新聞記者時代の先川祐次さん(1957年2月21日、イラク・バグダッド)
「満州国最後の極秘計画」と日本のいま
先川 思えば、僕と親父とはつかず離れずのような親子関係でした。彼が100歳を超えたとき、僕が北海道新聞を定年退職したこともあって、福岡の実家で約2カ月間、これまでの人生について連日8時間以上話し合ったことがあるんです。おふくろは他界していたし、親父はビールを飲みながら話すことが楽しかったみたいです。だから、親父の過去については大抵のことは知っているつもりでした。
ところが「101歳からの手紙」に書かれていた「満州国最後の極秘計画」については、親父は最後まで一言も言いませんでした。見栄っ張りだから、息子から批判的に見られたくなかったんじゃないかな。だから最初に連載で読んだときには、「えっ! うそだろう」と驚きましたよ。親父、凄いこと隠してたな、と。満州国とアヘンの闇がこれほど深かったとは―――。
三浦 私もびっくりしました。最初は「満州国で最後に実施された極秘計画というものがあり、そこに実は先川祐次さんが関わっていた」ということを、私は2010年に開かれた建国大学の最後の同窓会で、ある同級生の方に伺ったんです。すぐに記事にしようと祐次さんの元を取材で訪れたのですが、それを聞いた祐次さんは「誰に聞いたんだ!」と激怒されて……。それ以後も10年以上も取材を続けてようやく、死の間際に打ち明けてくれたのが「最後の秘密」でした。
先川 あれを読むと、満州国の最後の極秘計画が現在の日本の枠組みにもしっかりと影響していることがわかります。凄い話ですよね。わずか13年半で消滅した砂上の楼閣のような満州国。日本の敗戦と戦後復興、GHQとA級戦犯容疑者たちの釈放……。すべてが地続きで今につながっていることは衝撃的でした。
僕は今、札幌市立大学で国際関係論を教えていますが、学生たちに外交や安全保障、平和論、近現代の戦争の実相を伝えることは、とても大切なことだと思っています。昭和史研究で知られる札幌出身のノンフィクション作家保阪正康さんも指摘しているように、日本は日清戦争(1894~95年)から1945年の敗戦まで50年間、戦争ばかりやってきた。いろいろな国に派兵したものの、7~8割は餓死、戦病死。信じられないほど暴力的な時代だったのに、戦争指導者や国家主義について徹底的な検証をしていない。
我々のジャーナリストの仕事って、秘められた事実を発掘して、それを社会に提示することによって、どこかで時代を動かしていく。そういうことを僕らはもっと真剣にやっていかなければいけないし、歴史の記録として後世に残し、戦争の歯止めにしなきゃいけない。
僕もまだまだ現役で、昨年はウクライナを取材して戦時下の様子を雑誌で伝えました。現地でインタビューしたウクライナの国民的詩人オスタップ・スリヴィンスキーさんは、「平和が戦争と戦争の間の時期であってはならない」と語っていました。『1945』はその意味でも、過去を掘り起こすだけでなく未来を変える可能性を秘めた仕事だと思います。
三浦さんには、これからも知らない事実を広く伝えてくれるノンフィクションを最前線で書き続けてほしいと期待しています。
先川信一郎さん(左)と父・先川祐次さん(右)