この施設は、朝6時半から夜8時半まで扉を開いており、テクン・ウマンにある「移民の家」と同様に、原則2、3日の滞在を条件に受け入れている。難民申請をした人は、数週間いることも可能だが、滞在希望者は次々と現れるため、あまり長くはいられない。収容可能人数は100人前後だ。滞在中は、ベッドと1日2回の食事、医療支援、子どもには保育・学習支援サービスが提供され、すぐ隣の建物では3年前から、町にしばらく定住する人たちのために、電子機器修理と冷蔵・冷房器具修理、パティシエの職業訓練校を運営している。
「今は、移民の皆さんが早く普通に働ける機会を得られるよう支えることに、力を注いでいます」
と、所長が言う。だから、職業訓練校ではただ技術を教えるのではなく、大学との提携によって、試験に合格すれば就職時に有効な大学名入りの修了証書も発行している。滞在許可を得て定職に就くことができれば、支援を離れて生活できるというわけだ。
「そうでないと、この外の道端に座っている人たちのように、建設現場の日雇い仕事をくれる業者を待っては日銭を稼ぐといった、不安定な暮らしを続けることになりますから」
異国でひもじく先の見えない日々が続けば、犯罪に手を染める人間も出てくる。生き延びるために、メキシコで再びマラスに入る元ギャングもいる。そうなると、移民全体が地元民から白い目で見られることにもなる。現に最近、「『ベレン』周辺は、外国人が押し寄せているせいで治安が悪化している」と、住民が警察に苦情を出したことがあるという。
その一方で、一部のメキシコ人が移民を食い物にすることもある。路上で夜を明かす移民に石を投げる者、水をかける者、「不法移民」の弱みに付け込み彼らを「見逃す」ことに対して見返りを要求する警察官、強盗を働く者……。
「私たちは、スチアテ川を筏(いかだ)で渡ってメキシコに入った途端に、道端で両替商を装う男3人に取り囲まれ、ナイフで脅されて、合わせて9000ペソ分(約5万円)のお金とスマートフォンを奪われました」
施設の外にいたグアテマラ北部ペテン県から来た男性(43)は、そう証言する。
「でも、それを目撃した親切な人が、300ペソくれました。おかげで、何とかここまでたどり着けたんです」
彼は、故郷で食堂を経営していたが、ペテン県を支配する麻薬カルテルに毎月500ケツァル(約7000円)のみかじめ料を要求され、払えなくなった途端、食堂に放火された。生活の糧全てを焼かれて「殺される前に逃げよう」と、妻(32)と娘(16)と息子(9)の家族全員で、メキシコを目指した。既に難民申請をしており、滞在許可証が手に入ったら、姉が住むメキシコシティへ移るつもりだと話す。
施設前の道端にしゃがみ込んでいる男性グループの一人(42)も、「難民申請をして、生活を立て直したい」と語る。ホンジュラス南部エル・パライソ県で靴修理工房を開いていた彼は、
「四六時中マラスに恐喝されて、おちおち仕事もできない状態だった」
と、うつむく。その後顔を上げて、こう言った。
「メキシコにだって麻薬カルテルなどの問題はあるけれど、少なくとも私は親切な人たちに助けられた。私の国よりずっといい」
大国のエゴと移民
彼と一緒に座っていたホンジュラス人の青年二人は、まもなくメキシコを縦断する貨物列車の屋根に乗って、米国まで旅を続ける決意だと述べる。米国の壁は高いのではないかと問う私に、一人(26)が熱っぽくこう答える。
「そこにしか希望がないんだから、仕方がないじゃないか。そもそも中米の状況は、その米国の都合で作り出されているんだし。政治もそうだ。ホンジュラスの大統領選挙だって、米国は左派政権になると困るから、あんな結果を認めたのさ」
昨年、選挙不正に抗議し、やり直しを訴える国民や、「選挙結果は信頼性に乏しい」と発表した米州機構選挙監視団を無視して、米国は保守派与党のフアン・オルランドエルナンデス大統領の再選を認めた。その裏には、エルナンデス政権が米国の移民政策や新自由主義経済政策はもちろん、ドナルド・トランプ大統領の「エルサレムはイスラエルの首都だ」という主張まで支持してきた事実がある。つまりその青年は、米国自身が、中米の民主主義と自由をねじ曲げてきた結果が、この移民危機だと言いたいのだ。だとすれば、米国は自らの首を絞めているということになる。
メキシコでは、10月半ばに始まった「中米からの移民キャラバン騒動」が、1カ月以上過ぎた11月現在も続いている。エルサルバドル人を中心とする第5陣までがメキシコに入り、最初のキャラバンの2000人以上は、11月半ばに米墨国境の町、ティファナに到着した。この町に集まる中米移民の数は、さらに増え1万人規模になるだろう。彼ら共通の望みは、難民として合法的に米国移住を認められることだが、トランプ政権がそれを叶える確率は低い。