性暴力をテーマにした番組でのできごと
先日、性暴力被害を語る某テレビ番組に出演した際、打ち合わせ前にメークアップをしてもらっていたら、その分野の専門家として一緒に出演した男性に「メークをしたらさらにお奇麗ですね……ってセクハラになっちゃうか。最近は職場でもすぐ『セクハラ』と言われちゃうからエラい時代や」と言われた。
性暴力をテーマにした特集番組に呼ばれた専門家がこんな発言をすること自体にドン引きし、愛想笑いもせず真顔で無視していたら、後から部屋に入ってきた番組制作の男性に対して彼は「さっき仁藤さんにこんなこと言ったんだけど、これってセクハラかな? 最近はなんでもセクハラって言われちゃうからな」と、しきりに「セクハラではない」と否定してもらおうとしていた。
何か気まずい状況に陥った時、「俺は悪くない」という同意と連帯を、周囲にいる男たちに求める男――私はこれには大いに既視感があった。そして聞かれた男性は、困った表情を浮かべながら「ギリギリ、セーフですかね……」と言ってしまった。これでその共演者は味方を得て、私を黙らせることに成功し、彼の都合のいい方へ状況が転じてしまったのだ。そこは「セクハラですよ」と言ってほしかった。
その後、共演者は「職場でやったらアウトだな。今の時代は、すぐセクハラと言われてしまうからいろいろ大変なんですよ。ごめんなさいね」と、私に向かって謝罪の言葉を述べた。しかしこれは、問題を自覚して反省したうえでの真の謝罪ではなく、自分の立場を保つための形式上の謝罪だろう。
場所や相手を選んだ発言は誰のため?
暴力や差別の加害者は、「無意識だった」とよく言うけれど、実際には場所や相手を選んでいることが多い。先述の件にしても、「職場でやったらアウト」と分かっているのだから場所と相手を選んでやっているのだろう。私は、そんな被害に遭うことがしょっちゅうある。それも決まって専門家や支援者、活動家を名乗る男性たちから楽屋や舞台裏で。しかし不思議なことに、講演中や番組収録中に彼らがそのような不快発言をすることはない。
そうして彼らは大概、私が年下の女性で優位に立てそうだと知ると、自分の権威を誇示するかのような自慢話を繰り返す。そんな時、私はあまりにもばかばかしいので、反応しないことにしている。すると空気を察してか、「仁藤さんからも学ばせてください」などと口先だけでへりくだるように言うのだ。それは例えばDV男が、“自分は相手を思いやり、相手の言い分を聞こうとしている”という体で、支配を強めるのに使う手口にも似ている気がする。
さらに許せないことに、前述の共演者は打ち合わせの中で「SNSを通じて性被害に遭うのは特別な可哀想な子」「死にたいという書き込みは“かまちょ(かまってちょうだい)”でしている」とも言った。私たちは日々の活動の中で、「普通の子どもたち」が性暴力や性搾取の被害に遭っていることを実感し、知っている。加害者は、周囲に頼れる大人がいない子どもを狙うことが少なくなく、貧困や社会的孤立状態にある少女が狙われ、そうした子どもたちは被害に遭っても誰にも相談できず事態が深刻化することもある。
被害者を「特別な可哀想な子」とレッテル貼りしたり、「かまってちゃん」などと表現して彼女たちの抱える困難を矮小化し、誤解させたりするような発言が当事者を追い詰めることは、これまで多くの支援団体や専門家たちから繰り返し指摘されてきたのだ。
若い女性の前では虚勢を張りたくなる
性被害に遭った当事者にとって、偏見や思い込みで発言する人に語られることほどつらいことはない。テレビでこんな発言をされたら誤解が広まり、当事者たちへの影響も出ると考え、私はやむなく彼に「現実とずれている」と指摘した。すると、その専門家は「それは誤解で、言いたいことは仁藤さんと同じです」と返してきた。
このように発言の矛盾点を指摘された時、論旨のすり替えをしたり、「誤解だ」と言ったり、責任を“受け取る側”に押し付けようとしたり、意見を180度変えたりすることにも既視感があった。それもこれも、相手を見てやっているのだろう。あくまでも「自分は分かっている」という立場でいようとするのも、私が「年下の女性」だからではないか。もし「あなたの言っていることはおかしいぞ」という顔をしたのが、当人よりも偉い「男性」だったら、そんな返し方はしなかったのではないか。
いろいろ不信感はあったが収録は打ち合わせ通りに進められ、当の共演者が番組内で問題発言をすることはなかった。
理解者ぶるならまず実情を勉強すべき
普段は偉ぶっていても、相手が優位に立つと途端に顔色をうかがい、意見を変えるような男性は世の中にざらだ。そんな人に出会うと、元々自分の意見などなく、発言にも責任を持たないのではないかと思えてしまう。
的外れなことを言っているのに、自覚していない男性を見ると、「これまで誰にも指摘してもらえなかったんだな」と私は感じる。周りが見えていないので、相手の女性が「面倒だし逆らう価値もない」と思っていたり、「もう会うことはないから今だけ我慢しよう」と自分に言い聞かせたりしている、利害関係のある相手だから理解したふりをして話にうなずいたり、聞き流そうとしたり、早くその場を終わらせようと愛想笑いしたりしている、というところまで考えが至らないのだろう。
周囲の誰もが愛想笑いをして、話を逸らそうとしている状況でも「僕が言うことは理解されている」「僕は正しい」「僕の意見を皆が支持している」「僕が教えてあげた」と、思い違いをしたままでいる。相手を尊重できないので、周囲に気を遣わせ、そういう状況にしてしまったことも自覚できない。それどころか「僕は女性の理解者だ」と思い込み、嫌がられていることに全く無自覚。男性相手だと態度を変えるので、男社会の中では「女性に立てられている」と勘違いされ、「あいつはモテる」と思われている節すらある。
理解者ぶる男性の中には、自分で実情に気付こうとせず、ろくに下調べや勉強もせずに軽々しく「何も分からないから教えて」と言ってくる人もいる。が、いつまでも女性や被害者に教えてもらえると思わないでほしい。まずは自身と自身が属するコミュニティーに潜む、性や女性に対する差別の問題に向き合うべきで、「なぜそうなってしまったのか?」は加害者に直接聞けばいいだろう。
大学生に少女たちを監視させる!?
実は先日の番組では、被害者支援団体から問題視されている取り組みを「効果的な対策」として取り上げていて私は危惧の念を抱いていた。大学と警察が連携し、SNS上で性的なやり取りを行う少女たちを「通報対象」とし、それを大学生に探し出させて警告文を送るというものだ。
もし性搾取や性暴力被害に遭っている子どもたちがこんな紹介映像を見たら、なおさら大人たちに被害を相談できなくなるだろう。まさに権力を笠に着た男たちが考えそうな、男社会らしい発想だ。
前回のコラム「少女誘拐『なぜついていった?』と責める前に 」でも取り上げたが、今の日本では、少女がネット上に「家出したい」と書き込めば10分足らずで数十人から「サポートします」「泊めてあげる」とあたかも援助を申し出るようなコメントが返ってくる。そうした“援助”に頼らざるを得ない状況で、強姦や性的搾取の被害に遭った少女たちと日々出会っている。