時間銀行で、若林さんに編み物を習う人たち。老若男女、誰もが夢中になった。撮影:篠田有史
スペインの「時間銀行」にひかれて
野川さんが、上田市で仲間と時間銀行をやりたいと考えたのは、私の本『ルポ つながりの経済を創る』(岩波書店)で知ったスペインの時間銀行の活動に深く共感したからだという。
「時間銀行が、難民や移民を含め、そこに暮らす誰もがコミュニティの一員として迎え入れられるための扉となっていることに、心ひかれました。支援する側とされる側といった区別なく、皆が対等な形で隣人関係を築くきっかけとして上田でも時間銀行を使えたらいいな、と」
スペインは、世界各地からの移民・難民が暮らす地域が多い。そこで運営されている時間銀行は、年齢や性別だけでなく、言語や文化、肌の色も多様な人々が参加する、インクルーシブな場だ。個人的な助け合いはもちろん、大勢が1つの活動を通して時間と空間を共有する機会も生み出している。例えば、シリアからの難民が、時間銀行が開くスペイン語教室で言葉を身につけ、そこで出会ったスペイン人の隣人のために、シリアの郷土料理を教える。そうして地域の人が互いに知り合い、共に過ごせば、誰もが何らかの形で誰かの役に立つ。その実感こそが、豊かな暮らしにつながる。
私はスペインで「時間銀行と移民・難民」というセミナーを取材した際、あるシリア人男性がこう話すのを聞いた。
「難民キャンプでは、支援されるだけの毎日。多くの若者が自殺しました。母国では自分の役割を持って生きていた彼らは、命懸けで国を出てたどり着いたキャンプで、“何もできない”ことに絶望し、自ら命を絶ったのです」
スペインへの移住が認められたその男性は、時間銀行で「私にもできることがある」と、生きる意味を再発見したという。
野川さんは、長年、東京に拠点を置くNPO法人「APLA」(Alternative People’s Linkage in Asia)で、日本を含むアジア各地において、持続可能な農業を軸にした地域の自立を目指す人々との協働や、国境を超えた学び合いのための交流などを続けてきた。「APLA」は、「人と人とがつながれば、世界は変わる」を掲げている。その活動を通じて野川さんが感じたのは、対等な立場でつながることの大切さ。そして、日本のように排他的で、異なる社会・文化的背景を持つ人を容易に受け入れない社会は、結果的に「貧しくなる」ということだ。
「それを変えるためにも、時間銀行をやりたいと思いました」
そう言う野川さんが今暮らす上田市にも、製造業に従事する日系人労働者や技能実習生、留学生など、外国にルーツを持つ住民が約3700人いる。東京に住んでいた野川さんは、パンデミックでテレワークが定着してきた2021年5月、両親の住む上田市に生活の拠点を移すことを決意。どんな人もつながれる、ひらかれたまちづくりに、仲間たちと取り組みたいと考える。
上田で時間銀行を始めた野川未央さん。国際協力の活動家として、つながりの大切さを実感してきた。撮影:篠田有史
上田市の時間銀行を支える取り組み「のきした」
上田には、「犀の角」や「リベルテ」、「デイサービスSora」のような芸術文化・社会福祉事業などに関わる、野川さんと同世代のユニークな仲間がいる。彼らは、2020年春、「のきした」と名付けた取り組みを始めた。“のきした”とは、雨風をしのぐためにすっと駆け込む、あの軒下のこと。そんなふうに誰でも立ち寄れる、心落ち着く場やつながりをまちじゅうに創る・見出す活動だ。「のきした」の中心メンバーの一人で「犀の角」を運営する荒井洋文さん(50)は、その始まりをこう振り返る。
「コロナでここ(「犀の角」)に人がいなくなり、お金はない、でも空間だけは、ある。そう思っていたら、1週間ほどしたところで、仲間が集まり始めたんです」
「犀の角」を運営する荒井洋文さん・舞さん夫妻。パンデミック下では、宿泊サービス「やどかりハウス」や時間銀行に加え、月1回、子ども・若者が集まって遊ぶ「うえだイロイロ倶楽部」も始めた。撮影:篠田有史
当時は、パンデミックによって誰もが職場などで困難に直面し、漠然と抱いていた社会への疑問を強く意識するようになっていた。多様な人と対話し、物事を多角的視点から問い直す場を求めていたのだ。そこに集った「のきした」のメンバーは、状況を変えるためのアイディアを行動に移していく。
まず、家庭で問題を抱え、コロナ禍でますます行き場を失っている女性や母子などが1泊500円で気軽に泊まれる宿「やどかりハウス」を、「犀の角」のゲストハウスを利用して始めた。市の福祉課や社会福祉協議会など、宿の利用者の問題に対応できる人たちとも連携して、つながりの生まれる“のきした”になることを目指した。