私の奨学金問題への取り組みは、今から10年前にさかのぼります。2012年の夏、当時勤務していた中京大学(本部・名古屋市)で2人の学生が私のところに相談に来ました。「現在の奨学金制度のあり方に問題があると思うので、制度の改善に取り組みたい。そのためにはどうしたらいいのか? その方法をアドバイスしてほしい」という内容でした。
私は正直、驚きました。学生運動が盛んだった頃に比べて、今の日本では大学生が社会問題に関心をもち、その解決のための取り組みを開始することは容易ではないからです。2人の学生は、その前の年、私の「教職総合演習」というゼミに参加していた学生でした。「教職総合演習」ではテーマの一つとして、奨学金制度の問題点を取り上げていました。しかし、まさかそこから奨学金制度の改善に取り組もうとする学生が登場するとは予想もしていませんでした。
私から彼らに「社会運動を成功させるためには、誰にでも分かりやすい目標を明確に掲げることが重要」とアドバイスしました。この後、12年9月に学生らによって結成された任意団体「愛知県 学費と奨学金を考える会」は、その目標として「給付型奨学金の導入」「貸与型奨学金の有利子から無利子への移行」の2つを提起しました。
当時、奨学金制度は深刻な問題を引き起こしていました。12年の大学昼間部学生の奨学金利用率は、1996年の21.2%から大幅に上昇して52.5%に達していました。学生の半数以上が、何らかの奨学金を利用していたことになります。奨学金利用者が増加する一方で、厳しい雇用状況は続いており、大学卒業後に奨学金の返済に苦しむ若者が増加していました。「愛知県 学費と奨学金を考える会」の結成は、奨学金問題がとても深刻化した時期だったことが分かります。
奨学金利用の当事者である学生が立ち上がったこと、そして社会運動としての目標を明確に掲げたこともあって、発足後すぐに地元の中日新聞や全国紙などのメディアでその活動が大きく取り上げられました。
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「愛知県 学費と奨学金を考える会」の活動は、貧困問題や多重債務問題に取り組む弁護士や司法書士らの、奨学金問題に取り組む全国組織をつくろうとする気運を生み出しました。そして、2013年3月、返済困難者の救済と奨学金制度の改善に取り組む全国組織である「奨学金問題対策全国会議」が結成され、私は共同代表をつとめることとなりました。
この新団体が発足したことで、奨学金問題を新たな視点で捉え、社会に発信していくことができるようになりました。ここに集まった弁護士や司法書士は、多重債務問題や貧困問題への取り組みを通じて、「日本学生支援機構」(旧日本育英会)の奨学金が実際には修学援助金という名目の金融ローンであることを早々に見抜いていました。彼らがこの問題にあたることによって、それまで「教育費」の問題としてのみ捉えられがちだった奨学金が、「借金」や「債務」という視点で捉えられるようになりました。教育研究者である私も、奨学金問題を考える際に彼らから多くのことを学びました。
「奨学金問題対策全国会議」の活動は、奨学金問題についての世論や報道を変えていきました。それまでは「借りた金を返さない若者の責任だ」という見方が圧倒的に多かったのが、返済できなかった時の「延滞金」の過酷さ、利子の存在や厳しい取り立てなど、奨学金の制度や運用の問題、または返済しようと思っても返済できない「若者の貧困」が取り上げられるようになりました。
奨学金問題に対する世論や報道の変化は、比較的短期間で制度の改善をもたらしました。13年末には、14年度以降の延滞金賦課率の10%から5%への引き下げ(20年度には3%に引き下げ)、返済猶予期限の5年から10年への延長が決定。また、日本学生支援機構の奨学金自体も有利子貸与が13年の91万人から14年には87万人へと減少し、無利子貸与は43万人から46万人へと増加しました。
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15年に入ると、奨学金制度改善の運動は一段と発展することになりました。それは「労働者福祉中央協議会(中央労福協)」が、運動に取り組むようになったためです。きっかけは15年6月に愛知県春日井市で行われた、中央労福協の15年度全国研究集会でした。その会場で私は、奨学金問題をテーマとした講演「貧困ビジネスと化した『奨学金』 苦悩する若者たち」を行いました。
ここでの講演の反響はとても大きかったです。講演終了後、数多くの参加者から直接話しかけられ、またその場での講演依頼も多数ありました。労働者の生活と福祉を向上するための全国組織である中央労福協の皆さんにとっても、奨学金返済に苦しむ若者の実態は注目に値するテーマだったようです。
弁護士や司法書士ら法律の専門家が参加し、当事者の相談に応じてきた奨学金問題対策全国会議と、中央労福協が連携することによって奨学金制度改善の運動は大きく前進しました。15年10月から、中央労福協は「給付型奨学金制度の導入・拡充と教育費負担の軽減を求める署名」活動を開始。奨学金問題対策全国会議も全力で協力しました。
中央労福協による署名活動が始まって以降、全国各地で奨学金問題についての学習会・講演会・集会が行われ、制度を改善する運動は全国化することとなりました。署名数は順調に増加し、16年3月に300万筆を突破。3月22日に奨学金問題対策全国会議と中央労福協は揃って総理官邸へ赴き、世耕弘成官房副長官(当時)に署名簿の提出と要請を行いました。30日には、馳浩文部科学大臣(当時)にも署名簿を提出しました。
この時期あたりから新聞などに「安倍晋三政権が給付型奨学金制度の導入を検討」といった内容の記事が出るようになり、同年の参議院議員選挙では第1回の18歳選挙権選挙ということもあって、給付型奨学金制度の導入を多くの政党が公約に掲げました。そして16年末、「給付型奨学金の導入」が決定。17年度から一部先行実施、18年から正式実施となったのです。
20年、大学の講義でこうした経緯を説明したところ、出席している学生が「私は給付型奨学金の制度があったから、中京大学に来ることができました」と直接伝えてくれたことがあります。これはとても嬉しい経験として、私の記憶に残っています。
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