(2)「性役割」(性別役割、ジェンダー役割)
実際の使われ方をみると、ジェンダーを日本語に置き換えたとき、その十中八九が「性役割」と訳されるのではないかと思います。「性役割」とは、「男だから」「女だから」こうあるべき、こうするべきという性別に基づく制約で、単なる個々人レベルでの思い込みにとどまらず、暗黙の了解にも等しい圧力のようなものも含んだ社会的規範のことです。
(3)「性差」
「性差」とはつまり男女の違いですが、気をつけてほしいのは、集団としての男女の違いであって、個々の女性や男性についてあれこれ言うことは「性差」ではなく「個人差」だということです。
そのことを踏まえた上で具体的に言うと、まず、男女という性別で分けたときの骨格や身長、体脂肪率の平均値などの肉体的な性質に基づく性差があります。これは伝統的に「セックス」と呼ばれて、社会的な「ジェンダー」と区別されることが多いですが、セックスとジェンダーを完全に区別できるかどうかをめぐっては議論があります。まず第一に、ちょっと大きな話になりますが、セックスとジェンダーという二分法は肉体と精神という近代的な心身二元論に乗っかった考えで、現代の認知科学や哲学はそれをさまざまな角度から批判しています。常識的に考えても、肉体と精神とは全く別のものだと言い切れる人はいないのではないでしょうか。そして第二に、肉体の性質とひとくちに言っても、それをどのように認識し、どのように描くかは、時代や地域、あるいは学問的立場などによって異なるわけで、やはり人間の社会的な営みから切り離すことはできません。たとえば「女性には母性本能がある」という考えが今でもありますね。本能であればそれはセックスであってジェンダーではないということになりますが、しかし、仮に母性本能というものがあるとしても、それは生まれつき固定されたものではなく、成長過程、とりわけ実際の育児経験を通して養われていくものだと見られるようになっています。
さらに、「性差」として語られるけれども、実は規範的な「性役割」に限りなく近い「根拠が怪しい思い込み」もあります。たとえば、「女性は感情的だ」といったことですね。実際には怒りに我を忘れて暴力事件を起こすのは圧倒的に男性が多いのですが。ただ厄介なのは、こうした偏見は現実にも影響を与えうるもので、たとえば、女性には母性本能があるから保育の仕事に向いているという規範が広く共有されていれば、その結果として女性の保育士が男性よりも多くなるという「実在する性差」を生み出すこともあるわけです。
この点に関連して言い添えておけば、肉体そのもの性質ではなくても、男女の行動パターンの違い、たとえば理系進学率の男女差や、保育士には女性が多いことなども性差の一種です。性差という言葉はからだの作りや生まれつきの本能だけを表すのだと思っていたという学生さんがいたので、念のため付け加えておきます。例に挙げたのは客観的な事実として存在する性差ですが、ただし気をつけなければいけないのは、「行動に性差がある」ことと「性差の原因は何か」は別の問題だということです。なぜこういうことを言うかというと、繰り返しになりますが、こうした性差が安易に「生まれつき」と決めつけられてしまう傾向があるからです。実際の性差は、必ず成育環境や、何らかの社会的影響を受けています。人間のあらゆる性質は遺伝子と、(家族から国際関係に至る全てを含む意味での)環境の相互作用から生じるのであって、どちらか一方だけで決まるのではないというのが、現代科学の共通了解ですね。
(4)「性自認」(ジェンダー・アイデンティティ)
「性自認」は、一見単純そうで、ジェンダーの構成要素の中でもっとも不透明でやっかいな概念です。そもそもジェンダーに限らず、アイデンティティという現象一般がそういうものなのですが。これについては、後編で詳しく述べていきたいと思います。
今挙げた「性別」「性役割」「性差」「性自認」を一括して「ジェンダー」という言葉で表せるのは非常に便利ではありますが、この4つのどこに力点をおいて「ジェンダー」と発言するかは、人によっても会話の内容によっても違うことがあり、しばしば議論のすれ違いを生んでいます。ジェンダーについて語るときには、いったいどの側面にスポットライトを当てたいのかを意識して、明示することが必要でしょう。
ジェンダーとフェミニズムの関係について
――「ジェンダー不平等」や「ジェンダー・ギャップ」のように、ジェンダーが「女性差別」や「男女間の格差」の問題を扱う場で使われることも多いと思います。これらは、これまでフェミニズムが訴えてきたことでもあります。ジェンダーの問題=フェミニズムの問題なのでしょうか。
答えから言うと、必ずしもそういうわけではありません。けれども、ジェンダーという概念がフェミニズム運動と密接に結びついていることも事実です。この辺りの機微を少しでも理解していただくために、軽く歴史を振り返ってみたいと思います。
「ジェンダー」という言葉は、もともとは単なる文法用語でしたが、1950年代に心理学や精神医学の領域で、人間には男と女しかいないとする「性別二元論」では説明できない性を表す言葉として使われるようになりました。つまり、ジェンダーという概念の由来は、今日の言葉でいえば、フェミニズムよりもむしろトランスジェンダーに関わる議論の中にあるのです。
しかしその後、1960年代後半から盛り上がりを見せた女性解放運動(ウーマン・リブ)の影響の下、フェミニストの学者たちが、性役割や性差を含む意味で「ジェンダー」という言葉を導入し、発展させてきました。
フェミニズムは、(集団としての)男性と女性との間に差別や格差、暴力が存在するということを指摘し、そうした現実の変革を目指す思想であり、社会運動です。変革すべき現実の土台にあるのは、「男はこうあるべき、女はこうあるべき」という性役割規範と、それを支える「男とは本質的にこういうもの、女とはもともとこういうもの」という性差の固定観念です。そこから、男性であること、女性であることは、セックス(生物学的な性別)に基づく先天的な属性ではなく、文化や社会によって形作られるものだという意味で、「ジェンダー」が使われるようになったのです。つまり、先ほど説明したジェンダーの概念の土台を作り上げてきたのは、まさしくフェミニズムだったわけです。
日本では1980年頃まで、今ではフェミニズムと結びつけられる社会的、経済的、政治的な課題は「婦人問題」「女性問題」と呼ばれていました。しかし、これでは問題が女性の側にあるように聞こえてしまいます。問題はむしろ男性の側、あるいは男女の関係性全体が不平等だというところにあるわけです。そこで、男女の関係性全体を表すものとして「ジェンダー」という言葉が次第に使われるようになってきたのです。ただし、後で述べるように、それに対して激しい攻撃も行われたのですが。