『小さいおうち』が描く戦前の中流家庭の豊かさ
昭和初期を描いた中島京子さんの小説『小さいおうち』。2010年に刊行され、第143回直木賞を受賞した作品だ。14年には名匠・山田洋次監督によって映画化された。この小説が最近、あらためて読み直されている。決して劇的とはいえない静かな物語の向こうに、「今」という時代の危うさが透けてみえるというのだ。中島さん自身はどんな思いで今の世相を見つめているのだろう。お話を伺うことにした。『小さいおうち』の舞台は1930年代後半(昭和10年以降)、東京の私鉄沿線の町に住むサラリーマン家庭の「平井家」だ。主人公は東北からこの家に女中としてやってきた「タキ」という名の少女。彼女は平井家が暮らす赤い三角屋根の和洋折衷の美しい「文化住宅」に心惹かれる。それがつまり、「小さいおうち」だ。タキはそれ以上に、この家の「奥さま」である時子の優雅さに憧れ、彼女に仕えることに幸せを感じている。だが「旦那さま」の部下である内気な青年が家に出入りするようになると、ひそかな恋愛が「小さいおうち」の平和な日々にさざ波を立て始める……という物語だ。晩年のタキがつづった回想というスタイルを採っていることで、当時の人の思いと、それを見つめる現代の視線が交差する仕掛けになっている。物語の後半になるにしたがって、その交差が意外なドラマを浮かび上がらせるのだが、そのあたりはぜひ、実際に読んで味わっていただきたい。
この小説の魅力の一つは、当時の中産階級の文化的な生活を生き生きと描いているところだろう。満州事変、二・二六事件、日中戦争と動乱が続くこの時代に「文化的な生活」があったというと意外な感じがするかもしれない。だが満州事変から日中戦争初期にかけては、実は日本は空前の好景気であり、「昭和モダン」と呼ばれる都会的な消費文化が広がった時代でもあった。家庭用電化製品が登場し、人々は休日にはハリウッド映画を観に出かけた。『小さいおうち』には、特別な日にはオムライスやコロッケ、ババロアが食卓に並ぶこともあるモダンな消費生活が描かれている。
洗練された消費生活と戦争が同居する
女性誌の編集者だったころ、中島さんは、会社の資料室に保管された戦前の女性誌を読むのがとても楽しかったという。雑誌の内容は、今の女性誌と変わらない。ファッションや料理、人生相談や人気タレントの話題などなど。「今と同じなんですよね。普通の生活を楽しんでいる。『東京食べある記』なんていうグルメガイドも出て、この店は星三つ、とか書いていたりする。そういうことが面白くて、小説に書こうと思ったんです」と中島さんは楽しげにあれこれと例を挙げてくれた。
しかし続けてこう付け加える。「だけど、今の私たちにそっくりなこの時代の普通の人たちが、一方で疑問ももたずに戦争を受け入れているわけですよね。それが怖いと思った」。そう、東京の人々が平和な暮らしを楽しんでいたこのころ、日本は中国で戦争をしていたのだ。
洗練された消費生活と戦争が同居している時代。中島さんが『小さいおうち』で描きたかったのは、その二面性だった。
『小さいおうち』は、昭和モダンな生活の日常の中に、少しずつ戦争がしみ込んでいき、ついには戦争一色になる様子を、淡々と描いている。人々は当然のように、しかしまるで他人事のように戦争を受け入れていくのだ。
たとえば1937年12月、当時の中国の首都・南京を日本軍が占領した直後のエピソード。平井家の人々が家族で出かけた銀座では、随所に日章旗が掲げられ、デパートの屋上には「祝南京陥落、歳末大売り出し」のアドバルーンが上がり、店内はセールに殺到した客でごった返している。沿道ではブラスバンドの演奏に万歳の声。だがいうまでもなく、このとき南京では日本軍による非戦闘員の殺害や略奪が起きていた。そのことを今の私たちは知っている。
そうした時代を、主人公のタキはこう振り返る。「私の気持ちは完全に都会の生活に向いていて、7月に始まった事変(日中戦争のこと)すら、どこかお祭りめいて感じられた」。
時子の女学校以来の親友である睦子(むつこ)のエピソードも印象的だ。睦子は、女性誌の編集者である。新しいもの好きで、ついこのあいだまでモダンガールだった彼女は、 愛国ムードに真っ先に飛びつく。非常時に合わせて考案した奇妙な「銃後髷(まげ)」で平井家にやって来た彼女に、時子は「やあねえ、それ、ちょっとどうなの」と顔をしかめるが、睦子は「ま、奥様は意識が低くっていやねえ。近代戦は総力戦だってのに」とやり返す。元祖「意識高い系」だ。建国神話に基づく「皇紀2600年」の奉祝行事では、「世界中が、大日本帝国の紀元二千六百年を祝福しているのよ」と大興奮。
睦子は決して、無教養でも単純でもない。とても知的で、実はある秘密を抱えて心に孤独を隠した女性だ。だがそんな彼女でも、戦争がもたらす高揚感にはすっかり感化されてしまう。怖いのは、睦子は女性誌の編集者として、時代の気分をつくる側にいることだ。
1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃の成功が報じられると、平井家の主人は「アメリカもこれで、もう日本をバカにできないと思い知ったに違いない。日本、よくやった!万歳!」と叫び、タキは、「新しい時代が始まるのだ」とすがすがしく感じる。それまで新聞は、連日のように「いかにアメリカやイギリスが日本をバカにしているか、腰抜けだと思って見下しているか、無理難題を押しつけても言うことを聞くと思っているか」を伝えていたから、タキは胸がすくような思いがしたのである。
見えないものに引きずられる「空気」
『小さいおうち』に描かれる「日常の中の戦争」は妙に軽く、とても楽しそうに見えると言うと、中島さんはうなずいた。「戦争ってけっこう楽しいんじゃないかと思うんです。オリンピックで日本人選手が金メダルをとるのと同じで、勝てばやっぱりうれしい。戦後の日本では軍部が国民の反対を押し切って戦争に突入したみたいに言われてきたけど、あれはウソだと思う」
そう。自分自身が戦場に行くのではなく、後ろから応援している分には、戦争はけっこう楽しいのかもしれない。戦争は、それまでのもどかしい状況を吹き飛ばしてくれる。国民的一体感と高揚感を与えてくれる。日本はすごいんだと自信を与えてくれる。「そこが怖い。それを知っておかないと、間違うんじゃないかな、と思ったんです」。
昭和初期の豊かな文化生活と共に、その裏にあった怖さを、中島さんは感じてほしかった。しかし、作品が出版された当初、読者の反応は、中島さんにとっては肩透かしなものだった。
「暗い時代だと思ってたけど、すごく楽しくていい時代だったということが分かりました、という声が多かったんです。いや、いい時代とは言えないでしょう、戦争してたんですよって思うのだけど」
さらには、当時の日本がいかにいい国であったか、よくぞ書いてくれた、という右翼的な人からの見当違いな賛辞をもらったりして、中島さんはとまどった。
ところが、2013年ごろから寄せられる感想が変わり始める。
「読んでいて怖くなる、という感想が増えてきたんです。最近の世の中は、ここに書かれている時代と雰囲気が似ているような気がするって。実は私も、そのころから、そう思うようになりました。あの時代の空気に近づいていると」
中島さんは、この数年の世の中の「空気」に違和感を覚えるという。
「いつからだろう……。 役所が上の意向を忖度(そんたく)して行動したり、メディアが自主規制して報道を控えたりすることが増えていますよね。差別とかいじめっぽい風潮を感じることも多いし。一方で『日本スゴイ!』みたいな番組が多くなって。息苦しいんですよね。右傾化っていうより…何か変な空気が広がってる気がする」
見えないものに引きずられるように変わっていく「空気」。それが『小さいおうち』の時代と似ていると中島さんは言う。