水の硬度とは、一般的には水に含まれるカルシウムやマグネシウムなど、人体に必要な無機物であるミネラル成分量の値を指します。地域にもよりますが、欧米の水は硬度が高く硬水と呼ばれ、日本の水は硬度が低いので軟水と呼ばれます。
一般的に地下水の方が河川水に比べて硬度が高くなります。欧米のように地下水が石灰質の地質を長い時間かけて通ると、水に無機物が溶け出すので硬度は高くなります。一方で日本の地下水は、地中を通り抜ける時間が短いので、硬度が低くなるのです。
さて、この硬度の違いで水の味はどう変わるのでしょう? ふだん、軟水に慣れている日本人は、軟水はなめらかな味わいで、硬水はクセのある味だと感じる場合が多いでしょう。たかだか1リットルあたり、数十~数百ミリグラムの無機物の量です。しかし、その水の硬度によって、味が大きく左右されるものがあります。それは日本酒です。もちろん、原料である米にも大きく依存しますが、なんといっても水は日本酒の8割を占める重要な成分です。「名水あるところ銘酒あり」とはよく言われますよね。
日本酒は、米を発酵したものです。発酵は酵母などの微生物が米、正確には、米のでんぷんを分解したブドウ糖を分解してアルコールに変化させています。この微生物である酵母の栄養源になるのが無機物なのです。その無機物であるミネラルを多く含む硬水は、酵母の栄養源となるため、発酵の進行を助けます。ですから、短時間でしっかり発酵させることができます。
酒造技術が高くなかった江戸時代では、ゆっくり時間をかけて発酵させる軟水での酒造りの場合、発酵の途中で腐敗してしまうこともありました。ですから、短時間で確実に発酵できる硬水が好まれたのです。江戸時代から名水の誉れ高い灘の「宮水」は硬水です。「宮水」は、発酵を助けるカルシウム、カリウム、リンというミネラルを多く含むだけでなく、酒造りにとって害となる鉄分が少なく、まさに日本酒造りにぴったりの水でした。
さて、日本には「男酒」「女酒」という素敵な呼び方があります。「男酒」とはコクがあり、酸が多めの辛口の酒のことを指します。代表的なのは先ほど述べた「宮水」で仕込まれる酒です。「女酒」は、比較的硬度の低い水で時間をかけ、おだやかに発酵させたあっさりした上品な味わいの酒です。また、軟水では完全に発酵せずに残る糖分が多くなるため、酸が少なめで甘口なのも特徴です。代表的な例として、京都の伏見の水で造られた酒が挙げられます。まろやかな甘口で、京料理に合うように洗練されていきました。
しかし、伏見の水は硬度が低めとは言え、日本国内の平均的な水よりもミネラル分が多くなっています。やはり、軟水が多い日本では、硬度が高くて日本酒を造りやすい水は貴重な存在だったのです。
昔から日本酒にかかわる人たちは、おいしい酒造りのための鍵となる「水の硬度」のことを知り尽くしていたと言えるでしょう。現在のように科学的根拠の裏付けがなくとも、彼らの知恵は立派な理論体系に基づいていたはず。日本酒をいただくときは、そんな古くからの叡智(えいち)にも乾杯したいところですね。