次に、親との関係性が生活に影響しやすい、という問題です。親との同居は家賃などの生活費負担を抑え、生活が楽になるという点では若者に一定以上の利益をもたらすといえます。しかし、それはあくまで親との関係が良好である場合に限られるわけで、親子関係が悪化すると状況も一変します。
なぜなら若者の生活困窮の実態を調べてみると、親との関係悪化が原因であることが多いのです。たとえば学生時代から親との関係が悪かったけれど、就職先が非正規雇用で卒業後も親元から出られないという人がいます。すると親との折り合いがいっそう悪くなり、ついには家出をしてしまう。その後は友人の家やネットカフェを転々とし、生活困窮者支援グループに助けを求める、というようなケースがあります。
また、私が知っている事例では、悪い関係のまま親同居を長期間続けたことで、親からDVや虐待を受けるようになったり、うつ病を発症して働けなくなったりした人もいました。このように親との関係が良好で、子どもも親も望むかたちでの親同居ばかりではないのです。
さらに若者の親同居には、「若者の貧困問題」の社会問題化を妨げた面もあります。先述したように、親同居は経済的に自立困難な若者にとって「生活防衛」の手段でもあります。それは、親あるいは祖父母の資産、賃金、年金に頼ることで、自分たちの生活を成り立たせるようになったことを意味します。もしも親同居という手段がなければ、若者の貧困問題はもう少し早く社会に認知されていたのではないでしょうか。
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若者の貧困を解決するためには、従来の生活保障システムを再構築することが必要ですが、今まで本格的に実行されることはありませんでした。戦後、日本の生活保障を支えてきたのは、高度経済成長時に形成された「日本型雇用」です。正規雇用に就くことができれば終身雇用と年功序列型賃金が保障され、それが生活の基盤となりました。正社員・正職員として働くことで、高い教育費や住宅費も負担可能な人々が多数を占めていました。
しかし90年代初期のバブル経済の崩壊、97年のアジア通貨危機以後の長期経済低迷と雇用を不安定化させる新自由主義政策によって、90年代半ばから後半をピークに労働者の所得は伸び悩んでいます。日本型雇用を前提とする生活保障システムを維持することはもはや不可能であり、抜本的なシステムの転換が必要であることは明らかです。ところが「アベノミクス」に見られるように、従来型システムを前提とする景気回復政策が、現在に至るまで行われ続けています。そこには若者の将来につながる展望はありません。若者の貧困問題を解決する社会システムの変革は、遅々として進んでいないのが現状です。
さらに、親同居という若者の選択にも「終わり」が来るという問題があり、その兆候がすでに顕れています。若者もいつしか中高年となり、それが今日では70代の親が40代の子どもを支える「7040問題」、80代の親が50代の子どもを支える「8050問題」として重大な社会問題となっています。
今後、生活を支える高齢者が亡くなれば、残された人々はたちまち困窮します。親が死んだ後も生活のために遺体を隠して年金を不正受給し続け、死体遺棄事件につながる事例が全国で続発しています。現在の若者を支えてきた層も、いずれは亡くなります。その時に「親同居」という選択は限界を迎えます。それほどに若者の貧困問題を解決することは、重要かつ喫緊の課題なのです。
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若者の「親同居」という強いられた選択は、日本型雇用という戦後日本を支えた生活保障システムが大きく崩れているにもかかわらず、高い住居費負担を引き下げずにきたことによる矛盾から生じています。繰り返しますが、多くの若者が「親元から離れて生活する」という選択肢を奪われていることは、大きな社会問題だと考えます。
重要なのは、公営住宅の増設や家賃補助制度の導入によって、住居費を大幅に引き下げること。「住まいは権利」や「ハウジングファースト」を実現するうえでも、住むことに多額の費用がかかる状況を放置することは許されません。住むことは基本的人権です。経済的貧富に関係なく、すべての人が「住む」権利を獲得するためには、住宅の「脱商品化」を進めることが必要です。
住宅の「脱商品化」が最低賃金の抜本的上昇と合わせて実現すれば、子どもたちに「親元から離れて生活する」という選択肢が戻ってきます。それは「親同居」にともなうさまざまな問題を解決するだけでなく、多くの若者に希望を持たせ、日本社会に新たな展望をもたらすことにつながるに違いありません。