ローマ・カトリック教会において、ローマ教皇(法王)を選ぶための選挙会議。あるいは、選挙会議が行われる部屋及び選挙者集団を指すこともある。
「cum=とともに、と一緒に」+「clavis=鍵」というラテン語が語源で、本来密室や立ち入り禁止の広間などの意だが、これが教会用語となったのは、異説もあるが1268年、教皇クレメンス4世がイタリアのビテルボで没した際に、当地で行われた選挙からだとされる。もともとローマ教皇は、ローマ周辺の聖職者や領主らが選んでいたが、世俗権力の介入を嫌って、選挙権を持つのは、1059年以来教皇の最高顧問である枢機卿(すうきけい/すうききょう)に限定されていた。しかし、この時は派閥争いなどで会議が紛糾、数カ月たっても後継が決まらなかった。そこでビテルボの人々は、フランチェスコ修道会総長ボナベントゥーラの勧めにより、18人の有権者を宮殿に閉じ込めて鍵をかけ、パンと水しか与えずに、選挙に専念させた。およそ3年後の1271年、ようやく選ばれたグレゴリウス10世は、74年のリヨン公会議でこれを制度化。以来コンクラーベは教皇選挙の代名詞となった。
現在のコンクラーベは、第264代教皇ヨハネ・パウロ2世が1996年に発した「ウニヴェルジ・ドミニチ・グレジス 使徒座空位と教皇選挙」の中の「コンクラーベ規則」などに従って実施する。教皇の死去または退位から15~20日の間に、ミケランジェロの天井画「最後の審判」で有名な、バチカンのシスティーナ礼拝堂で行われる。選挙権・被選挙権を有する80歳未満の枢機卿(カトリックでは女性は聖職者になれないため、枢機卿は全員が男性)の間で、事実上の互選により3分の2以上の票を得るまで投票を繰り返す。秘密保持のため投票用紙は焼却されるが、礼拝堂の煙突から白い煙が出れば選出決定、黒い煙なら未決(再投票)を意味する。
2013年2月11日、第265代教皇であるベネディクト16世が高齢を理由に退位することを表明。存命中の退位は1415年のグレゴリウス12世以来約600年ぶりのことで、同月28日の退位を受けて同年3月12日からコンクラーベが開かれた。その結果、翌13日に枢機卿115人の中からアルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオが選出され、同月19日に教皇フランシスコとして着座した。