お互いに違う状況の自分とあの人が、同じ社会の中で嫌な思いをしないで生きていくためにはどんな工夫が必要なのか。それは『どちらが正しいかを決めること』では決してないはず。どちらも正解とは言い難いかもしれないし、そもそも正解なんてないかもしれない。そして価値観の違う私と誰かが、少なくとも嫌な思いや危険な思いをせずに社会で共存する方法は、力でやり込めることではないと思うんですよね」
16年8月に気づいた、「個」である大切さ
力でやり込めないのは「日本死ね」の叫びを攻撃した人たちに対しても同様で、「狭量な人たちだ」と排除するのではなく、彼らにとっての赦(ゆる)しの場を作ることでもこの社会は変わっていくのではないか。そんな気持ちで日本を見ていると、小島さんは語る。「ベビーカーを押して満員電車に乗ると白い目で見られますが、怒る対象は本来ならベビーカーでもサラリーマンでもなくて国の在り方なのに、なぜかそうならないですよね。それが日本の教育制度の皮肉にも素晴らしい点で。私たちはそれこそ小学校1年生から、『先生の言っていることは正しい。だから先生に逆らうな』と教えられています。どんな理不尽なことを先生が言ったとしても、従わない子は悪い子だと刷り込まれます。その刷り込みが今の日本では極めてうまく機能しているから、社会に対しておかしいと言うのはみっともないこと、はしたないことだと自制するようになる。でも『これはおかしい』と声を上げることは、和を乱すことでも、空気を読まない恥ずかしい行動でもなく、当たり前のこと。なのに『みっともない』『空気読めよ』と相手を抑え込もうとしてしまう。これをやめない限り、『みっともない』と言っている人も決して報われない。今必要なのは「赦し」です。むしろ攻撃に走ってしまう人が抱えている、たとえば『自分の子育ては本当に孤独だった』とか『家計が苦しいから働かなくちゃいけなかったのに、当時は子どもを預ける場所もなくて辛かった』といった恨みつらみを吐き出す場を作って、さらにそれを今しんどい思いをしている人たちとシェアすることができれば、社会の在り方は変わっていくと思うんですよね」
そしてもう一つは、「個であること」を互いに認めること。小島さんは16年8月、その大事さをひしひしと感じる場面に直面したそうだ。
「オリンピックに出場してメダルを獲れなかった選手が『国民のみなさんに申し訳ない』と謝ったのも、SMAPが解散を宣言したのも16年の8月です。選手自身が本当に申し訳なく思っているのならいいのですが、国家を背負ってしまっているとすれば、それは違うなと感じたんです。そしてSMAPの5人の解散宣言については『みんながバラバラでがっかりした』という意見がありましたが、25年以上活動してきた大人たちなのだから、最後ぐらい納得いく形で辞めさせてあげてよと。ギリギリまで笑顔で歌い踊って『みんなありがとう!』と爽やかに解散するほうが、欺瞞に満ちているじゃないですか。だから5人に温度差がありバラバラのコメントをしていたことで、『SMAPもそれぞれの人生があるんだ』と救われたし、ある意味、人間宣言にも受け取れました。そして、天皇陛下が『個人として考えてきたこと』というお言葉を使って生前退位の意向を示したのも8月ですよね。奇しくも16年8月に起きたこの三つの出来事は、『個人』というキーワードでつながっていると思います。
人が個人ではなくなった先に何が起こるのか。個人ならば『別に相手に恨みはないので、戦争には行きません』と拒否できますが、『国民の一人として、敵国をせん滅させろ』と言われたら、お国のために働くしか選択肢がなくなる。個の消滅はまさに、戦争につながるものだと思います。
『個』であることはわがままだと思われがちですが、まずはその思い込みを捨てること。『私たちはこんなに違う。だけど嫌な思いをしないで互いに個として生きていくためには、一体どんな工夫が必要かしら?』と考えることで、平和な世の中への歩みが始まります。なぜなら自分が個であろうとすることは、自分以外の誰かを認めようとする努力であり、それは理解をしようとする努力であり、歩み寄ろうとする努力の営みだから。それでも歩み寄れないポイントがあるなら、お互いの間に橋を架ける努力をすればいい。個であること=他者を軽んじる、ということではありません。バラバラの価値観が共存するためにはルールが必要ですし、モラルを共有しないと世界は回っていきませんから。共存するためのルールを守りつつも個であろうとする、その精神を持ち続けることが何よりも大事なのではないでしょうか」
個がなくなった社会こそ、まさに「ヘル日本」と言えるだろう。しかし今はまだ憲法13条にもあるように「すべて国民は、個人として尊重される」空気がかろうじて残っている。本当のヘルを呼び寄せないためにできること。それにはまずあなたも私も、それぞれに違う個別の「絵にならない人生」を歩み続ける覚悟を持つことなのかもしれない。