自立したコミュニティを築く(1)山と海の連携
1990年代、無茶々園は、町の様々な生産者との連携を進めていく。片山さんは言う。
「そもそも農村は自給できなければ成り立たない。いろんなことをしよらんとダメ」
畑で食料を生産し、海で魚を獲って売り、山で薪を集めてエネルギーとし、女性たちは機織りをして反物を換金する。昔はそうしてほぼ自給自足の生活が成り立っていた。田舎で自立したコミュニティを築くには、いろいろな事業が存在し、それらが連携することが不可欠だと、片山さんは考える。
1991年、台風19号による塩害で、みかんの木に壊滅的な被害が出たことも、その連携を後押しすることになった。海塩を多量に含んだ強風が吹き寄せたせいで、多くのみかんの木が枯れてしまい、収穫量を取り戻すには10年近い歳月がかかるため、減収を補う必要があったからだ。
そこで地元にあるちりめんじゃこや真珠の生産者にも参画してもらい、山と海の生産者が連携して、地域経済の安定と環境保全に取り組むことにする。まず、地元の網元「祇園丸」と提携し、明浜産のちりめんじゃこの販売を開始。その後、やはり地元の「佐藤真珠」の真珠も商品のラインナップに入れた。
祇園丸の佐藤吉彦さん(66)と息子の哲三郎さん(37)は、無添加と(旨みが増す)天日干しにこだわる自社生産で、ちりめんじゃこを作っている。吉彦さんは言う。
「ほかの業者に任せると、加工途中でいろんな添加物を入れられてしまうのが悔しくて、すべて自分で責任を持ってやりたいと思いました」
祇園丸のちりめんじゃこには、山椒や大根葉、青のりが入ったものもあり、それらの材料は皆、無茶々園の仲間が生産したものだ。
「無茶々園の輪の中にいると、海のものと山のものを使って、安心安全な商品が作れる」
と、哲三郎さん。父子は、「多くの人と出会い、支え合えることが財産」と、微笑む。
佐藤真珠の佐藤和文さん(43)は、真珠の養殖から加工まですべて自前で行っている。高校卒業後、すぐに家業を継ぐのが嫌で大学へ進学して経営学を学んだが、大手真珠会社で3年働いた後に真珠鑑定士の資格を取り、大津さんの誘いで無茶々園に入った。
「最初は、みかんの仕事ばかりさせられていました」
そう笑う佐藤さんは、真珠を作るアコヤ貝の減少により、実家・佐藤真珠が危機に陥ったことを受け、真珠生産にも携わるようになる。アコヤ貝の減少は海の環境がもとに戻らない限り止めることができないと感じ、2020年から新たに始めたのが、「すじ青のり」の陸上養殖だ。
環境変化のせいで、すじ青のりも海での養殖が難しくなる中、隣県にある高知大学が陸の養殖槽で育てる技術を開発。それを教わるために、佐藤さんは毎週、片道4時間かけて大学の研究室に通い、半年で技術を習得する。それと同時に、思い切った投資で養殖設備を整えた。今では1年に1トンのすじ青のりが生産できるまでに。それは祇園丸の「ちりめん青のり」にも使われている。
「乾燥青のりを1トン作ると、二酸化炭素も1トン固定化することができるんですよ」
と、佐藤さん。顕微鏡やビーカー、シャーレなどに囲まれての作業は楽しそうだ。
「無茶々園という販路があるからこそ、新しい挑戦ができるんです」