2016年8月11~21日、女子高生サポートセンターColabo(コラボ)とColaboにつながる中・高校生たちで、「私たちは『買われた』展」という企画展を都内で開催した。北海道から九州まで全国から14~26歳の24人の女性が参加し、写真や文章、日記などを通して、それぞれが「買われる」に至った背景や体験、想いを伝えた。予想以上の反響で、のべ2975人の来場者があり、最終日は入場2時間半待ちとなった。その様子は新聞各社をはじめ、多くのメディアにも取り上げられた。
家族の暴力から逃れるため裸足で家を出て座り込んだ公園のベンチ、温かさを求めて自動販売機に寄りかかった姿、自分がどこにいるかわからずうつむいて歩いた繁華街の道、リストカットのあとが残る腕、成人するまで生き延びることができたことを伝える写真、虐待や貧困からコンビニの廃棄品を一人で食べ続けtことを伝えたいと書いた日記、知的・精神障がいがあることで差別された経験、虐待や性暴力やいじめなどの被害を学校、児童相談所、役所、警察や福祉施設などに相談した際に受けた不適切な対応などについて伝えるパネルを展示した。
1年前、この連載エッセーで『少女は気軽に売春に足を踏み入れているのか?』という記事を書いた。このころから、企画展についての構想が、少女たちとの関わりの中から持ち上がっていた。
売春する中・高校生のイメージ
15年9月、ある大学の授業で「売春する中・高校生について、どんなイメージを持っていますか?」と投げかけると、こんな言葉が返ってきた。
――快楽のため。愛情を求めて。その場限りの考えで。孤独で寂しい人がやること。遊ぶお金がほしいから。友だちに誘われて。自分は売春を断った経験があるけど、やる人はやりたくてやっているんだと思う。そんな友だちはいなかったからわからない。正直そんな人と関わりたくない。どうしてそこまでやれるのか理解できない……など。
学生たちには伝えていなかったが、その授業には大学を見学したいという当事者が同行していた。彼女は家庭や学校で暴力、性的虐待、いじめを受け、家に居場所がないと感じる中で、友だちなどに強要される形で売春させられた経験を持つ。また、Colaboとつながる“売春せざるを得ない状況”を生きてきた少女たちとの関わりから、他の少女たちが売春した経緯や背景についても知っていた。
学生たちの持つイメージと、私たちが活動を通して出会う中・高校生が経験した売春、児童買春の実態がかけ離れていたことから、私は彼女が傷ついているのではないかと気にして目を向けた。すると、彼女は「そんなもんだよ。世の中の理解なんて。もう、そんなことでは傷つかなくなった(傷つくことすらできなくなった)」と。
その後、彼女は学生たちの前で自分の体験を語った。そして、多くの学生が自身の持つ極端なイメージや偏見に気づいてくれたことを感じた、と話した。また同じころ、彼女と一緒に慰安婦にされた女性たちを写した写真展に行った。そこで女性たちが伝える姿に、「自分たちも写真などで何か伝えられないか」という、ぼんやりとした話になった。後日、これらのことをColaboにつながる女子たちで共有し、「イメージを変えたい!」と、「私たちは『買われた』展」の企画に至った。“買われた展”というタイトルも、話し合いの中で「売ったというより、買われたという感覚だった」と話したメンバーがいたことから決まった。
「売春=気軽に・遊ぶ金ほしさ」というイメージに一石を投じるとともに、そこにある暴力や、その影響を受けて生きる当事者の姿を伝えることで背景に目を向けさせ、買う側の行為や大人の責任に気づく人を増やせる企画になればと話し合った。初めは18~20歳前後の高校生メンバーが中心だったが、企画の話を聞いて14~15歳の中学生らも参加を申し出た。開催資金を集める寄付サイトに載せたメンバーのメッセージを見て、つながった中・高校生もいる。ここに、そのメッセージを少し紹介したい。
企画展メンバーのメッセージ
「行くところがない時、声をかけてくるのは男の人だけ。体目的の男の人しか自分に関心を持たなかったし、頼れるのはその人たちだけだった。他にご飯を食べさせてくれる人も、泊めてくれる人もいなかった。同じ想いをする子を減らしたい」(17歳)
「“普通はしないことだから、する奴は異常”みたいなイメージがあって、違うのになって思う。それぞれに理由があって、単にさみしいとか、遊ぶ金がほしいとか、そういう簡単な理由じゃないことを知ってもらいたい」(16歳)
「親も頼れる大人もいない、一人で生きていくしかないと思ってた。最近一人暮らしを始めるまで、家っていう感覚がなかった。今でも、そういう小中学生はたくさんいると思うし、そういう子たちが体を差し出す代わりにおにぎりをもらったりしていることを、Colaboに来る年下の子たちを見て思う。だから私もこの企画に参加して、伝えたい」(20歳)
「いろんなきっかけでそうしてた、やめたくてもやめられなくなった子がいる。そういうことを知ってほしい」(19歳)
「Colaboには同じような経験をしたお姉さんたちがいて、そういう女の人から支援が届いているのを知って、自分だけじゃなかったんだって安心した。何か感じてもらうきっかけになったらいい」(15歳)
「私、できる時に(参加)したいんです。今までのこともう一度振り返りたくて。今、過去の行いをものすごく後悔しています。体に不調が出て、怖くて涙が止まりません。この体になって、ますます今の若い子に伝えたいこと多くなりました。だから、参加させてください」(18歳)
15年10月から、それぞれが伝えたいことを表現した写真の撮影や、展示物の作成が始まり、準備は翌16年7月まで続いた。参加の形は人それぞれ。一人ひとりの状態や、状況に合わせて進めた。ミーティングや合宿には、参加する人もしない人もいた。参加したくても地方に住んでいたり、入院などによってできない人もいたし、自分の精神状態を考えて見送った子もいた。『大人に言われた嫌な言葉』というパネル作品は、ほぼすべてのメンバーが参加する形で作成した。
買う側の存在と、そこにある暴力
まずは知って、何か感じてもらうことからだと思っての企画だったが、「私たちは『買われた』展」の開催が報じられると、「好きで売ったんだろう」「被害者面するな」「体を売るなんて馬鹿な女だ」などと反射的な中傷がたくさんあった。
メンバーが伝えたいのは、単に「虐待や貧困があったから売りました。背景を知ってほしいです」ということではない。第一に考えてもらいたいのは、買う側の存在と暴力についてである。
日本では「援助交際」という言葉で、児童買春が大人から少女への援助であるかのように語られているが、そこに「支配の関係性」があることに目を向ける人が少ないこと。そこで行われる性行為は暴力的なものが多く、弱い立場にある者に対しての暴力が、金を払うということによって正当化されていること。そんな中、少女への性暴力が「売春」という言葉で子どもの自己責任論で片づけられている現状があること。
さらに、少女が「気軽に」足を踏み入れるというイメージを持つ人が多いのに対し、気軽に子どもを買う大人の存在や、「気軽に」買える状況があることに目を向ける人は少ないこと。金をやるからいいだろう、という大人の多さ。それは「援助」や「交際」ではないこと。買春の被害にあった少女たちは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や解離性障害、男性恐怖症、摂食障害、うつ病など、さまざまな精神疾患やトラウマを抱えて生きていること。そこに対する十分なケアがなされていないこと、なども伝えたいと考えていた。
善人たちは沈黙と無関心
また参加メンバーの多くは、「買春者にこんなことをされた」と憎んだり責めたりする前に、「頼れるのも声をかけてくるのも、そういう人しかいなかった。そうするしかなかった」という。「買われる」に至るまでの背景には、善人による無関心や無理解があったことを知ってほしい、と話す子が多い。強制的に売らされたり、断れない状況で連れ込まれたり、ホームレス状態で売らざるを得なかった子もいる。貧困や虐待だけでなく、教育熱心な親の期待に応えることに疲れたり、いじめ、障がい、詐欺、病気がきっかけになった子もいる。