安保法制とイラク戦争の検証
イラク戦争の検証が必要だ、と筆者が考える大きな理由として、安保法制で米軍などを支援しようという自由民主党は、イラク戦争の反省がまったくなく、米軍が犯してきた戦争犯罪についても、それを認めようとしないことがあります。安保法制の国会審議で、山本太郎参議院議員は安倍晋三首相に対して、次のように問いただしました。「2004年4月、米軍はイラクのファルージャという都市を包囲。猛攻撃を行った。翌月、国連の健康の権利に関する特別報告官が、ファルージャの攻撃で死亡したのは、90%は一般市民だった。約750人が殺されたという情報もある。国連は一刻も早く、人権侵害行為に関して、独立した調査を行うべきである、という声明も出している」「これ、一部のおかしな米兵がやったことじゃないですよ。米軍が組織としてやってきたことです。ファルージャだけじゃない、バグダッドでもラマディでも。総理、アメリカに民間人の殺戮(さつりく)、当時『やめろ』って言ったんですか? そしてこの先、『やめろ』と言えるんですか?」(15年7月30日参議院・安保法制特別委員会)。これに対し安倍首相は、「まず、そもそもなぜアメリカ、多国籍軍がイラクを攻撃したかといえば、当時のサダム・フセイン独裁政権が、化学兵器・大量破壊兵器はないということを証明する機会を与えたにもかかわらず、それを実施しなかったというわけであります」と、米軍によるファルージャでの虐殺の是非については直接答えず、「イラク戦争が起きたのは、イラク側に責任がある」とごまかしたのでした。
しかし、この安倍首相の主張には大きなウソがあります。イラク戦争の開戦理由とされた「イラクの大量破壊兵器」については、開戦前にイラク側は査察に応じていたし、国連の査察団もイラクは脅威ではないとの認識を深めていました。私は、当時、現地で査察を行っていた「国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)」の委員長だったハンス・ブリクス氏に話を聞きましたが、ブリクス氏は「02年から03年2月までイラクで700回に及ぶ査察を行った。その上で、国連安全保障理事会には、大量破壊兵器は一切見つからなかった、と報告した」と言っていました。そのことを日本の政府や外務省が知らないわけはないのです。イラク戦争を主導したアメリカですらも、後に上院議会の情報特別委員会で「大量破壊兵器についての情報は誤りだった」(04年7月と06年9月)と認めています。
また、安倍首相は安保法制の運用において「国際人道法を守る」と国会質疑において、発言していますが(15年7月30日参議院・安保法制特別委員会)、山本太郎参議院議員に、具体的に米軍によるイラク西部ファルージャへの攻撃についての認識を聞かれると、きちんと答えず、話をそらしたのが、象徴的です。国際人道法では、民間人を狙った攻撃の禁止、医療活動の妨害の禁止などが定められています(ジュネーブ諸条約)。ところが、04年の4月と11月、米軍がファルージャで行った「対アルカイダ掃討作戦」は、無差別虐殺そのものでした。同作戦では、非人道兵器であるクラスター爆弾や白リン弾を投下、逃げ惑う人々を無差別に殺すなど、国際人道法違反の戦争犯罪が繰り返されました。私も04年の5月から7月にかけ、現地を取材しましたが、病院を包囲して銃弾を雨あられのように撃ち込む、救急車を爆撃するなど、明らかに戦争犯罪とみられる攻撃が行われていました。
戦争犯罪である行為を戦争犯罪と認めず、アメリカですら今は誤りと認めているイラク戦争開戦の口実を主張し続けて、イラク戦争を支持したことを正当化している。このような安倍首相や自民党が、これから先も誤った情報・主張に基づいた戦争を支持・支援したり、戦争犯罪の片棒を担いだりしたりしないという保証がどこにあるのでしょうか。
日本はイラク戦争に参戦していた!
実際、安保法制が強行採決される以前から、日本はイラク戦争に参戦していましたし、政府は国民にウソをついていました。07年4月24日、衆議院本会議で安倍首相(第1次安倍政権)は「自衛隊がイラクにおいて行う人道復興支援活動等は多国籍軍の武力行使と一体化することはありません」「航空自衛隊は、人道復興支援活動として国連の人員、物資等を、また人道復興支援活動及び安全確保支援活動として多国籍軍の人員、物資を輸送しています」と答弁しています。このように政府によって、あたかも「人道復興支援」が中心であるかのようにアピールされてきた航空自衛隊の活動ですが、その実態は「米軍の空のタクシー」でした。名古屋の市民運動家らの情報開示の求めに応じ、民主党に政権交代した後の09年9月に防衛省が開示した、イラクでの活動実績によれば、航空自衛隊が輸送した人員の割合で「国連関係者」はわずか6%にすぎず、全体の6割以上が、米軍を中心とする多国籍軍関係者でした。当然、米兵たちは銃火器で武装しており、そうした事実は記録にも残っています。国際的な戦争の常識で言えば、戦闘人員及び武器弾薬の運搬、つまりロジスティクス(兵站〈へいたん〉)は戦闘行為の一環とみられます。08年4月に名古屋高等裁判所が下した航空自衛隊のイラクでの活動を「違憲」とする判決も、戦闘人員や武器弾薬の運搬が、憲法で禁じられている集団的自衛権の行使にあたる、つまり「自衛隊の活動が米軍と一体化している」と判断したことによるものなのです。安保法制が強行採決され、施行される以前から、このような状況だったのですから、今後、なし崩し的に日本が対米協力の軍事作戦を行う可能性が高まっていると警戒すべきです。
イラク戦争検証、イギリスの場合
筆者がイラク戦争の検証で、日本が参考にすべき事例だと思うのが、イギリスでの検証です。イギリス軍がイラクから撤退した09年7月、当時のゴードン・ブラウン首相の指示と議会の承認の下、元アイルランド省事務次官のジョン・チルコット氏を委員長に、国際政治学者や歴史家、元外交官など5人のメンバーによる独立検証委員会が活動を開始します。これが「イラク戦争検証委員会」(以下、イラク検証委)です。イラク検証委の最も注目すべき点は、公開性。検証は、主に公聴会での証言と、機密を含む政府文書の分析からなりますが、トニー・ブレア元首相やジャック・ストロー元外相など、当時の政権の中枢にいた人物を含む政府関係者が、原則公開の公聴会で当時の状況について証言し、その動画や議事録をイラク検証委ホームページで誰でも見ることができるのです。さらに、当時の機密文書も次々開示され、これらもホームページで公開されています。これらの検証により、イラク戦争の大義というものがますます信ぴょう性のないものであったことが明らかになってきました。例えば、01~03年に外務省で大量破壊兵器拡散防止を担当したティム・ダウズ氏は、「イラク軍は生物・化学兵器を45分以内に配備できる」というブレア元首相の当時の主張について「45分云々とは通常兵器のことで、生物・化学兵器のことではなかった」と指摘したにもかかわらず、政府見解には反映されなかったのだと証言しました。イラク戦争をめぐっては、それが自衛と国連決議による介入以外の戦争を禁じた国連憲章に違反するのでは、という批判が当初からありましたが、イギリス外務省主席法律顧問だったマイケル・ウッド氏は03年1月、次のようにストロー外相(当時)に報告したと証言しています。「(イラクに対し大量破壊兵器査察への協力を求める)国連決議1441号は、イラクに対し、大量破壊兵器査察に応じるよう最後の機会を与えたが、これを考慮しても、合法にイラクに武力行使を行えない」「国連安保理決議に基づかない武力の行使は国際法違反の侵略行為になる」。ところが、ストロー外相は、一笑に付し拒絶したのだそうです。