ごく普通のゲーム好きの女子大生が、社会に出てひょんなことからプロゲーマーの道を歩くようになる。そこではさまざまな出会いがあり、勝つことへの執着や、プロとして生き抜く強い思いを見せつけられた。今回は「私にとってゲームとは?」という自問から、〈チョコブランカ〉の愛称で呼ばれるまでに人生を変えたゲーム「ストリートファイター」についてのこと、そしてプロゲーマーとはどんな存在なのか?強さの秘密はどこにあるのか?――などを語ってみた。
ゲームがもたらしてくれたもの
皆さんにとって“ゲーム”とはどんな存在ですか?
ここで言うゲームとは「ストリートファイター」(カプコン)のような、ゲームセンターに置いてあるいわゆるアーケードゲーム、または家庭用ゲーム機で遊ぶゲームのことです。暇つぶし? 誰かと一緒に遊ぶためのツール? 子どもの頃は遊んだけど、今はもう遊ばないおもちゃ? はたまた印象の悪いモノだったりしますか――?
先日、某テレビ番組の取材を受けていた時に「チョコさんにとってゲームとは何ですか?」と質問され、そこで私は「うーん……」と考えてしまいました。今までも何度か取材や番組収録などの中で同じような質問をされたことはあるのですが、その都度、考えてしまうんですよね。
なぜなら、一言では簡単に言い表せないから。
私にとってのゲームは、気づいたらそばにあって、とにかく楽しくて夢中になれるもので、振り返ってみても私の人生にはなくてはならないもので、私の人生を変えてくれたものなんですね。私のまわりは、ゲームをしていなかったらきっと出会えなかったすてきな人たちで溢れていますし、プロゲーマーであり夫である〈ももち〉と出会えたのもゲームのおかげです。そして、ゲームを通じて世界中に友人と呼べる存在ができました。
気が付けばそこにあるもの。切っても切れないもの。純粋に楽しいもの。そして何より「出会い」のキッカケをもたらしてくれるもの。本当に、とても一言では言えないくらいの存在。ゲームは楽しいだけでなく、国境さえも越えて人と人をつなげてくれ、世界や視野を広げてくれ、多くのすてきな出会いをもたらしてくれ、結果として私の人生を豊かなものにしてくれました。
格闘ゲームは苦手だった私
私は、幼い頃からテレビゲームが好きでした。4つ下の弟がいたので、小学生の時には弟と協力して遊べるマルチプレーゲームを好んでやっていました。一緒にモンスターと戦ったり、世界を救ったり……。
その後は一人でモンスターを育てるゲームや、牧場を作り上げるゲームにはまったりもしましたが、やっぱり誰かと一緒にクリアして、その感動を共有するのが楽しいと感じていたので、そんなふうに遊べるゲームが一番好きでした。逆に今、私の仕事のメーン種目となっている格闘ゲームや、対戦系のゲームは「勝った」「負けた」で弟とけんかしてしまうのが嫌だったので、子どもの頃はあまりやりませんでした。私、元々争いごとは嫌いなんです。
そんな私が、「ストリートファイター」という対戦格闘ゲームの魅力の虜(とりこ)になったのは2008年の秋。当時、大学4年生だった私は、大学の友人たちと「モンスターハンター」(カプコン)という、プレーヤーが協力してモンスターを倒すゲームに夢中でした。その友人たちとはグループで旅行に出かけたり、ゲーム以外にも遊びまくりの毎日を送っていました。私は勉強も真面目にやっていたので、早々に単位をとり終え、自動車販売会社への就職も決めて、残りの大学生活はすべて遊びやアルバイトに費やせたんです。
ある日、いつも一緒にゲームをしていた男友達の一人が「『ストリートファイター』の新作でIVが出たらしいぞ! ゲームセンターへ行こう!」と言い出し、「『ストリートファイター』かー、格闘ゲームはなー……」と思いながらも渋々ゲームセンターへついていきました。で、それまで格闘ゲームを全然やったことのなかった私は、まずは一番主役的なキャラクターである〈リュウ〉で遊んでみました。でもレバーとボタンで操作するコントローラーを触るのが初めてだったこともあり、うまく戦うことができません。友人たちは前作の「ストリートファイターIII」などのプレー経験があり、突き上げるように跳躍しつつ拳を叩き込む“昇龍拳”や、相手に向けて気の塊を飛ばす“波動拳”といった技を使って戦っていて、とても楽しそうでした。
緑色のキャラクターとの出会い
「私もキャラクターをうまく動かして戦ってみたいー」
そう思っていた時に「動かしやすくて、簡単に扱えるキャラクターだから使ってみたら?」と、友人が勧めてくれたのが〈ブランカ〉でした。
〈ブランカ〉というキャラクターは、緑色の野獣のような見た目で、体から電撃を放ちます。元々はジミーという名前でしたが、子どもの頃に飛行機事故でアマゾンの奥地に取り残され、獣たちと共にサバイバル生活を送りながら育つ中で野獣のように変貌した――という設定も興味深いポイントです。すごくワイルドな見た目なのですが、私にはそのキャラクターがとても愛らしく見えたので、使ってみることにしました。
すると、何ということでしょう。とても簡単に動かすことができ、ビギナーの私が友人たちといい勝負を繰り広げ、しかも勝利することができました。キャラクターを操作する楽しさに加え、なんとも言えない爽快感! “ゲームで相手に勝つ”という喜びを知った瞬間でした。
もっと上手に動かせるようになったら、もっと楽しくてもっと爽快感を味わえるかもしれない! じゃあやり込むしかない! 元来が生真面目な性格もあってか、気が付いた時にはゲームセンターに足が向いていました。こうして22歳の秋に、私と〈ブランカ〉の日々がスタートしたのです。
それからは自由自在に〈ブランカ〉を扱えるようになるため、およそ毎日と言っていいほどゲームセンターに通って練習しました。当時の私は、大学キャンパスの近くの喫茶店でアルバイトをしていたのですが、なじみのゲームセンターに通ううち、とうとうそこでもアルバイトを始めました。
大学を卒業するまで、週に最低4、5日はゲームセンターでアルバイト。開店時刻の朝9時から夕方6時まで働き、その後は閉店時間まで「ストリートファイターIV」をやる! という、とても“無駄のない生活”を送りました。しかも開店時には率先して「ストリートファイター」のゲーム機に電源を入れ、毎日念入りに筐体を磨き……と、入れ込んだんです。一度ハマると、とことんハマってしまう性格で、ゲームセンターで働いて稼いだお金は、ほとんどその店で使いました。なんとよい店員だったことか!
始まりはゲーセンのイベント
練習のほうは、まずは必殺技を出したい時にちゃんと出せるように、次は連続技(コンボ)をしっかりつなげられるように、と小さな目標を立ててはクリアすることを毎日積み上げていきました。できなかったことができるようになるのはうれしいものです。さらに「女の子なのにすごいね」と友人が褒めてくれるたびに、調子に乗って“もっとうまくなろう”という気持ちが一層強くなりました。
このような小さな成功体験を積み上げ、小さな承認欲求を満たしてもらうことで、楽しさ、うれしさを感じ、私はどんどん「ストリートファイター」というゲームにのめりこんでいきました。
強さを求めていくうちに「アルカディア」(エンターブレイン)などのゲーム雑誌も買うようになり、トッププレーヤーの試合が収録された付録のDVDを見たり、攻略情報を読んだり、ネットでも対戦の動画を見るようになっていきました。そうこうするうちに全国各地にいろいろな強豪プレーヤーがいることを知り、またゲームの大会というものがあることも知りました。
そこで私は、当時住んでいた愛知県豊田市の「プラサカプコン」というゲームセンターで行われた大会に参加してみました。場所はショッピングセンター内。大会といっても規模は小さくて、参加者も大学生っぽい男性や子ども連れの若いお父さんなどが数名。女性はもちろん私だけ。優勝者には確か、全国大会に向けた地区予選決勝大会への出場権が与えられました。