流れに乗ったところで、あとはゆっくり川下へ少し流されながら、対岸へと旅する。筏から数百メートル川下には、入国管理局が置かれた白い橋がみえる。だが、筏の人々への監視はない。「渡し筏」は、麻薬を運ぶなどの違法行為にかかわらない限り、事実上、当局に認められているようだ。
15年間この仕事をしているという船頭の男は、こう語る。
「私たちグアテマラ人は船頭40人、仲間のメキシコ人は30人で組合を作っています。(メキシコはシウダー・イダルゴ、グアテマラはテクン・ウマンの)市役所で営業許可をもらっているんです。組合として毎月400ケツァル(約5800円)を、市に支払っています。筏のオーナーにも、船頭二人一組で、一日40ケツァル払うんです」
この渡しは、国境を行き交う商人や買い物客の足なのだ。乗客は、米墨国境を往来する人たちと異なり、ビザを持っていない。不法移民も、客の一部にすぎないわけだ。
グアテマラ側の町、テクン・ウマンは、シウダー・イダルゴよりもこぢんまりとしている。サルバはこの町にある「移民の家」で開かれる会議に出る。「移民の家」は、米国を目指す移民のための民間施設で、旅のルート上に複数ある。原則的に滞在は最長3日とされ、食事とベッド、医療サービスや旅の情報などが与えられる。この日は、「移民の家」の取材はできないと告げられていたため、私たちは会議が休憩時間に入るまで、しばらく町を散策することにした。
川に近い地区は、未舗装の道に沿って飲み屋や両替商などが並び、どこか胡散臭い。コーヒーが欲しくなった篠田が、客のいない食堂をのぞきこみ、「コーヒーはありますか?」と聞くと、「ビールしかないよ」という素っ気ない言葉が返ってきた。夜は風俗街にでもなるのだろうか。この地域では90年代から、中米各地の未成年者を巻き込んだ違法な性産業が横行していると、国際NGOにより報告されている。
中央広場の方へ歩いていくと、やがて舗装道路沿いに商店が並ぶ、町らしい景色になった。移民がよく通過する所の割にはには、静かだ。この国にもいるマラスや麻薬犯罪組織の影も、感じられない。しかし、その印象は約3週間後にテレビに映し出された、広場に溢れる「移民キャラバン」の映像で一変した。そこはやはり、移民危機の最前線だった。
国境を跨いだ移民支援
「移民の家」での会議には、今年になって高まった移民危機に対応する国際機関や現地NGOのスタッフが、グアテマラ、メキシコ両国から集まっていた。トランプ政権が移民を閉め出し、メキシコ政府もその意向に応じて不法移民を大量に強制送還している中、彼らは、「北」を目指す人々がその現状を理解し、自らの身の安全のために最善の選択ができる環境を作ろうとしていた。組織間の連携を強め、移民がメキシコ・グアテマラ国境を越える前に、国境の向こうに待ち受けている現実を伝え、難民申請が絶対に必要だと判断される者には、国境を跨いだコーディネーションを通じて手続きを支援する段取りを話し合っている。
サルバが説明する。
「メキシコでも難民申請ができる、と早い段階で知らせ、そうしたいと思ったら、国境の入国管理局か、シウダー・イダルゴにある『移民支援事務所』で、すぐに申請手続きをするよう勧めるんだ。そうすれば、拘束されて何日も勾留センターにいる必要がない」
会議に参加した十数団体は、UNHCRの他、ホンジュラスやエルサルバドルからの移民が通過するグアテマラの首都グアテマラシティにある「移民の家」や、テクン・ウマンとグアテマラシティの中間地点で移民支援を始めたNGO、タパチューラにあるLGBT支援NGOなど、多様だ。移民問題は、貧困、虐待、暴力、犯罪、麻薬、ジェンダーと、複数の課題を内包している。各分野の専門家の連携プレーが、重要なのだ。
「急用ができた」というサルバと別れ、私たちはしばらく会議の参加者と雑談をしてから、シウダー・イダルゴに戻った。それから、市役所の建物内にある「移民支援事務所」に行ってみる。同事務所は国連の出先機関で、メキシコ南部の五つの町で、UNHCRや「フライ・マティーアス・デ・コルドバ」のような人権NGO、移民の家、入国管理局、メキシコ難民支援委員会(COMAR)、中米各国の領事館などと連携しながら、危険地域や様々な移民・難民支援に関する情報を移民に提供し、メキシコで必要な手続きを担当している。
守衛に場所を教えてもらい、事務所のドアを開けると、そこにサルバが座っていた。驚く私に、「この人たちへの支援を要請する電話を、セルヒオからもらって飛んできたんだ」と、一組の家族を前にサルバが応じる。セルヒオ(33)とは、この事務所の代表だ。
サルバが対応していたのは、6歳の双子を連れた29歳のホンジュラス人の母親だった。
「僕の姉なんです」
と、そばに立つ若い男が話しかけてくる。彼は4カ月前にメキシコに来て、難民申請をし、結果を待っているところだという。自分が世話になったサルバに、家族がスムーズに難民認定を受けられる方法を相談し、姉たちが国境を越えたところでこの事務所へ連れてきて、知らせたのだ。入国管理局やCOMARとのやり取りは、ここを通した方が早い。
子ども二人を抱きかかえた女性は、旅の疲れか、少しぼんやりしていた。が、弟が寄り添っているおかげで、安堵の表情も見せる。その弟は、祖国を離れた経緯をこう話してくれた。
「僕は一人で国を出て、メキシコに落ち着いてから、妻と子どもを呼び寄せました。僕たち家族が暮らしていた地域は、マラスに支配され、命の保証がないんです。妻の弟は、まだ14歳だったのに、マラスの抗争に巻き込まれて死にました。だから姉にも、脱出を勧めたんです」
真剣なまなざしが、状況の厳しさを物語る。