2009年3月、ストリートチルドレンを支援する現地NGOのスタッフに案内されて訪れた墓地で、ジュリアン(12歳)とその家族に出会った。死者が眠る地に、約50世帯が暮らしていた。ジュリアンの母親フロリサさんとその兄姉の一家も、その一員だ。ジュリアンと兄ジュネルをはじめ、その住人の子どもの多くは、お腹を空かせた毎日を送りながらも、小学校に通っている。よりよい未来を手に入れるために教育を受けて欲しいというのが、親たちの願いだからだ。が、手本となる大人がいないなか、子どもたちがその意欲を持ち続けるのは、なかなか難しいことだった。
幸せな記憶
「この子たちには、私とは違う人生を送って欲しいんです」
2010年3月、フロリサさんは、ジュネルが高校に進学するかどうか迷っているのを見て、私にそんな思いを漏らした。毎年一度はマニラに数週間滞在する私たちにとって、3度目となる墓地訪問の時のことだ。何度も会って話をするうちに距離が縮まり、心を許すようになったのか、母親は、なぜ子どもたちの教育にこだわるのかを、私たちにきちんと伝えようとしていた。そして、自分自身の人生について語り始める。
「私は小学校すら出ていません」
それが、彼女の最初の言葉だった。
「夫を早くに亡くした母は、洗濯婦をしながら女手一つで、私たちきょうだいを育ててくれました。でも貧しかったため、私たちは幼い頃から働かざるをえませんでした。私は小学6年の時、食堂に住み込みで働くことになり、勉強を続けられなかったんです」
現在ともに墓地で暮らす4人の兄姉は当時、すでに独立し働いており、フロリサさんも母親を助けるために、当たり前のように働き始める。そしてお金が貯まると、日用品を買い込んでは母親のもとを訪ねた。学校も勉強も好きだったが、それよりも家族、母親の力になることのほうが大切だったからだ。
食堂で働き続ける中、彼女はやがて運命の出会いをする。ジュリアンとジュネルの父親となる男性と知り合ったのだ。
「私はまだ16歳でしたが、見よう見まねで厨房の仕事を覚え、料理をしたり、給仕をしたりしていました。すると、常連客の一人だった警察官が、よく声をかけてくれるようになりました。彼は32歳とずいぶん年上でしたが、私たちは恋に落ち、同棲するようになりました」
幸せな過去を懐かしむように、目を細める。婚姻届こそ出していなかったが、事実上、夫婦となった二人は、彼が所有していた2階建てのアパートの1フロアをマイホームとして、暮らし始める。ほかの空いている部屋は、賃貸していた。不動産を持てるほど彼の実家は比較的裕福で、フロリサさんの家族とは正反対だった。
「夫の家族、特に義姉は、私のことをよく思っていませんでした。身分が違うじゃないか、と思っていたのでしょう。でも、夫自身はまったく気にしていませんでした。とても優しい人だったんです」
歳が離れていたのでケンカすることもなく、とにかく夫を頼りにしていたと、彼女は語った。自分たちの家、しゃれた家具、マイカー、宝石、それまで手にしたことがなかったものが、揃っていた。本当に幸せだった、と、感慨深げに繰り返す。
「しかも夫は、ジュネルより少し歳上の少年を一人、養子にしていました。善意からです。ですから長男ジュネルと長女ジュリアンが生まれてからは、私たち家族は5人で仲良く暮らしていたんです」
きょうだいの多いフロリサさんは、実子とともに養子を育てることに苦はなかった。何より愛する人とともに安定した生活が送れることが、うれしかった。夫はこの国の中・上流層の習慣で、家政婦を雇ってくれたので、子育てもさほど大変ではなかった。
婚姻届を出しておらず、法律上は「未婚」だった彼女はまた、独身女性を「エンターテイナー」として海外へ派遣する会社から仕事を紹介され、10カ月間、マレーシアとシンガポールで働く経験もする。夫の姉が関係している会社の誘いで、夫も許可してくれたため、子育ては家政婦に任せ、二十歳そこそこの母親はしばし少女に戻り、異文化世界を楽しんだ。既婚・未婚に関わらず、人口の約1割は海外へ出稼ぎに出るこの国では、珍しいことではないうえ、勧めた義姉は恐らく弟からフロリサさんを引き離したかったのかも知れない。
「英語も初めは少ししか話せませんでしたが、仕事に慣れてくると、だんだん会話が弾むようになりました。おかげで、今も皆さんと話ができます」
そう微笑みながら見せてくれた小さな古びたアルバムには、休日に同じ職場の女性たちと訪れた観光地や住んでいた寮で、いかにも楽しげにカメラの前でポーズをとる、ハツラツとした若い女性の姿があった。歯が欠け、痩せこけた今とは似ても似つかない、ふくよかな体型と丸顔の弾けそうな笑顔が、際立つ。それはきっとフロリサさんにとって、短い青春時代だったのだろう。
優しく頼り甲斐のある警官と出会ってからの彼女の人生は、光に満ちていた。海外での仕事から帰国して1年後、カップルは遂に正式な婚姻届を出そうと考え始める。子どもたちのためにも、法律で認められた夫婦になろうと決心したのだ。
「結婚できることを、私はとても楽しみにしていました。最高に幸せだったんです」
ところがその幸せは、2000年10月のある日、跡形もなく消えてしまう。
転落の始まり
「夫が職務中に撃たれたんです」
一瞬、沈黙が生まれる。真面目で正義感の強い警官は、同僚の不正に気づき、それを暴こうとしたために、命を狙われたのだという。
「撃たれて病院に担ぎ込まれたと聞いた私は、子どもたちを連れて、大慌てで病院に駆けつけました。彼は瀕死の状態で、まもなく息を引き取りました。ショックでした……」
フロリサさんはまだ22歳で、ジュリアンは4歳、ジュネルは5歳だった。
悲劇に追い打ちをかけるかのように、さらなる不幸が彼女と子ども二人を襲う。
「私たちが病院から家にもどると、家具やドレス、アクセサリー、自家用車など、ウチにあった高価なものがすべて、無くなっていました。合鍵を持っていた夫の姉が、留守の間に全部持ち去ったんです」
弟には不釣り合いだと、フロリサさんの存在をずっとうとましく思っていた義姉は、最悪のタイミングで、彼女を一族から追い出しにかかったのだ。それは、大黒柱を失った母子を窮地へ追い込む。
夫が死去する前から、住んでいた家はまもなく都心の再開発のために取り壊されることになっていた。そして補償金が入るはずだった。ところが、まだ婚姻届を出していなかったフロリサさんは、その家の「所有者」ではないため、何も得られず、ただ「出て行く」だけの立場になってしまう。母子には、行き先すらなかった。子どもたちを支える責任が、若い母の小さな肩に重くのしかかった。
「義姉は養子を引き取り、ジュリアンとジュネルにも、安定した生活がしたければウチに来ればいい、と言いました。でも二人とも、お母さんと一緒にいたい、と言って、それを断ったんです。その言葉に、何としてもがんばらねば、と思いました」
決意を固めた母親は、かつての就労経験を生かし、住む込みでレストランで働く仕事を手に入れる。そうして働くうちに、客として来ていた中年男性と親しくなっていった。彼はバスケットボール・リーグの試合の審判をするなど、アマチュアスポーツ界で働いている人だった。たまに二人で話をするようになり、母子の生活事情を知ると、男性は自分がきちんとしたアパートを借りて、生活を支えようと申し出てくれる。
「とてもいい人だったので、私は救いを得た思いでその人を頼るようになり、どんどん関係が深まりました。そして、彼が借りてくれたアパートで暮らすようになり、彼が時々泊まりに来て、数年後、カルロが生まれました」
2003年、子どもが3人になった。