この連載第6回で紹介したNPOバンクと同様に、「非営利」の金融機関である「労働金庫(ろうきん)」。その事業規模は非営利の金融機関の中でも圧倒的に大きく、全国に支店を置く組織として広く知られている。非営利で全国展開する金融の組織というのは、どのように成り立っているのか。労働金庫のビジネスモデルや制度に関わる調査研究に携わる一般社団法人全国労働金庫協会の政策調査部部長、山口郁子さん(58)らの話から、〈ろうきん〉の全体像に迫る。
働く人のための福祉金融機関
「就職説明会のパンフレットに書かれていた、“働く人のための福祉金融機関”という言葉に惹かれました」
山口郁子さんは、労働金庫(ろうきん)に勤めたきっかけをそう語る。就職活動の際、友人に「いい金融機関があるよ」と一緒に説明会に誘われ、理念に共感して就職した。山口さんにとって金融は未知の世界だったが、大きなやりがいを感じたと言う。
「働く人の大切なお金を働く人を支えるために使う、ということを実感できましたし、“ありがとう”という言葉をかけられるのが本当にうれしかった。私にとって〈ろうきん〉は、学びと成長の場でもありました」
山口さんの心をつかんだ「働く人のための福祉金融機関」という〈ろうきん〉のありようは、その設立経緯と深く関係している。第二次世界大戦後、モノもお金もなかった日本社会において、銀行は、産業の復興を優先するため企業には融資したが、労働者個人にお金を貸そうとはしなかった。そのため、貧しい庶民は病気や怪我などへの備えもなく、生活に困っても、高利貸しや質屋にしか頼れない状況に追い込まれる。また、人々への食糧の供給に欠かせない生活協同組合の事業資金も、銀行からの調達は困難だった。
山口さんは言う。
「こうした事態を打開するために、労働組合と生活協同組合が立ち上がり、1950年代に〈ろうきん〉が生まれました。日本中に広がった労働者や市民が参画する運動の中から生まれた金融機関、という点がユニークなんです」
〈ろうきん〉は、1950年9月に岡山県で、12月には兵庫県で誕生したのを皮切りに、全国各地で最初は「信用組合」の形で設立されていく。1951年10月には、全体をまとめる「全国労働金庫協会」がつくられ、金融機関としての制度や事業を規定する「労働金庫法」制定の運動が始まる。その結果、1953年8月に特別法「労働金庫法」が成立し、同年10月に施行された。この法律により、〈ろうきん〉は、金融庁と厚生労働省を監督官庁とする金融機関となった。
協同から生まれる信頼のネットワーク
〈ろうきん〉は、金融機関の中でも、「協同組織金融機関」に分類される。協同組織金融機関とは、一般の金融機関からは融資を受けにくい立場にある人が、必要な資金の融通を受けられるようにつくられた金融機関だ。営利を目的とせず、協同組合方式で運営されている。〈ろうきん〉のほかにも、信用金庫、信用組合、農協や漁協の信用事業(金融サービス)が、それに当たる。信用金庫や信用組合は主に中小の事業者を、農協や漁協は農業や漁業従事者を、そして〈ろうきん〉は労働組合や協同組合の組合員などを対象に事業を行っている。
〈ろうきん〉への出資者は、労働組合、生協、そのほか働く人の福祉向上に取り組む団体(例えば労働組合のない会社の社員共済会など)だ。
「つまり、それぞれの団体が〈ろうきん〉に出資して会員となり、〈ろうきん〉はその団体を構成する労働者個人を対象にサービスを提供しているんです」
山口さんはそう説明する。
会員となった団体は皆、預金額の大小にかかわらず、1票の議決権を持って平等な立場で運営に参画する。また、利益は金融サービスなどを通じて会員団体やその構成員らに還元される。
〈ろうきん〉は、北海道から沖縄まで47都道府県の労働金庫が13のエリアに分かれて運営しており、全国に606店舗ある(2023年3月末現在)。金庫ごとに、会員団体やその構成員らのニーズに応える形で事業を展開している。「協同組織金融機関として、顔の見えるつきあいをしているからこそ生まれる会員との深いつながりが、強みでもある」と、山口さんは言う。