「あの戦争」から80年を迎えた今夏、三浦英之さんの新刊『1945 最後の秘密』が刊行された。これまで日本でもほとんど知られていなかったアジア太平洋戦争における歴史的事実に光をあてた作品群のなかでも、最も多くのページが割かれているのが満州国における「最後の極秘計画」が綴られた第4章「101歳からの手紙」だ。主人公は満州国の元官僚で、戦後は西日本新聞のワシントン支局長を務めた先川祐次さん(享年101)。そんな稀代のコスモポリタン(国際人)の人生を、長男の先川信一郎さん(北海道新聞元ワシントン支局長)と著者の三浦さんが札幌市内で語り合った。
先川信一郎さん(左)と三浦英之さん(右)
「101歳からの手紙」
三浦英之 ご尊父の先川祐次さんには生前、大変お世話になりました。ご長男の先川信一郎さんとは2021年秋、私がウェブメディアで「101歳からの手紙」を連載した直後に、ご実家のある福岡市でご尊父と私と3人でお会いしたのが初めてでしたね。改めて『1945』の中の「101歳からの手紙」をお読みになっていかがでしたか?
先川信一郎 いやあ、親父のことをあんなに詳しく取り上げていただき、ありがとうございました。ウェブメディアでの連載直後は、親父もとても喜んでいました。三浦さんは現役の新聞記者だけあって、当時のことを本当によく調べているし、取材が緻密で記述が正確。僕や僕の家族も随所に登場するけれど、文章に臨場感があってぐいぐいと引き込まれました。粘り強い取材過程を含め、ルポルタージュとはこのように書くのかと、感嘆しながら一気に読みました。
三浦 ご尊父の祐次さんは本当に稀有な人生を送られましたよね。満州で生まれ、僕らが教科書で習うような満州事変なんかも目撃している。その後、満州国の官僚育成を目的とした建国大学に1期生として入学し、卒業後は満州国の心臓部である総務庁の官僚になって、外国の諜報業務などにも携わっていた。それだけでも凄いのに、戦後は西日本新聞に入ってワシントン支局長を務め、ケネディ暗殺事件などにも遭遇している。そんな激動の生涯で見聞きした「秘密」を、祐次さんは亡くなる2カ月前に私に手紙で送ってきてくださいました。
三浦英之著『1945 最後の秘密』(集英社クリエイティブ刊)
満州国での生々しい青春と戦争の狂気
先川 親父は新聞人だったから、「人生の締め切り時間」をわかっていたのでしょう。三浦さんへの手紙はギリギリのタイミングでした。親父との会話を思い出してみると、戦争ですごく苦労したはずなのに、家族には「自分はかなり恵まれていた」と言っていた。当時暮らしていた奉天(現・瀋陽)の家は広大な屋敷で、親父の父親が朝鮮銀行の支店長だったこともあり、お手伝いさんやコックさんがいて、非常に恵まれた暮らしだった、と。その一方で、植民地支配下の中国人たちは極貧状態にいたわけです。
ある冬の夜、小学生だった親父が家の窓から外を見ると、路地には黒い塊が点々と転がっている。よく見ると、それらは中国人労働者の凍死体だったらしいです。『1945』の「101歳からの手紙」には、今ではちょっと想像がつかないような、当時の満州における生々しい市民生活の描写も、たくさん出てきます。また、満州には多くの民族がひしめき合うようにして住んでいて、日本とは全く違う国際的な雰囲気だったことがわかる。
三浦 そうなんです。ご尊父が死の直前に私に送ってくださった「手紙」は、元新聞記者らしく数十枚の原稿形式になっていて、そこには自らの人生における出来事だけでなく、少年期や青春期に過ごした満州国内の街の様子や人々の生活様式などが、まるで写真のように詳細に描かれていた。