?
小学校の運動会のリレー競技で、転んでしまった他の選手に思わず駆け寄り、一緒にゴールしてあげた子どもに大きな拍手が送られている場面を見かけたことがあります。〝みんな同じ〟なのが〝平等〟で、素晴らしいことだ、という価値観があることがここからわかります。でも一方で、受験のために勉強しなさいというセリフを口にする大人もたくさんいますよね。受験は、子どもに優劣をつける競争システムです。これだけでも、大人がどんな〝平等〟を求めているのか、〝平等〟が大切だと本気で思っているのか、よくわからなくなりませんか。そもそも〝平等〟はほんとうに良いことなのでしょうか。ここには、むずかしい問題が含まれているのかもしれません。
こんな例を取り上げてみます。体育のマラソンの授業の前に、先生が生徒にこう伝えたとします。
「速く走れない人にはきっと仕方のない事情があるはずです。なのでこれからは、足が速い人はゴール前で遅い人を待って、一緒にゴールしてあげてください」。
いかがでしょうか。わたしは、この指示には良くないところがあると思います。
たしかに一緒にゴールすれば、結果としては〝みんな同じ〟になります。でも、想像してみてください。あなたが走るのが苦手だとして、本来ならばもっと前にゴールしているはずの誰かが、いつもゴールの前で自分を待っているとしたら、どんな気分になりますか。自分の足の遅さをあえて強調されているような気がして、余計に走るのが嫌になるかもしれませんね。逆に、あなたが走るのが得意だとすればどうでしょう。どうせ遅い人を待たなければならないのだから、最初から全力を出す気になれないかもしれません。そのうち、好きだった走ることを退屈だと感じるようになってしまうかもしれません。先生が提案した〝平等〟は、走るのが速い人にも遅い人にも喜びを与えていないと、わたしは感じます。
わたしたちは〝平等〟を大事にする時、〝自由〟を邪魔者のように考えがちです。〝平等〟のためには〝自由〟を抑えるのは仕方ないと、つい思い込んでしまうのです。でも〝自由〟を無視した〝平等〟が良いかというと、全然そうではないことが、今の例からわかりますよね。先生はそのことに気づけなかったのです。だから、わたしはこんなふうに考えます。誰にでも得意なことと苦手なこと、できることとできないことがあります。それぞれが、〝自由〟に、自分の全力を出し切った上で、それでも〝平等〟だと感じられるルールや環境を作ることが大切なんじゃないか、って。
ここから少し話を広げますね。
なんらかの障がいをかかえていて、働くのは1日に2時間が限界だというAさんがいます。この人は働いた結果として1日2千円のお金を受け取ります。障がいがなくて、1日に8時間働くBさんがいます。この人は1日8千円のお金を受け取ります。これは〝平等〟でしょうか。時給が同じだから〝平等〟だと感じるかもしれません。でも、6千円の違いが積み重なれば、大きな差になりますね。Aさんにしてみれば、一生懸命、できるかぎりのことをしているのですから、これでは〝不平等〟だと感じて当然です。どうすればいいのでしょう。
Bさんも1日に2時間だけ働くようにする、というのはおかしいですね。他の人と金額を合わせるために仕事を減らされることに、Bさんは不満を感じるのではないでしょうか。この〝平等〟は、Bさんの〝自由〟と両立していないのです。Aさんにとってもこんな〝平等〟は嬉しくないでしょう。
では、Aさんに毎日6千円支給する仕組みを作るのはどうでしょう。障がいがあることはAさんの責任ではないのだから、仕事の量とは関係なく、足りない分のお金を配りましょう、ということですね。たしかにこの方がAさんは安心して生きられます。さて、これで一件落着でしょうか。
この国では、このようなやり方で〝平等〟を目指すのが、政治の役割だと考えられてきました(「社会保障政策」や「福祉政策」、「再分配政策」などと呼ばれます)。後からお金やサービスを分配して、結果をできるだけ〝平等〟にする、ということですね。この考え方もとても大事だと思います。けれども十分ではない気がします。
Aさんは仕事が好きで、ほんとうはもう少し長い時間働きたい。でも車いすでの通勤が大変で、エネルギーも時間も奪われてしまうために、それを諦めざるをえないのだとすれば、どうでしょうか。
※1
選挙の場合を考えてみます。ある人は政治について学び、情報を集めた上で、投票することができます。でも、べつの人は、学んだり情報を集めたりする時間やお金の余裕がどうしてもなくて、不十分な知識や情報しかない状態で投票するしかありません。この二人の一票は、ほんとうの意味で〝平等〟だと言えるでしょうか。投票にいたる過程まで〝平等〟になる工夫をして、やっとそれぞれの一票が〝平等〟になるのではないかと、わたしは考えます。
※2
ここまで〝平等〟について考えたことは、齋藤純一さんの『不平等を考える――政治理論入門』(ちくま新書)や、アマルティア・センさんの『不平等の再検討――潜在能力と自由』(岩波現代文庫)といった本を参考にしています。よければ読んでみてください。
※3
「大日本帝国」と書いたのは、当時の日本と、第二次世界大戦後の日本では、自分の国を呼ぶ呼び方(国号)が違うからです。当時はこのように呼びました。
また、教育勅語の文章はウィキペディアでも読むことができます。むずかしい言葉が使われていますが、中身はぼんやりしていて、はっきりした意味は読み取りづらいです。でもだからこそ、天皇と国家にたいする国民の忠誠心を持続させるための便利なツールとして、その都度色々な意味が盛り込まれて活用されました。とくに第二次世界大戦中がそうでした。
※4
キリスト教も、差別からの解放を求める人々のよりどころの一つでした。ですが、身分制度は廃止されたのに、部落差別などのかたちで差別はその後も残りました。
※5
「浅い日本人」(『内村鑑三全集』28巻、岩波書店 200頁)