中米ホンジュラスの町、サン・ペドロ・スーラで、“マラス”と呼ばれる若者ギャング団の一つ、「バトス・ロコス(V.L.)」にいたアンドレス(18歳)。彼は、一度入ると抜けることは許されないマラスを離れるため、決死の国外脱出を図る。途中、危険な目にあいながらもメキシコにたどり着くが、そこでは更なる困難が待ち受けていた。
グアテマラからメキシコに入ってすぐ、国境の町シウダ・イダルゴで警官に襲われ、金を巻き上げられたアンドレス(当時16歳)は、親切な母子に助けられ、数日間、彼らの家に世話になった後、旅を再開した。
「おばさんにもらった300ペソ(約2300円)を手に、乗り合いバスで次の町を目指した」
メキシコでは近距離の移動に、よくワゴン車を改造した乗り合いバスが使われている。少年はそれに乗って、この辺りで一番大きな町、タパチューラへと向かった。北西へ50分ほどの道のりだ。そこには、メキシコに入る前にグアテマラ側の国境の町で滞在した「移民の家」と同じような移民支援施設があるときいているし、アメリカ国境へと続く鉄道の始発駅もある。どこへ行くという当てがあるわけではないが、とにかく大きい町のほうがお金を手に入れる手段も多いし、旅を続けるには何かと便利だろう。
そう考えたアンドレスが乗り込んだ乗り合いバスには、偶然、ホンジュラスの西隣にある国、エルサルバドルから来た少年が乗っていた。彼の名はアレクサンデル。アンドレスと同じ16歳だ。
「彼は、マラスメンバーの女を恋人にしてしまったために身の危険を感じ、国を出てきたと言った。僕と似た境遇だよ。だから一緒に行動することにしたんだ」
少年たちは乗り合いバスに揺られながら、しばしおしゃべりを楽しんでいた。ところがまもなく、トラブルに巻き込まれる。
「途中で連邦警察が検問をしていたんだ」
タパチューラの手前には、不法移民を乗せた車が通らないか、麻薬を運んでいる人間はいないかなどをチェックする、検問所が置かれていた。国境地帯は、「南」から来る移民と麻薬、両方の流れが激しい地点だからだ。その担当は、中央(連邦)政府直属の連邦警察だった。
「僕たちは車を降ろされ、尋問された。僕もアレクサンデルも“メキシコ人だ”とうそをついたんだけど、言葉のなまりでバレてしまった。それで仕方なく、アレクサンデルは持っていた携帯電話と50ペソ(約380円)を、僕は250ペソを警官に差し出した。そうしたらやっと見逃してくれたんだ」
地獄ならぬ警察の沙汰も「金」次第。移民の弱みにつけ込んだ賄賂取引だ。メキシコも中米の国々も、同じスペイン語を公用語とするが、国ごとにアクセントや一部の単語・表現に違いがある。だから警察や移民局の人間は、身分証の提示を要求しなくても、少し話すだけで簡単に不法移民を見分けられる。不法移民だとバレたら、逮捕を逃れる手はただ一つ、というわけだ。
何とか危機を脱した少年たちは、ヒッチハイクで町へ。運良く、陽気で時にメランコリックなメキシコ音楽を奏でる楽団の男たちの車に拾われ、無事にタパチューラ市内に入った。
「あとはとにかく、まず泊まる場所を探して、そのあとは町中で日銭を稼ぐことに専念した。二人とももう手元には数十ペソしか残っていなかったからね」
警察や移民局の人間の姿が見えたらいつでも走って逃げられるよう身構えながら、二人は道行く人に、移民を支援している所を知らないかと尋ねた。すると、「教会へ行けば良い」という返事だった。どこの町でも教会は大抵、助けを求めてくる移民に食べ物や服、一夜の宿などを提供している。だから少年たちもその日は教えられた教会へ行き、そこに泊めてもらうことにした。そして日のあるうちは、通りで一時駐車した車の番などをして、いくらかの小銭を手に入れた。
中米やメキシコには、路上で物売りをしたり、車のフロントガラスを磨いたり、路上駐車の番をしたりして、何かしら収入を得る手段を見つけては働くおとなや子どもが大勢いる。そういう国々では、貧困層出身者なら誰でも大抵、何の元手も無しに少々の現金を手に入れる術を知っている。アンドレスとアレクサンデルもその例外ではない。
「翌日は路上で寝た。そうするうちにアレクサンデルが、言い出したんだ。“アメリカへ行こう!”って」
まだ16歳にもかかわらず、アレクサンデルは故郷に残してきた恋人との間に一人、生まれたばかりの娘がいた。だから、メキシコまで来たからにはアメリカまで行って、家族のために一稼ぎしたいと考えていた。それでアンドレスを旅仲間に誘ったのだ。
「僕は特にアメリカを目指そうと思っていたわけじゃなかった。向こうに知り合いもいないしね。でも彼が誘ってくれたから、それもいいかなと思って、話に乗ったんだ」
二人は翌朝、まだ暗いうちにタパチューラの駅を出発する貨物列車が通る線路沿いに立って、その時を待った。そして、人が走る速さと変わらないほどゆっくりと列車が近づいてくるのをみると、連結部分に飛び乗り、彼らと同じ目的で乗り込んでいる大勢の移民たちが待つ貨物車両の屋根へとよじ上った。
この貨物列車は、「ラ・ベスティア(La Bestia 野獣)」と呼ばれ、中米やメキシコ各地からアメリカを目指す移民がその屋根に乗って旅することで、有名だ。グアテマラとの国境付近には、北部のテノシーケと、南部のタパチューラに、この貨物列車の始発駅がある。「南」からの移民は皆、これらの駅からアメリカへと荷物を運ぶ列車の屋根を「旅客席」として、メキシコを縦断する。
途中で移民局の検問があれば、扉が開いている車両内に隠れてやり過ごしたり、列車から飛び降りて逃げたりする。事前に検問ポイントを知っている者は、その手前でいったん降りて、ポイントの先まで別の道を歩くか、乗り合いバスで移動してから、再び列車に乗り込む。
「野獣」などという恐ろしげなニックネームが付けられているのは、その旅が想像以上に過酷だからだ。晴れた日は、照りつける日差しの中、屋根に何時間も乗っているだけで、脱水症状になる者がいる。移民局の手を逃れようと走っている途中で、屋根から落下し大けがをする者、連結部に落ちて列車にひかれて死ぬ者など、危険に見舞われ、夢半ばで命を落とす者も多い。それでもなお、人々はささやかな希望を胸に、野獣の背にまたがる。それは貧困から抜け出せない日常を変えるための賭けであり、冒険への憧れであり、暴力からの逃亡であり、動機は人それぞれだ。共通しているのは、それに乗る時、誰もが旅のほんとうの結末を知らないということだろう。
中米からメキシコを縦断しアメリカ国境にたどり着いても、国境警備隊に拘束され、母国へ強制送還された不法移民は、2014年だけで25万7473人もいる。この数字に、旅の途中で死んだ者、メキシコ移民局に捕まった者、アメリカにうまく入り込めた者などの人数を加えれば、「ラ・ベスティア」や長距離バスなどの様々な交通手段を駆使して「北の大国」を目指す中米出身者の数は、年間40万人とも50万人とも言われ、今やメキシコ人不法移民の数を上回る。かつてはアメリカへの移民と言えば、メキシコ人が多数派だったが、状況はすでに変化している。その変化を促した要因の一つが、まさにアンドレスのケースのような、「マラス」の存在だ。
「ラ・ベスティア」の背中で、アンドレスは旅の道連れとなったアレクサンデルと共に、冒険気分を満喫していた。
「この旅って結構イケてるじゃないか! 楽しもうぜ!みたいな感じで、僕たちは最初、とても浮かれていた。ワクワクしていたんだ。でも少し経つと、状況が一変した。とんでもないことが起きたんだよ」
それはギャングの襲撃だった。
少年たちを乗せた列車の脇を突然、6台のバンが並走し始めた。そして、その中から20人前後の男たちが次々と、ナイフなどを手に移民たちのいる列車の屋根に上ってきた。
「先頭には一人、人間の生首を持っている男がいて、それを高くかざしながら、“おとなしく金を出せ!”と叫んでいた。みんな恐怖のあまり、お金や時計を渡したり、ひたすら逃げたり、大騒ぎになった」
アンドレスたちはとっさに列車を飛び降りて、とにかく線路沿いにもといた町の方向へと走った。
「ラテンギャング・ストーリー」9 一筋の光
(ジャーナリスト)
2015/12/07