今回は、そのニュースを耳にしてからどうしても頭から離れない事件を取り上げたいと思います。兵庫県神戸市で元幼稚園教諭の女性Aさん(22)が、介護していた当時90歳の祖母を殺害し、執行猶予判決を受けた事件のことです。
毎日新聞の記事などによれば、2019年10月8日早朝、Aさんは神戸市内の自宅で同居する祖母をタオルで窒息死させました。この事実のみでは、単なる殺人事件の一つとして捉えられてしまうかも知れません。しかし、殺人を実行するに至った彼女が当時置かれていた状況を知れば知るほど、さまざまな思いがあふれて胸が詰まります。
幼い時に両親が離婚したAさんは母子家庭で育ちましたが、小学生の時に母親が病気で他界。その後、児童養護施設に移された彼女を引き取ったのが父方の祖母でした。ところが祖母には気性の激しい面があったそうで、Aさんは中学生になると心のバランスを崩して睡眠薬の過剰服用(OD)を繰り返し、「祖母と同居しない方がいい」という医師の助言もあって叔母の家に身を寄せることとなりました。
やがてAさんは気持ちも安定して短大に進学し、夢だった幼稚園教諭として働くことが決まりました。そんな矢先、祖母が認知症を発症して、自分で排せつや身の回りのことができない「要介護4」の状態と認定されたのです。
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祖母には3人の子どもがいました。Aさんの父親、伯父、叔母の3人です。父親は手足がしびれる病気を患っていました。伯父は会社を経営しており多忙な状態でした。叔母には子どもがいました。そうして「おばあちゃんに学費を出してもらったんや。あんたが介護するのが当然やろ」という叔母の一声で、介護はAさんが担うことになりました。幼稚園教諭として働き始めて1カ月後、7年ぶりに祖母との同居が始まりました。
Aさんは、ほぼ一人で祖母の介護を行っていたそうです。重要なポイントの一つは、祖母が認知症を患っていたことです。介護は一般的に重労働ですが、中でも認知症患者の介護は一段と大変です。介護者と被介護者とのコミュニケーションが困難だからです。
もう一つの重要なポイントは、Aさんが幼稚園教諭として社会人1年目であったことです。幼稚園教諭の仕事は激務です。特に不慣れな初任者であれば、現場で戸惑うことも多いでしょうし、疲労やストレスも溜まりやすくなります。そこへ認知症患者の介護が重なったのだから、Aさんの大変さは並大抵のものではなかったと予想されます。
Aさんは仕事から帰宅後、祖母に夕食を食べさせ、1~2時間おきにトイレの世話をしたそうです。また、深夜に祖母の散歩に付き合うこともあり、介護を始めてからは1日2時間程度しか眠れない生活を続けていました。3カ月目には、疲労とストレスから腎臓を患って重度の貧血になり、軽いうつも発症して医師から休退職を勧められていたことも、裁判の中で明らかにされています。こんな過酷な生活を続ければ、ほとんどの人は限界に達すると私は思います。
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この事件の背景を丁寧に追って行くと、いくつかの課題が見えてきます。第一に「ヤングケアラー」「若者ケアラー」の置かれた社会的困難です。
ちなみに皆さんは、「ヤングケアラー」という言葉をご存じですか? ヤングケアラーとは、家族に病気や障害をもつ人がいて、そのために家事や世話を担っている18歳未満の子どものことを意味します。家族の誰かが長期のサポートを必要としていて、身の回りの世話や見守りを担う大人がいない場合、子どもなど若年者が代わってケア責任を引き受ける状況が生み出されるのです。
日本ケアラー連盟の「ヤングケアラープロジェクト」では、支援を管轄する機関や財源の都合から、若年者のケアラーのうち18歳未満を「ヤングケアラー」、18歳以上を「若者ケアラー」と分けています。この事件の当事者であるAさんは、若者ケアラーということになります。以前よりは周知されてきましたが、知らない人もいまだに大勢います。
Aさんは職場で介護の話をしても真摯に聞いてもらえなかったそうで、そうした周囲の反応も、ヤングケアラーや若者ケアラーへの認識や理解の不足に起因すると思われます。日本では実態調査が十分に行われていませんから、支援体制も整っていません。Aさんが自分の苦境を訴えても、支援を得ることは相当困難であったことが予想されます。
同居を始めて2週間ほどでAさんは限界を感じ、「介護は無理かもしれん」と父親と叔母に訴えますが、黙殺されてしまいます。彼女が親族以外にSOSを出せなかったのは、若者ケアラーへの支援体制の不足にも原因があると思います。
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第二に「家族主義」という名の抑圧と暴力です。報道によれば、ケアマネージャーの女性が「(祖母の)入院を勧めたが、叔母らが拒否した」と裁判で証言したそうです。余所の介護者や施設に頼らず、「身内による介護」を選択したところに、日本社会における家族主義の根深さを感じます。しかも、Aさんは祖母を担当するケアマネと直接連絡を取ることも親族から禁じられていました。過酷な介護を強いられながら、介護について相談する機会からも排除され、孤立無援の状態になっていたことになります。
また、祖母の介護を誰が担うかを親族で話し合った際に、「おばあちゃんに学費を出してもらったんや。あんたが介護するのが当然やろ」という叔母の一言が「決め手になった」というのも、学費・教育費負担のあり方を研究してきた私としては、今回の事件で見逃すことができないポイントです。
日本では、政府の高等教育予算の少なさから高等教育費が高騰し、大学の学費などで「私費負担率が高い」という課題を生み出しています。教育経済学者の矢野眞和氏は、この「私費負担」をより分かりやすく「親負担主義」と呼びました(矢野眞和『「習慣病」になったニッポンの大学』 日本図書センター、2011年)。「親が負担するのが当然」という考え方です。
しかし近年、特に2010年以降は、この「親負担主義」に変化が起きていると私は強く感じています。学生と対話する中で、「祖母がいなければ、私はこの大学に入れませんでした」「入学金はすべて祖父に払ってもらいました」など、学費を祖父母に支払ってもらっている学生がとても目立つようになったのです。大学の卒業式の日にフェイスブックやインスタグラムなどを見ると、学生が祖父母と一緒に写っている写真を近年は多数見かけます。これは、「学費を払ってくれてありがとう」という感謝の気持ちの表れなのでしょう。
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今の学生の親世代(多くは40代半ば~60歳前後)は、正社員であっても年功序列型賃金制度の解体や社会保険料の引き上げなどで、可処分所得が大幅に減少しています。老後に支給される年金への不安増大もあって、「学費負担を自分の親(=子どもにとっては祖父母)に頼りたい」という気持ちは高まっているでしょう。そうした中で、子どもの高等教育の費用においては、かつての「親負担」から「親+祖父母負担」あるいは「祖父母負担」への移行が進んでいるように見えます。
学生の話を聞いていると、近年の経済状況の悪化によって、学費について「親に負担をかけている」ことを気に病んでいる学生の比率はとても高くなっています。「親に学費を出してもらっているのだから、就職先は親の喜ぶところに決めなければ」とプレッシャーを感じている学生、自分の希望よりも親の意向を優先して就職先を選ぶ学生は大勢います。